キーンコーンカーンコーン

 チャイムの音。
 あ、僕、寝ちゃってたんだな。
 寝不足だったし、いろいろあって疲れてたんだと思う。
 でも、そろそろ戻らないと。
 さすがに保健室に長居しすぎだ。

「あ、起きた?」
 先生の声。
「はい。ありがとうございます。もう戻ります」
「東琶が迎えに来てくれるみたいだから、ちょっと待っててくれる?」
 迎えにって。
 そういえばそんなようなこと言ってたな。
 5時間目が終わったらって……。
 何気なく時計を見て時間を確認すると5時間目終了時刻は当に過ぎていて、今のチャイムが6時間目の終了を知らせるチャイムだと理解する。
 僕、すごく寝ちゃってたんだ。
「あの、5時間目終わったとき、東琶、来ました?」
「うん、来たけどまた出直すって」
 それでまた迎えに来てくれるつもりなのだろう。

 少しして、ガラガラっとドアの開く音がした。
 東琶かな。
「先生、響くん起きてる?」
 あ、透くんの声?
 どうして?
「うん、起きてるよ」
「先生、ちょっといいかなー」
「出てけってこと?」
「まあ、そういうこと」
「しょうがないなー。外で草むしりでもしようかな」
「ありがと」
 外へと続くドアの開く音。
 先生は出てってくれているのだろう。
「響くん? 開けていい?」
「う……うん」
 仕切られたカーテンを開いてくれたのはやはり透くんだった。
「おはよ。たくさん寝れた?」
「……うん」
 正直、合わす顔が無い。
 僕の代わりに透くんは……。

「ちょっと響くんとお話したくてさ。東琶に代わりに行かせてって頼んじゃった」
「……話?」
「そう。だから別に東琶が行くって言ったにも関わらず自らの意思で来ないってわけじゃないよ」
 そもそも行くって言っていた5時間目の後の休み時間には僕が気付かなかっただけで来ていたらしいし、いまの時間に関してはなにも聞いてないんだけど。
「……ごめん。僕、透くんを代わりにするつもりなんてなかったのに……」
「そうそう、そのことでね。言っておこうかと。東琶はまあ黙っとけって言いそうだけどどうもね。俺は別に響くんの代わりに犠牲になったわけでもないから、気にしないで欲しいんだけど」
「でも……」
「東琶ね。響くんが襲われてるって悠真さんから聞いたみたいなんだけど。あのとき相手のこと殴るって。喧嘩吹っ掛ける気でいたみたい。でも先輩でしょ。東琶は良くてもあとで仕返しされるのが東琶とは限らない。……響くんがまた狙われるなんてことになってもいけないし。俺が、勝手にでしゃばって提案したの。喧嘩はよくないって」
 東琶は喧嘩しようとしてたのか。
 あのまま喧嘩してたらどうなってたんだろう。
 東琶が勝ったとしても、ものすごく大差にははらないだろうし。
 透くんが言うように、僕に仕返しされることだって考えられる。
 ……それで透くんが……?
「現場に着くまでの間に、話し合ったんだ。東琶は本当はなにがなんでも相手のこと殴りたいみたいだったけど。冷静になればそれがあとで取り返しの付かないことになるかもしれないってわかるでしょ」
「でも、元々は僕が……」
「仮に東琶が先輩ボコってさ。それで東琶の弱みが響くんだってバレたら、どんな仕返しすると思う? ……そういう目に合わせたくないって思ったのは東琶も俺も同じ。だから穏便にね」
 提案したのが東琶じゃなかったのだとしても、やっぱり僕は透くんに申し訳ないことをしていると思うんだけど。
「だからね。東琶のこと悪く思わないで」
「悪くって……東琶、なにか言ってたの?」
「ん? うーん、なんとなくあの場で東琶が思いついて俺を代わりにしたみたいになってたじゃん? 勘違いしてないかなって。響くん守るために、俺を盾にしたとか、そんなんじゃないから」
 一応、東琶からもだいたいは聞いていた。
 改めて透くんから話を聞いて、東琶に一瞬でも嫌悪感を抱いてしまったことを悔いた。
 東琶は僕を守るために、喧嘩しようとしてくれていて。
 本当は透くんの提案を呑みたくなかったけれども、結局はお願いすることにした。
 ……僕のため。
「東琶のことは、悪く思ってないけど。でも、僕は透くんを……っ」
「いいのいいの。自分から言い出したんだし」
 自分からならいいってわけじゃない。
「響くんが思ってくれてるほど俺、純粋じゃないし」
「そんな……こと……」
「あのさ。中学の頃、俺と東琶がやっちゃったって噂、広まってたの知ってるよね」
 ……東琶にも聞いた。
 本当はやってないんだって。
「やってないって、東琶が言ってたけど」
「そうそう。未遂なんだよね」
 なんでもないことのように透くんはいつもと変わらない笑顔でそう言った。
 未遂ってことは、やっぱり途中まではしたのかな。
 なんてことを考えてしまう。
「知ってたんだ?」
「ううん。今日聞いて知ったばっかなんだけど」
「まあわざわざ言うことじゃなかったのかもしれないけど。本当は東琶、俺とそんな噂流れちゃって嫌だったと思うんだ」
 嫌だった?
 東琶が?
 そりゃ、ありもしないことが噂になるのは嫌だろうけど……。
「ずっと俺、気になってて。引っかかってて。東琶に申し訳なくて」
 少し、透くんの笑顔が歪む。
「どういう意味……?」
「響くん、そういうのあんまり得意じゃないでしょ。あの噂以降、東琶に対する態度変わったなって。あ、ごめんね。勝手に二人のこと見ちゃってて」
 もしかして、僕が透くんのこと目で追ってたのにも気付いてたらどうしよう。
 はずかしい。
「東琶に対する態度……だけ?」
「え、そればっか意識してたから、それしか……。もしかして俺のことも嫌になってた?」
 大丈夫そうだな。
 僕はそっと顔を横に振る。
 前から、やたら声をかけてくる東琶に対して、それほどよくは思っていなかった。
 それでも嫌ってほどではなかった。
 ただ、自分が少なからず好意を寄せていた透くんとやったって聞いて。
 東琶は、僕が透くんのことを好きだってわかってたくせにって思って。
 嫌いになった。
 本当は、それも勝手な話だ。
 自分が透くんを好きだからって、東琶がわざわざ僕に気を使う必要なんてない。
 僕なんかにあてつけてもしょうがないし。

