「凍也、保健室?」
昼休みになってやっと顔を出した凍也に声をかけると、俺の前の席へと座って、後ろを向いてくれる。
「そ。ちょっとおもしろいヤツと知り合って」
「面白いやつ?」
「智巳先生のことが好きって言ってるヤツなんだけどさ。同級生」
智巳先生かぁ。
数学担当の若い先生。
「でも、智巳先生って彼女いたよね」
「あー…それ知ってて、一応諦めてはいるみたい。けど、他に男作る気になれないみたいでさ。
俺も今、フリーがラクだなって思ってたりするし、ヤってきた」
さらっとそう言って、まるでそれがなんでもないことのよう。
「ふぅん…。保健室で?」
「そ。まぁこれからもヤるかもしんねーし。結構、相性いい感じでさ。
すっげぇ、気持ちよかったから」
そっか。
凍也って、わかりやすいなぁ。
それ、好きな人が出来たときのしゃべり方だよ。
「ねぇねぇ、何組の子? 知りたいっ」
「やっべ、クラス聞いてねぇし。また保健室で会うと思うんだけど。メアド交換したし。深山悠貴っての」
「よかったね、凍也」
「なにが?」
「んー、なんでもないけど」
それから、凍也はよく悠貴の話をしてくれた。
ってのも、俺がすっごい聞き捲くっちゃってるってのもあるんだけどね。
だって、気になるし。
体育で、悠貴と一緒になることもあり、隣のクラスだってわかった。
わりとかっこいいかも。
楽しそうだし。
凍也と目を合わせて、にっこり笑ってた。
凍也、絶対、悠貴のこと好きだよね。
けど、3ヶ月くらいたったかなぁ。
まぁだ、付き合うだとかそういう話は聞かなくて。
そろそろ、なにか進展あってもいいと思うのに。
「凍也ってさ。悠貴のこと好きなんでしょ」
思い切って聞いてみた。
「……なんで?」
「なんとなくだけど」
「それは駄目だって。あいつ智巳先生のことが好きなんだし。
叶わないから、俺とは遊びでやってんの。
俺が好きになったら、ウザくね?」
「別にウザくなんて…っ」
「ウザいよ。あいつ、他に男作る気無いっつってるし。俺みたいのが都合いいんだろ。好きとかの感情ヌキで、やれっからさ。俺もラクだし」
そうは言うけど。
好きだよねぇ。
「…いいの?」
「楽しいよ。ラクだし。気持ちいいし」
いっそ付き合っちゃえばいいのになー、なんて。
だって、きっとすごい仲良しなんだよ。
凍也、いっつもニコニコしてるし。
口ではあぁ言ってるけど、結構、うまくいってるんでしょ。
お互い、彼氏いらないって言いつつ、結局、お互いがそういう存在にもうなってんじゃんって思っちゃう。
しょっちゅう会って、やって。
縛らずに、相手の負担にならないよう考えちゃってたりしてさ。
こういうカップルもいいなーなんて。
まぁ、俺は、ベタベタの甘々が好きだけどね。
「ねぇ、本当は好きなんでしょ」
「なんでそんな何度も聞くんだって。……そりゃ、それなりには好きだけど」
「ほら、やっぱり」
「うっせぇなぁ。…いくらなんでも好きじゃなきゃこんな何度もやってねぇっての」
確かに。
いくらセフレって言ってもさ。
やっぱちゃんと好きだよね。
悠貴もたぶん、そうだよね。
「じゃあ、いつになったら付き合い出すかなー」
「だっから、そういうんじゃねぇっての。付き合わずしてのこの距離感がいいんだって」
縛らないけれど、他になびかない…か。
まぁ、悠貴は一応智巳先生が好きなのかもしんないけどさ。
でも、悠貴のことを語る凍也って、なんかもう本当にかわいいんだよなー。
幸せそう。
2年になって、少し経った。
あいかわらず、凍也と悠貴は付かず離れずの関係みたい。
でもずるずるしてるっていうより、サバサバしてるっていうの?
俺から見てれば、肩書きは無くてももう付き合ってるように見えたし。
まぁ、2人とも、保健室でだったり、あんまりおおっぴらになってないから、知る人は少ないんだろうけど。
そんな凍也が、今日はなんだか上の空。
ボーっとしちゃってる。
「凍也、どうしたの?」
保健室行けば?
そう言おうとしたけれど、保健室から今、この状態で帰ってきたのだということを思い出した。
「べっつに。……早退する」
そう言って、帰っちゃうもんだから。
なにも聞けなかった。
けれどさ。
保健室から帰ってきて、こんなんだったらさ。
原因は悠貴かなって思うでしょ。
俺って、おせっかいだなとは思う。
でも、気になるから。
次の休み時間に隣のクラスを訪ねた。
わざわざ呼んでもらわなくてもいいかな。
教室に入り込んで、悠貴たちが固まってるグループへ。
「悠貴…くん? ちょっと聞きたいことあるんだけど」
「あぁ、凍也の友達だっけ? よく体育のとき一緒にいるよね」
「うん、そう。白石凪だよ。……さっき、保健室にいたよね?」
少し考え込んで、なにかを悟ったのか、それでも俺ににっこりと笑いかけ、
「いたよ」
そう教えてくれた。
「なにか……したの?」
「いつもと、変わらないよ」
嘘だ。
そんなはずはない。
いつも、悠貴と会ったあとの凍也は楽しそうだもん。
「違うでしょ。なにか……あったでしょ」
「…もうやめようって、言われたくらい?」
少し間を置いてから、悠貴はそう言った。
もうやめようって…言われたって?
