「あ。おっはよ♪」
俺が起きたのに気づいた拓耶は、ベッドの方へと寄ってくる。
「…はよ…。もう熱、下がったのかよ?」
「ばっちり。拓巳は? 大丈夫?」
「ん…平気…」
拓耶はなにを思ったのか、部屋についてる簡略化されたキッチンでなにか作ってたようで、甘ったるいにおいが漂っていた。
「…なにしてた…?」
「やぁ、今日、実は陸の誕生日で。ケーキでも作りたいなぁとか思って、とりあえず朝から作ってんの。夜までには出来るかなって」
「やめとけ」
なんでかよくわっかんねぇけど、拓耶はありえないほど料理が下手で。
味オンチなのだろうか。
逆に、不味い料理さえもおいしいと言えるあたり、すごいとは思う。
「拓巳、おしえてよ♪」
ケーキか…。
こういうのは深月が得意だったりするんだよな。

だけど、俺もまぁだてに中学、サボりまくってたわけじゃない。
昼ごはんはいつも自分で作ってたし、ある程度、自信はあったりする。
「見ててやるから作りなって」
やっぱり自分で作らなきゃ意味ないだろうし?
「わかった♪違うとこあったら突っ込んでよ」



拓耶といると、暗い気持ちとか忘れがちになる。
あぁ、だからか。
深月が、拓耶に甘えたくなった気持ちもわかるっつーか。
やさしいこと言われたら、もたれたくなる。

「…違ぇよ、馬鹿。一気に入れんなって、スポンジ膨らまねぇぞ」
「え、そんなの関係あるわけ?」
「まさかとは思うけど、バニラエッセンスは、たくさん入れれば入れるほど、においがよくていいとか勘違いしてねぇだろうな…」
「あははは♪」
してやがったな。

「…深月の誕生日にも、こうやってなにか作ったりしたわけ…?」
拓耶の方も見ず、ボウルを見つめながら、ついそう言ってしまっていた。
「いや、俺、料理下手だし…。あ、拓巳に手伝ってもらえばよかったね」
そうは言うけれど、実際は『手伝って』なんて、頼めるはずがないんだろう。

拓耶は深月が俺を好きなのを知ってて。
俺は、拓耶を気遣うに決まってるってわかってるから。
深月のことで俺になにか頼みごとなんて出来ないに決まってる。

「そう…」
「今、拓巳って、深月と同じ学校だったよね。元気?」
大して気にしてない…ただの友達みたいなノリでそう聞く。
付き合ってたくせに、まるでそんな雰囲気じゃなかった。
「元気だよ。深月に聞いたんだ…全部…」
俺がそう言っても、拓耶は感情を表に出さないで、ボウルの中身を混ぜる手を休めない。
「…そう…」
やさしく、そう言う声だけが響いた。

「拓巳…。俺のこと、ずるいやつだと思っただろ…?」
少し静かに。
いつものテンションとは違ったノリでそう聞く。
「思ってねぇよ…」
「俺じゃ駄目だったんだ、あいつは。わかってたけど…。ごめんな…俺、拓巳に似てるから…。この顔、利用してたんだ」
「………………」
「俺は、深月が拓巳のこと好きだって、わかってたくせに黙ってたんだよ…」
実際。
あのころ、拓耶にもし『深月は拓巳が好きなんだってさ』とか言われてたら。
だからって俺には無理だ。
そうやって拓耶に伝えられても、拓耶が深月を好きだったのを知ってるわけだし、深月の気持ちには答えられなかっただろう。
「…それでよかったんだよ…」
「よくないよ…。ごめんな、拓巳…。俺は、ずるい奴なんだ…。深月が俺のこと好きじゃなくっても、恋人同士って関係になれば、堂々と好きでいれるって。そう思って。だけど、逆につらかったよ。深月は、俺のこと、拓巳って呼ぶんだ」
ボウルの中を掻きまわしながら俯く拓耶の表情はわからなかった。
むしろ、拓耶自身が、見られないように俯いてるようにも見えた。
「…俺は拓巳の代わりとしてしか見てもらえなくて。わかってたんだけどね。拓巳の代わりとして付き合いだしたわけだから。自分から望んだわけだし、何も言えないけど。いつも、深月は俺を通して拓巳を見てて。俺自身を見てもらったことなんて、たぶんなくって。俺は拓巳の代わりなんだけど…でも、俺じゃ、拓巳にはなれないんだ」
深月が拓耶を利用してたってわけではない。
拓耶の方が望んだんだろう。
「さりげに隠れて…とかじゃなくって。どうどうと代わりにしてくれたからね。それはよかったよ。こっそり嘘つかれるみたいなのはやっぱ嫌だし」
俺の方を見ると、にっこり笑ってくれる。
拓耶は嘘をつくのがうまいから、なんでもないみたいに笑ってくれるけど、気持ちが痛いほどわかって、無理やり笑顔を作ってるような気がして。
それが余計につらく感じた。
「代わりでもいいって。そう思えるくらい。どうしようもなく好きだったみたい。深月のこと」