「あの、周りに、そんなに経験してる人いなかったから、ちょっと抵抗あって」
 下手な言い訳。
 でも、それも事実。
 僕だって男を恋愛対象にしてはいたけれど、そんな風にHをするだなんてことまで頭が働いてなかった。
 そうだ。
 東琶の相手が透くんじゃなくても、きっと引いた目で見てしまっていただろう。
「汚らわしい?」
「……よく、わからないけど」
「……ごめんね。響くんが汚らわしいって思う相手は、東琶じゃなくて、俺」
「え……」
「俺が誘ったんだ。東琶のこと」
 ……誘った?
 透くんが東琶を?
 東琶が透くんをじゃなくって?

「東琶は、バカみたいに純粋だよ。あ、バカは余計だね。誘ったけど、断られたんだ」
「断ったって……」
「ね。ホントありえないよ。俺たち思春期でやりたい盛りじゃん? 入れられるのが嫌とか男相手が嫌とか、そういう理由ならともかくさ。……俺とはやる気しないって言われちゃって」
 透くんとは?
「あ、俺も別に東琶が好きだったとかじゃないよ。友達としては好きなんだけど。よくしゃべるし、相手してくれるかなって思って。そんとき知ったんだ。東琶が響くんのこと好きだって。でも俺が東琶押し倒したりしてるやり取り人に見られちゃって、それであんな噂になっちゃって。直接聞かれれば否定できたけど、そういう噂ってなかなか真相確かめないでしょ」
「うん……」
「響くんには言っておいた方がいいんじゃないかって、東琶に言ったんだけど、なんかいちいち言い訳したくないとか、言ったところで響くんはどうも思わないかもしれないとか、わけのわからないこと言っちゃってさ。……東琶ってちょっと不器用だよね」
 確かに東琶に言われても、妙な言い訳にしか聞こえなかっただろう。
 不器用なのかもしれないけれど、僕のこと、理解してくれているような気がした。
「見守るだけの恋愛って、俺はあんまり好きじゃないから賛成出来ないけど、まあ東琶がいいならいっかなって、俺もずっと見守ってきてたんだ」
 そっか。
 結局、透くんは中学のころから東琶が僕のことを好きだっての、知ってたってことだよね。
 なんだか恥ずかしい。
「でもやっと告白したって聞いて、ちょっとほっとしてるんだ、俺」
 恥ずかしくて、どう答えればいいのかよくわからない。
「あ、俺のこと汚らわしいって思ってる?」
「ううん。もう、高校生だし……そんな、そういうことしてたくらいで汚らわしいとは」
「よかった。……だから今回の件も大丈夫。むしろ中学の頃、変な噂の原因作っちゃって悪かったなって思ってたから、ちょっと借り返せた気分だし」
「……本当に大丈夫?」
「うん。こんなこと言うと、さすがに汚らわしいって思われちゃうかもしれないけど、そろそろ誰かとしたいなーって思ってたし」
 ……無理してるわけではなさそうだな。
 大丈夫なら、いいんだけど……。
「うーん。二人のこと見守ってたいんだけど、どうしても気になっちゃうな」
 僕たちのこと……だよね。
「気になる……?」
「うん。東琶、体調崩したのは自分のせいだってすごく気にしてた。……大丈夫?」
「……東琶のせいじゃないって言ったんだけど」
「それは、本当なの?」
 ……そりゃ東琶告白されなかったら、寝不足になることもなかっただろう。