凍也に?
なんで?
これ以上は聞いちゃ駄目かもしれない。
さすがに俺、詮索しすぎだ。
けれどさぁ。
あんな元気ない凍也見たら気になるよ?
いつも悠貴のこと、あんな楽しそうに話してたのに。
やめようって。
なんで。
付き合えないから?
遊びでやるのが辛くなった?
智巳先生のこと、想い続ける悠貴といて、辛くなっちゃったのかな。
それでも凍也は、今の関係がラクでいいって言ってたのに。
「なんで…。原因は、悠貴くんの方…なんでしょ」
失礼だけれど、凍也に原因があるとは思えなかった。
「……だろうね。俺に彼女が出来たからだと思う」
サラっとそう言われ、言葉を失った。
彼女が?
話の流れからして、その彼女ってのは凍也じゃないんだろう。
智巳先生でもないはず。
だって、あの人はもっと前からずっと同じ恋人がいたはずだし…。
「…彼女…いるんだ…?」
「一応。ちょっと前からだけど」
凍也がいるのに。
智巳先生が好きって言ってたくせに。
他の男と付き合う気ないって。
だから、凍也は、気持ち隠してたのに。
別の子と付き合いだしたわけ……?
なにそれ。
悠貴にとって、本当にただの性処理道具だったの?
自分のことじゃないけれど。
辛くて悲しくてむかついて。
パンッ……と、俺の手が悠貴の頬を叩く音が響いた。
あまりにも衝動的だった。
考える暇なんてなくて。
ただ、手が出てて。
それでも後悔なんてなかった。
「……最低だ」
悠貴はなにも言えずに、ただ俺をジっと見た。
俺の視界は、涙で少しぼやけていた。
「気付いてたくせに……」
凍也の気持ち。
絶対に気付いてたくせに。
抱くだけ抱いて、彼女作って。
何様だよ。
そりゃ、遊びだって割り切った関係だっただろうけれど。
けどさ。
凍也は好きだったんだ。
わかるだろ。
お前、そんなに鈍いわけ?
わかってたくせに、気付いてないフリして都合よく抱いてたわけ?
あぁもうどう考えても最低にしか思えない。
つい、もう一度、振り上げる手を、悠貴の隣にいた奴に止められた。
「…っ…なに」
「んー…? まぁそんなに叩かなくてもいんじゃない? いろいろ事情もあるんだし♪ あぁ、俺は拓耶っての」
今こんな状況で自己紹介されたところで、どうでもいい。
振り払おうとするが、強く握られた腕はなかなか解けなかった。
「っ…なんだよっ。……もう一発くらい殴らなきゃ気が済まないんだよっ。殴っても気ぃ済まないけどさぁっ」
もちろん、もう片方の手で殴ることは可能だけれど、そいつに腕を離して欲しくて、引っ張った。
「…悠貴だって、いろいろあんだよ。なにも知らないくせに」
拓耶は少し鋭い目つきで、俺にそう言った。
さっきの、おちゃらけたテンションとは違う。
確かに悠貴の事情なんて知らないよ。
でも知りたくもない。
なんでこんなやつ庇うんだよ。
「知らないのはお前の方だろ…」
ねぇ。
どれだけ凍也が苦しんでるか、わからないでしょ。
手の力を緩めると、やっと開放してくれた。
「……もう、凍也に近づかないで…」
元々、智巳先生が好きだって言ってた。
けれど、それは諦めてたはずだ。
ねぇ、諦めて踏ん切りついたなら、凍也となんで付き合ってくれなかったの?
また別の彼女作って。
それでいて、凍也とも繋がり続けるなんで、止めて欲しい。
だって、凍也は、本当に悠貴が好きなんだもん。
ただのセフレだなんて、割り切ってないよ。
本気だから。
辛いんだよ。
「バカ…っ」
俺は初めて会ったにも関わらず、悠貴を叩いて、暴言を吐いて。
そのまま逃げてきた。
凍也の所へ行こうかなとも思った。
凍也はなんでも一人で抱え込んでしまう。
楽しいときだけ、たくさん話してくれるけど。
辛いことは、なにも話してくれないんだ。
一人で、抱え込んじゃうんだよね…?
慰めてあげることも出来ない。
誰にも話したくないのかもしれないけれど。
心配だよ。
どんな言葉をかければいいのか、わからなかったけれど。
やっぱり俺は、凍也の部屋へと向かった。
インターホンを押しても返答はない。
ドアに手をかけると鍵はかかっていなかった。
「…凍也…?」
「…凪? こんな時間に誰も来るなんて思ってねぇから、鍵かけてねぇし」
凍也はベッドに寝転がったまま。
なんでもないフリをしているようだった。
鍵…かけたかったんかな。
やっぱ1人でいたかった?