「俺…」
深月と付き合うことになった。
そう。
拓耶が風邪だから来たんだけれど、それだけじゃない。
ちゃんと伝えようってそう思ってココに来たんだ。
風邪の見舞いか、伝えることか。
どっちが目的でどっちがついでかわからない。
風邪の見舞いを言い訳に会いに来た感じ。

だけれど今、俺は深月と付き合うことになったって。
言い出せなくなっていた。

言えないのは、秘密にしておこうとかそんなんじゃない。
拓耶に、隠すべきことじゃないってわかってるし、伝えたいとは思う。

だけれど言えないのは、もっと違う理由だ。

やっぱり俺は、深月と付き合えない。
そう思ったからだ。

「拓巳って、すっごい顔に出るよな」
拓耶は苦笑して、そう言うと、また視線をボウルの中へと移す。
「なにも言わなくっても、拓巳の考えてることって、なんとなくわかるんだ。ごめんな…。拓巳が言ってくれるかなって、ちょっと待ってた。…聞いたよ、深月に」
やさしい声。
深月に聞いたって…?

…そりゃ、そうだよな。
中学校のころ付き合ってて。
いろいろ、複雑な状態だったんだ。
深月がそのまま、音沙汰なしなんてこと、しないだろうし。
相手が俺ならなおさらだろう。
拓耶に伝えるべきだと考えるはずで。
俺よりも、そう強く思ったはずだ。

「…拓耶…聞いたんだ…」
「聞いたよ」
「俺、付き合わないから」
俺は、拓耶よりも深月を好きでいる自信がない。
拓耶のことを思うと、付き合えるはずがない。
そうだよ。
中学のころもそうだった。
なに忘れて付き合ったりしてんだよ、俺。
深い事情は知らなかったけど、拓耶が深月を好きだったのは知っていた。

今、いろいろ知って。
拓耶は本当に好きだったんだなって、あらためて思った。

「なに言ってんだって」
軽くそう言われて。
でも、俺は冗談なんかじゃない。
「付き合わないんだよ」
「付き合いなって」
「別に俺、深月のこと、好きじゃねぇし。ちょっと軽いノリで話にノっただけだったんだ。でも今、やっぱ、そりゃひどいだろって思って。好きじゃないのに付き合うわけにいかねぇだろ…? だから、付き合わない」
拓耶が軽くため息をつくのがわかった。
俺は、壁に軽くもたれながら、もう混ぜすぎなボウルの中身をただ、覗いていた。
「拓巳と俺の違うとこって、ソコなんだろうねー…。拓巳は平気で自分を犠牲にするんだ…? なんでもないことみたいに」
「そういうわけじゃねぇよ」
「もっと、好きって気持ちとか…大事にすればいいのに」
「だからっ」
深月のこと好きだけど、拓耶に申し訳ないような、そんな感情の方が強すぎて。
ちゃんと好きになれねぇ。
「好きじゃねぇって」
そう言った直後だった。
拓耶のボウルを支える手が離れたのが、わかったころにはすでに遅くって。
俺の左頬を、強く引っぱたいていた。
「……っ…」
一瞬、時間が止まったみたいに感じた。
よくわからないのに。
変に悔しいのかなんなのか、涙が溢れてきていた。
「そんなことされても、全然、嬉しくない」
拓耶はそう言って、ボウルに手を戻す。
俺は、拓耶の方も見れず、視線を変えることも出来なくて。
無駄にボウルの状況しかわからなかった。