 けれど、東琶のせいってわけでもないと思う。
「ちょっと、考え込んじゃって寝不足になっただけだから。東琶のせいじゃないよ」
「そっか。考え込むってことは、東琶のこと嫌いじゃないんだね」
 嫌いだったら、いちいち考え込みもしないのだろう。
 いや、嫌いな人から告白されたらさすがに考えるかな。
 ……ああ、僕、実際嫌いだった人に告白されたんだった。
 うっとおしいと思ってた人に。
 けれど、悩んだのはそれじゃない。
 東琶をネタに一人Hしてしまったこと。
 自分が、東琶をそういう対称で意識してしまっていることを自覚しちゃったから。
「僕……」
「なに?」
 ……言えるわけない。
 東琶でHなこと考えただなんて。
 それが寝不足の原因ですだなんて。
「その、告白とかされたことなかったから。ちょっと寝付けなかっただけで……。そんなわざわざ東琶が自分のせいでとか思う必要ないんだけど」
「それならいいんだけど」
 ……けれどまた、絶対僕、東琶のこと考えちゃいそうだ。
 一人でするたびに東琶のことなんて考えてたら、ずっと東琶に顔向け出来ない。
 ついため息が漏れる。
「響くん……やっぱりなにかあるの?」
「えっと……」
「俺に話せること?」
「……変なこと……だから」
「変なこと? なんだろ。……Hなこと?」
 なにかを察してくれたのか、透くんの方からそう言ってくれる。
 さっきさんざんそういう話も聞いたし、透くんはたぶんHなネタでも平気だろう。
 他の誰にでも聞ける話じゃないし。
「……でも」
「話して。それが寝不足の原因なんでしょ。Hなことなら俺は全然引かないし。大丈夫だよ。誰にも言わない」
「……東琶にも?」
「うん」



「昨日、東琶が……僕の触ってきて……」
「ああ、そうだったの」
「それから……それがずっと頭ん中、残っちゃって。でも、嫌とかじゃないから、東琶が原因ってわけでもないんだ。ただ……一人でするときも、ちらっと思い出しちゃって」
 透くんは理解してくれたのか、うんうんと頷いてくれる。
「東琶と顔、合わせづらい?」
「……うん」
「でもそれって、当然のことだよ。実際に東琶に触られたんでしょ。自分が触ったときにその感覚を思い出すのはなにも不思議じゃないし」
 ……そっか。
 普通かな。
「でも、勝手に東琶のこと考えちゃって、なんか……悪いっていうか」
「悪くないよ。どうして? 好きな人が自分のこと考えてくれたら嬉しいでしょ」
「それは、普通のときであって……Hなことのときは……」
「俺は嬉しいよ」
 透くんはたぶん、ちょっとHな人だと思う。
 だから嬉しいだなんて思えるのかもしれないけれど。
「なんか……恥ずかしくて。なんていうか、そもそもこんな風に実在する人でそういう想像したことなかったし」
「それで、ちょっと混乱しちゃってるんだね。でもさっき言ったみたいにさ、不思議じゃないよ、それは」
 実際、東琶に触られたから?
「たぶん、その何倍も東琶は1人Hで響くん使ってると思うけど」
「なっ……」
「ずっと好きで、それでも手を出さずにいままでは我慢してたんだから、そうなるよ」
 ……以前だったら嫌だと感じていたかもしれない。
 気持ち悪いって。
 でも、僕だって東琶を想像した。
 それは、実際に触られたからなんだけど。