どう声をかけようか、少し迷っているときだった。
「なんでお前がそんな悲しそうな顔してんの? …惨めになるじゃん」
凍也の方から、そう言って、にっこり笑ってくれていた。
「…惨めって…?」
「お前どうせわかってんだろ。はは。フラれちゃった」
俺とは逆方向へと体を向け寝転がる。
表情、見られたくないのかな。
俺はベッドに座って、凍也の背に、自分の背をもたれさせた。
「凍也…」
「っつーかさぁ。ま、ぶっちゃけ別にフラれたってわけでもないんだけど。
はじめっから、俺はフリーでいたいって言ってたし。あいつも、智巳先生が好きで、他に男作る気ないっつってたし。だから俺……好きにならないようにしてたしさ」
凍也の声が震えているように聞こえるのは俺が泣いているせいかもしれない。
「凍也、そんなの予防策じゃん…。ずるいよ。傷つかないようにするための予防策っていうかさ」
「だって、そうするしかないだろ。俺が本気の姿勢見せてたら、こんな風にあいつと仲良くやることも出来ずに終わってたんだよ。
知ってる? あいつモテるんだ。結構、フってんの。相手には困らないんだろうし。
けど、俺とよくしてたのはさぁ。…俺が、悠貴に恋愛感情持って無くって、悠貴の事情も呑み込んでる…都合のいい相手だったからなんだよ」
「それで、凍也はよかったの?」
「いいっつってんじゃん…。……それでもあいつとたくさん出来て…特別になれた気でいれたんだからさ…」
特別。
確かに凍也は悠貴にとって特別な存在だったと思う。
おかしいのは悠貴だ。
彼女なんて……なんで作るんだよ。
そりゃあね。
たくさん告白されてたら、好みのタイプにあたるかもしれない。
智巳先生のことはもう諦めてるかもしれない。
凍也のことは、本当に、体の付き合いもある友達ってレベルなのかもしれない。
凍也のことだから。
上手く隠してたかもしんないし。
凍也自身、フリーでいたいからって、先に悠貴に言ってたんだろうし。
だから、悠貴だって、凍也を縛ることなんて出来なかっただろう。
そうだ。
そうだよ。
凍也もバカなんだよ。
もっと素直になってれば。
予防策なんてはってないでさぁ。
伝えればよかったんだ。
もしかしたら、それでこの関係が終わることになってたかもしれないよ?
でもやっぱり、好きだって感情、隠すなんて駄目なんだよ。
「凍也のバカ…」
「なんでだよ」
「バカだから、傷つくんだよ」
まるで凍也の代わりみたいに、俺の方が泣きまくっていた。
凍也は振り返って、起き上がると俺の体を抱きしめた。
「凪……。どうすればいいのかわかんねぇ」
「凍也…」
「俺自身、しばらくフリーでい続けたいって思ってた。思ってたけど、フリーの状態でも傍に悠貴がいたから思い続けれてたんだよ。
ラクで、縛られなくて。
それでも、特別でさ。
……そう思ってたのって、俺の方だけだったのかな」
俺は凍也の頭を撫でながら、
「そんなはずない」
と、答えた。
「ねぇ、凍也…。悠貴は、たぶん…彼女が出来ても、凍也の傍にいてくれるつもりだったんだと思う」
凍也との関係は崩さないままで。
ただ、彼女っていう肩書きの子が一人、追加されただけ。
「…そうだろうね」
「ただ、体の関係はなくなるかもしんないけど、普通に友達として、傍に…っ…」
「わかってる。あいつがそういうつもりで、彼女作ったのも。
けど、俺は……いつまでもあいつと、都合よく遊びでやり続けてたかったわけじゃねぇんだよ。
そういうこと、気がねなく出来るくらいの親友に俺となれてたつもりかもしんねぇけど。
俺は心のどこかでは、違うこと考えてたし。
好きだったから…。だから、あいつに彼女が出来たら、崩れんだよ、こんな関係」
例えば本当に、都合よくお互いが恋愛感情を持たず、ただ遊びでやれる間柄の友達がいたとして。
片方に恋人が出来ても、友情関係に傷なんて付かないだろう。
そりゃ、やったりはしなくなるかもしれないけれど。
でも凍也は、駄目だ。
悠貴が好きだから。
「……もういいよ、凪…。大丈夫だから」
「凍也…」
凍也はそっと俺から体を離した。
「終わろうって言ったのは俺の方からだし」
悠貴もそう言ってた。
凍也の方から、終わりを切り出されたって。
悠貴はそれで、少しでも傷ついてくれた…?
凍也が好きになった人だから、悪くは言いたくない。
悠貴のこと、理解出来ないわけでもない。
けどね。
俺にとって凍也は大事な友達だから。
こんなにも凍也を傷つけた悠貴をやっぱり許そうだなんて思えなかった。
「凍也…もう、悠貴に近づいちゃ駄目だよ…」
「はは。傷つくかな」
「やめようよ」
凍也が頷くと、涙が下へとこぼれた。
その日、初めて俺は凍也の涙を見た。
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