「じゃ、バニラエッセンスは、本のとおり、2、3滴でいいんだ?」
今までのこと、なにもなかったみたいに、気まずさのひとつも残さないで、楽しそうにそう言う。
「…ぅ…ん…」
やっと、無理やり、そうとだけ声が出る。
痛い。

痛い。
叩かれた頬が、まだジンジンしてて。
いくら拓耶が何事もなかったみたいな態度を取っていたとしても、何かあったことに変わりはなかった。
「っ…」
痛い。
苦しい。
喉の奥が痛くて、自分が物凄く泣きたいんだとわかった。
我慢出来ない涙はすでに溢れてきていた。
頬も痛くて。
胃のあたりもなんか痛くて。

拓耶はそんな俺に気づいているんだろうけど、あえてだと思う。
なんでもない態度で、ケーキを作り続けていた。


拓耶が全部正しいから。
俺は言い訳なんか出来ないし、なにも言えなかった。

好きじゃないなんて、嘘なんだ。
好きなんだ。
だけど、無理なんだよ。

「……拓巳…」
なにも言わないで、ただ俯いている時間が、どれだけたったかはわからないけれど、俺には長く感じられた。
拓耶は俺の名を呼ぶと、叩いた頬にそっと、手のひらをあて、軽く撫でる。
そうされるだけで、感情が昂ぶっているのか、余計に苦しくなってきていた。
「…拓巳のそういうところ、すごく好きだけど…。それじゃあ、拓巳が、かわいそうだよ…」
「…っ…俺……無理…」
「俺は今、陸が好きなんだよ」
「嘘…」
「嘘じゃない。ホント」
「深月のこと…っ…まだ、好きなんだろ…」
拓耶の視線が、強く突き刺さる感じがする。
俺は、あいかわらず、見れなくて、下を向いたままだった。
「…好きだよ…。だけど、陸の方が大切なんだ」
「なんだよ、それ…。もし、今、深月が拓耶を好きって言ったらどうすんだよ」
やっぱり、陸よりも、深月を取るんじゃないかって思う。
拓耶は本当に、深月を好きだったから。

「…陸の方が大切なんだ」
「大切ってなんだよ。陸の方が…」
陸の方が、好きとは言わないんだ…?
どうにも聞けなくて、言いとどまる。
拓耶は、俺の頭を軽く撫でてから、またケーキ作りの続きを始めた。


「俺が中学のころ、一番、仲良かった友達が陸だってのは知ってるだろ…?」
「うん…」
「恋人より友達の方が大切だとか、そういう意味とはちょっと違うからな」
俺の方も見ずに、先にそう言って教えてくれた。

「高校受験の日、陸は俺にね、『ずっと好きだった』って言ってくれたんだ。ずっと…って。
いつからって聞いたら、出会ったころだって教えてくれた。だから、中学1年のころからだね。
俺は第一志望の学校を受ける日だったけど、陸は違って。俺に会いに駅まで来てくれたんだ。学校も終わってるし、それが最後になると思ったんだろうね。ただ、自分の気持ちだけは伝えようって。そう思ったんだと思う」
あぁ。やっぱり陸、そんときに告れたのか。
だからだろう。
第一志望の高校、拓耶が落ちたのって。
調子が出なかったとか、お腹痛くて、集中出来なかったとか言ってたけど。
陸のこと、考えてたから…?
というより、陸と同じ学校にあわせたのかもしれない。