 ……東琶が僕で一人H。
 僕もそうだからとか関係なく、少しだけ嬉しいとか感じてしまうのはなんでなんだろう。
 僕も、透くんみたいに少しHな部分があるのかもしれない。  

「……東琶も、してるかな」
「まあほぼ確実にしてるだろうね。……嫌がらないで」
「嫌じゃ……。僕もしてるし」
「そうそう。好きな人使うなんて、普通なんだから」
 好きな人。
 好きな人?
「僕っ……それもよくわからなくて」
「自分の気持ち?」
 ……いや、わからなくないか。
 もう、好きになってる。

 透くんや慎之介くん、桜井くんのときとは違うレベルで、バカみたいにどきどきしたり体熱くなったりしてると思う。
 相手が僕のことを好きでいてくれるからってこともあるだろうけど。

「ね、響くん。たまには自分から動いてみたら?」
 自分から。
 東琶にも言われた。
 一歩前進しろって。
 あのときは桜井くん相手にだけど、東琶相手に前進してみるべき?

「動くって言っても、どうすればいいのか……」
 わからない。
 ただ現状維持がいいとは思っていない。

「響くんさ。東琶とHなことしたいとかは思わないの?」
「そんなことっ」
 考えたことがない。
 確かに一人H中、東琶にされることを想像したりもしたけれど。
 実際に、したいってのとは違うし。

「じゃあ、嫌?」
「……嫌ってわけでもないけど」
「なにか不安? お互い好きで、Hなことにも興味あるんなら、先に進めばいいのに」
 透くんの言うことはもっともだ。
 もっともなんだけど、それを僕が切り出すだなんてことは考えられない。

「不安だよ。先に進むと、それだけリスクもあるし」
「リスク?」
「僕の態度が悪くて、嫌われるかもしれないとか……。僕、透くんみたいにかわいいわけじゃないし、そういうことしても、はしたない姿さらすだけになりそうだしっ。いまのままなら好きでいてもらえるかもしれないけど、近づいたら、僕の嫌な面も見られちゃうし」
 透くんは、僕の頭をポンッと軽く叩く。
「え……」
「全部見てもらって、それで好かれようよ。それに東琶はそんなやつじゃない。ずっと響くんのこと好きだったの知ってるし、ちょっとやそっとのことで、響くんのこと嫌いになんてならないよ」
「……僕……っ」
「自分に好意を持ってくれている相手を嫌うのって、難しくない?」
 東琶のこと、嫌ってた。
 けれど僕のこと好きって言ってくれて、嫌いだと思えなくなった。
 いろいろと誤解してたこともあったし。
「うん……」
「気持ち次第だよ。まあ東琶にも言えることなんだけどね。とっとと進みなよってずっと思ってたから。けど東琶は東琶でいろいろ考えてたみたいだから」

 僕が東琶を嫌っていたこと。
 なんとなく雰囲気で察知してただろう。
 自分を嫌っている相手に告白するってどんな気分なんだろう。
 というより、それでも好きってどういうことなのかな。
 ……それでも好きって言ってくれた。
「……僕、好きじゃなかったのに気付くと東琶を頼ってるんだ」
「頼ってるって?」
「透くんには言ってなかったけど、先輩の前にもクラスで別の人に襲われたっていうか、手出されたことがあって。気付くと東琶の名前呼んでて……」
 傍にいてくれたから。
 むしろここで一歩前進しなければ、失ってしまうのかもしれない。
 現状維持がいいなんて思っていたけれど、現状を維持することだって本当は難しいんだ。

「響くん。そういうの東琶に直接言ってあげて?」
「っ……」
「ただ伝えるだけでいいから」
 伝えられる?
 わからない。
 けれど、とりあえず促されるがままに頷いていた。



 透くんと一緒に教室に戻る。
 掃除の時間が終わり、帰りのSTが始まるところだった。
 僕は一人体操服。
 ちょっと恥ずかしいけれど、周りもそう気にしてはいないだろう。