「俺、馬鹿だなって、思ったよ。っていうか、すごい、ひどい奴だっていうか…」
「なんで…」
気づいてやれなかったから…?
「…あのころ、拓巳にも言ったけど、もちろん陸にも言ったんだ。深月が好きだって。陸が俺のこと好きでいてくれるのも知らないで。陸は笑顔で『深月くん、かわいいもんね』なんて言って賛同してくれて。告白を躊躇する俺を後押ししてくれたのも陸で。フラれたあと慰めてくれるのも陸だったんだ。俺が深月にフラれたときも、自分の気持ちは言わないで、ただ、俺を慰めてくれて、ずっと応援してくれたんだよ、俺と深月のこと。そういうやつなんだ」
「陸が…好きなんだ…?」
同情で、付き合うとか、そんなんじゃないかって少し、思ったりもした。
「…好きだよ…。なんで、気づかなかったかなぁ、俺。近くに居すぎてわからなかったんだよ。あまりにも自然すぎて。深月と付き合いだしても、俺らは友達で、ずっと傍にいたからなおさらわからなかったんだ。
受験のとき、陸に告白されて。初めて陸をそういう対象で見たんだよ。
高校も一緒でいたいと思ったのは、深月じゃなくって陸だったんだ。陸と離れるなんて、俺には考えられないことだって、やっとわかったんだ」
拓耶と陸はなにをするにも一緒だった。
委員会、班、グループ発表…。
深月よりも長い時間、一緒にいただろう。
「なんで、もっと早く言ってくれなかったんかなぁ…。俺が気づくべきだったけど」
少し悔しいように、小さな声でそう言った。
「そんなん…。今の関係崩したくねぇからに決まってんだろって」
俺がそう言うと、いままで気づいてなかったのか、拓耶が一瞬、言葉を失っていた。
「陸はさ…。恋人じゃねぇけど、実際、拓耶の一番、近くにいたわけだろ。だけど、告ったらそうもいかなくなるかもしれねぇじゃん…」
「…そう…だよな…うん。そうなんだ」
拓耶は軽く笑って、まるで自分自身を馬鹿にしているようだった。
「だから、俺はひどいんだよ。散々、陸のこと傷つけたんだ」
「しょうがねぇよ、それは」
「しょうがなくないよ、気づくべきだったんだってば。…なんつーかさぁ…。少しだけ、陸と拓巳って似てるなって思うんだ」
俺と陸が…?
似ても似つかないと思うんだけど。
「…俺のために、自分を犠牲にするなぁって。そんなとこ。もうこれ以上、陸も拓巳も傷付けたくないんだよ。けど、同情で付き合ってるわけじゃないし、恋愛よりも友情を取るとかそんなんじゃないよ。陸は、恋愛対象としても友達としても、一番、大切なんだよ。…俺には陸がいなくちゃ困るんだ」

初めて、いろいろ聞かされた。
拓耶にとっての陸って、ただ、友達から恋人に昇格…ってわけじゃねぇけど、そうなっただけかと思ってた。
中学時代からなんとなく陸の気持ちに気付いていながらも、なにも出来なかった俺としてはほっとする。
俺と陸は似てないって思ったけど、陸の気持ちがわからないでもなかった。
拓耶に、言えなかったなぁって。
俺は、深月が好きだって。
陸は、相手が拓耶だけど。

「だからさ…。俺にかまわず、付き合って欲しいんだ。たしかに、深月は好きだけど、前とは違う…それこそ、友達みたいな感情なんだ。…俺のために、自己犠牲されんの、もう嫌なんだよ」
拓耶のためを思ってた。
拓耶だって、わかってるはず。
だけれど、拓耶は人がいいから。
人に気遣われたりすると、余計、罪悪感とか感じて辛いのかもしれない。

「な…? いままで、俺、散々、自分勝手に、人に迷惑かけたから、ホント、もう嫌なんだ。俺にかまわないで付き合って欲しい」
「……ん…」
「深月のこと…好きだろ…?」
拓耶は優しく俺にそう聞いて、また頬を撫でてくれた。
「…ぅん…」
「……ずっと前から…好きだったろ…」
俺の答えを聞き出す感じでなく、むしろ、俺の心を見透かすように、当てるようにしてそう言うと、そっと抱きしめてくれた。
「……うん…」



深月がなんで拓耶よりも俺を好きでいてくれるのかはわからない。
兄貴の方がいいのにって、やっぱり思う。
だけれど、俺と兄貴は全然違うから。
比べる対象にならないのかもしれない。
比較してみるもんじゃないのだろう。
拓耶の代わりも俺の代わりも、誰にもつとまらないんだ。

拓耶は、陸が大切で。
俺も、拓耶が陸を思うように、深月のこと、大切な存在だと思えるようになりたいと思った。
誰かのためじゃなくって、自分自身が、深月を好きだから。
その感情に、自信を持とうと思った。