 STが終わると、すぐさま透くんが僕の席まで来てくれる。
「響くん、また明日ね。体調、気をつけて」
「うん、ありがとう」

 体操服のまま帰るわけにもいかないし、俺は一人ざわついている教室の中、着替えにかかる。
 なんか変な感じ。
 一人で着替えるなんて。

 順に教室から生徒が出て行く。
 もう誰もいないかな。
 ふと、後ろを振り返ると席についたままこっちを見る東琶の姿が目に入った。

 慌てて前に向き直る。
 ……不自然な態度、取っちゃったかも。
 いや、ただ教室に誰か残ってるか確認しただけだし。
 ……東琶だけ。

 僕のこと見てる?
 確認出来ず、上を着替え終わった僕は、ジャージを脱ぎ制服のズボンに履き替える。
 履き替えたと同時くらいだろうか。
 ガタンと、席を立つ音が響いた。

「響。さっきさ。俺が迎えに行こうと思ったんだけど、透が急に行きたいって言い出して」
「……うん。聞いたよ」
 別に東琶が僕との約束をすっぽかしただなんて思ってない。
 厳密には約束した休み時間、僕は寝ちゃってたし。

 弁解しようとしているわけでもないのかもしれないけど。

「チャリ置き場まで、送るから」
 送るって。
 そんなに心配してくれなくてもいいのに。
 ……以前ならうっとおしいと思っていたところだ。
 いまも、別にそこまでしてくれなくていいとは思うけど、どうせ東琶も行くのだろう。

 2人で下駄箱へ向かうのも始めてでなんだか違和感を覚える。
「透、なんか話してた?」
「……先輩たちのことは大丈夫だから気にするなって言ってくれたよ」
「そっか」
「あと……代わりになるのは自分が言い出したことだって」
「ふーん」
 だから、東琶のこと悪く思わないでって。
 一瞬でも悪く思ってしまったことを申し訳ないと感じるがうまく言葉が出てこない。
 それでも東琶なら気にしないでいてくれるような気がした。

 他にもいろんな話をした。
 どれも東琶のことばかり。

「だいぶ寝れたか?」
「うん。結構寝れた」
「そ。でも夜もしっかり寝ろよな」
「大丈夫だよ。今日はたまたまだし」
 東琶のせいじゃない。

 大した会話もなく自転車置き場についてしまう。
 ……そもそも東琶はなんで僕なんかを好きなんだろう。
 会話だって大して弾まないのに。
 あ、今日……っていうか今、いつも以上に東琶の口数が少なく感じる。
 なにか考えごとでもしてるんだろうか。

「あのさ、響」
 なんだろう。
 なにか切り出される?
「お前に散々一歩進めとか言ってきたけど。なんか自分進んでよかったのかわかんなくなってんだよな」
「……よく意味わかんないんだけど」
「お前がそんなに意識して、気ぃはるくらいなら前のままの方がよかったかってちょっと思ってるってことだよ。……お前はどう思う?」
 確かに妙な意識はしてしまっている。
 けれど、東琶に対する嫌悪感はなくなった。
「寝不足は本当に、自分のせいだし。……いいと思う」
「俺に告られてよかったってこと?」
 ……つまりはそういうことだ。

「……嫌なら拒めよ」
 東琶はそう前置きをすると、俺の頬をそっと撫でる。
 以前なら払いのけていた手。
「な……」
 そのまま、顔を少し上に向けさせられ、東琶の口が僕の口を塞いだ。
「っ……」
 着替えていたせいもあり、自転車置き場には僕ら以外の人の姿は見当たらなかった。
 けれど、いつ来るかどうかわからない。
 そんなことが頭の中でぼんやり浮かぶけれど、顔が熱くて上手く考えがまとまらない。
「んっ……」
 口を離されても、考えはまとまらないままだった。
「響……俺のこと拒めなくなってる?」
 僕が手を払いのけたりしなくなってしまったからか。
「お前のこと好きだって言ってるやつ相手に拒みづらいのかもしんねーけど。嫌なら嫌で言ってくれねーと。俺は好きなやつが嫌がることしたくねーから」
 東琶の言う通り、自分のことを好きだと言ってくれる人のことを拒むのは難しいだろう。
 けれど、そうじゃなくて、僕は自分を好いてくれる東琶がたぶん好きだ。
 自分を好いてくれるなら誰でもいいのだろうか。
 わからない。
 けれど今、東琶のことを考えると顔が熱くなる。
 頭もぼーっとする。
 なにかあると東琶に頼りたくなる。
 ……頼っていたのは、告白される前から。
 東琶が僕のことを好きだと知る前から、僕は東琶を頼りにしていた。

「嫌じゃない……」
「……本当に?」
 頷くともう一度、口を重ねられる。
 隙間から差し込まれた東琶の舌が、僕の舌に絡みつく。
 熱い。
「んっ! んぅ……」
 気持ちいい。
 ぬるぬるして、軽く吸い上げられて、クチュクチュと水音が頭の中に響く。
 あそこを触られているわけでもないのに、どうしてこんなに体が熱くなるのだろう。
 ただのキスなのに。
 なんで、舌がこんなに気持ちいいのかわからない。
 なんでこんなに、Hな気分になってしまうのかも。
 いやらしい。
 そう思うのに、とまらない。
 もっと欲しくなる。
「っんっ……!!」
 立っていられず口が離れ、腰が砕ける。
 東琶は俺の体を支えるようにして座り込ませてくれる。
 僕は地面に座り込んで、上を見上げた。
「東……琶」
 名前を呼ぶ隙しかなかった。
 すぐに東琶はまた口付けて、さっきの続きをする。
 舌が絡まって、やっぱり気持ちがよくて、わけがわからないまま、僕も絡めてしまう。
「んっ……んっ」
 体が熱くてガクガクする。
「はぁっ……んっ」
 少しだけ口で息をさせてくれて、また重ねられて。
 苦しい。
「響……舌、出して」
 至近距離で言われ、軽く舌を出すと、東琶が舌先で僕の舌を撫でた。
 差し出した東琶の舌先がわずかに視界に入る。
 東琶からも、僕の舌が見えているのかもしれない。
「んっ! んっ……あっ」
「はぁ……気持ちいい?」
「……ぅん……んぅっ」
 軽く頷くと、腕を引かれ思いっきり抱きしめられた。
「響……。やっぱ俺、このままじゃお前のことやっちまいそう。嫌がってくんねーと」
 耳元でそう呟かれる。
 やっちまいそうって。
 ……好きだからやりたいとか思ってくれるのだろう。


「東琶……っ。僕、東琶が好きって言ってくれて拒めなくなったんじゃなくて、嫌じゃなくなったっていうか……。……嫌だったら、東琶にならちゃんと伝えられる気がするし……」
 いままで散々、拒んできていた。
 いままで通り、本当に嫌なら払いのけている。
 それが東琶相手なら出来るはずなんだ。
 それをする気が起きないのは、嫌じゃないから。

「先輩相手には出来ねーの?」
「そんな見ず知らずの人を払いのけるのとか、難しいよ」
「むしろ、そっちの方が拒むべき相手だと思うけどな。……けどそれって、俺の前でなら自分出せるってこと?」
 そうなるのかな。
「わかんないけど……」
「お前が嫌がらないのは義理でもなく本心から嫌じゃないって思ってるってことでいいんだよな」
 そっと頷く。
 顔が熱い。
「……やっていい?」
「そんな……それはまだ……。それにそんなさっそくみたいなの、やだよ」
「……なんかそうやって、ちゃんとやだって言われるのもあながち悪くないな」
 僕が曝け出してるから?
「本当に嫌?」
 ……本当にって聞かれるとまたよくわからないし。
「……少しなら」
「少し? なにそれ」
「人に見られない場所がいいし」
「ああ、それはそうだな。……俺んち来る?」
 東琶の家?
 なんか恥ずかしい。
 見られないよう、そういうことをするために行くみたいで。
「響、顔真っ赤なんだけど。そうじゃなくて普通に遊びに来いよ」
「っ……そうじゃなくてとか。勝手に僕の考え決め付けないでよ。別に変なこと考えてないし」
「そう? まあいいけど。来るだろ」
 あいかわらず強引だな。
 いつもそうだ。
 パン買うのだって。
 まああれは、自分も買うついでだからいいんだけど。
 嫌じゃない。
 嫌なら嫌って言えそう。
 言えば東琶ならやめてくれるんだろうし。
「うん……。行く」
 僕たちは二人で、東琶の家へと向かった。