10時か。
 さすがにもう遅刻組も学校行ったよな。
 
 普段、寮の管理人室のさらに隣の部屋で隠れるようにして生活している俺だが、もちろんずっと引きこもっているわけではない。

 ちゃんと、管理人室にいることもあるのだ。
 というか、生徒がいないときには出てきている。
 一応、宅急便の受付とかもするし。

 椅子に座ってパソコンに向かったときだった。
 窓ガラス越しに一人の生徒と目が合ってしまう。

 ……こんな時間に登校かよ。
 いつもなら見て見ぬフリをするんだが、いかんせんタイミングの問題だ。
 ちょうど椅子に座って顔をあげたらいたもんだから。

「あれ、管理人さん? おはよーございますー」
 髪を金に染めたその生徒は軽いノリで、それでも挨拶してくれる。
「おはよう」
 俺も一応、営業スマイル。
「俺、初めてですよね。会ったの」
「まあ、そうだね」
「ちょっと話には聞いてたんすよ。あまり見かけないけれどかっこいい管理人さんがいるって」
「そう……」
 生徒同士の噂なんて、ほとんど適当なもんだろう。
 軽く受け流すつもりだったんだけどな。
「ホントだったんだ」
 なんとなくそう言ってくれる言葉に裏がないような気がして。
 ちょっと、嬉しくなってしまう。
「管理人さんって、どういう名前なんですか?」
「……須藤だけど」
「あ、俺名乗ってなかったか、すみません。えっと、真乃です、真乃凍也」
 
 カラコンだろう、青い目をした凍也はにっこり笑って俺に手を振った。
「じゃ、そろそろ俺、学校行ってきます」
「ああ、いってらっしゃい」

 生徒と関わりを持つのは面倒だなって思ってたんだけど。
 ちょっと、温かい気持ちになれるような、そんな気がした。

 それからというもの。
 いつもより少しだけ早くに顔を出すようになってしまう。
 まあ、それでもピーク時間は避けるんだけど凍也は結構な頻度で、遅刻するから。

 挨拶程度だが、それでもなんだかかわいいなぁって思えちゃったりしてさ。
 頻繁に見ていると、機嫌がいい日や悪い日、そういうのもなんとなくわかった。
 あーあ。俺って気持ち悪い。



「ね、須藤さんって、生徒とやったりすんの?」
「……基本的にはしないけど」
「へー。やりたい放題じゃんって思ってたんだけど、してないんだ?」
 やりたい放題ってこともないだろうけれど、確かにやろうと思えばやれるよなーなんて思ったりもする。
「一応、付き合ってるやついるし」
「そうなんだ? 男?」
「……まあね」
「じゃあ、俺とは出来ない?」
「……出来ないこともないけど。学校行きなよ」
「ちぇー。まあ行ってくる」
 朝からそんな話をすることもあった。
 
 そもそも、凍也はタチだろう?
 ……まあ俺は普段、やられる側だから駄目ではないけれど。
 高校生にハメられるってのもなぁ。
 
 


「須藤さん。俺、いままでやられても気持ちよくなかったんだけど。昨日、ちょっとよかったかも」
 凍也が少し愉しそうに俺にそう教えてくれたことがあった。
 それが始まりだったのだろう。
「昨日、したの?」
「うん。同じ学年のやつと。須藤さんは、いつもどっち側?」
「大抵、やられる側」
「そうなんだ? やっぱはじめって気持ちよくなかった?」
「探り探りだったから、悪くはなかったよ」
「へぇ。いいね。そういうの」

 あまり引き止めるわけにもいかないし。
 いつもソレくらいの会話。

 ただ、それでも、少しずつ凍也のことがわかってくる。
 今、誰とも付き合っていないってこと。
 同じ学年の、悠貴とセフレ状態にあること。
 凍也自身は、悠貴のことが好きなんだろうなってのも予測が出来た。
 直接聞いたわけではないけれど。  
 
. .


 いつもなら夕方か夜に戻ってくる凍也が、その日は珍しく昼間に戻ってきた。
 俺が見ているのにも気付かないで部屋へと向かってしまう。

 そこまで生徒のプライベートに関わる気もないし、やっぱり一線引くべきところは引いておこうと思っていた俺は、追いかけなかった。

 たぶん、悠貴なんだろうなって思ってはいたけれど。
 高校生だし。
 恋愛でいろいろあるなんて当たり前だ。

 向こうから、言い出さない限りは、聞き出すべきじゃないだろう。
 少しすると、凍也の友達である凪が部屋へと向かっていた。
 なんだか、友達っていいなぁなんてほのぼのしてしまう。
 凍也には、心配してくれる友達がたくさんいるのだろう。
 気になりはしたが、きっと大丈夫だと思うことが出来た。


「須藤さん、久しぶり」
 3日くらい間を置いた日の朝。
 凍也に声をかけられる。
 あいかわらず窓ガラス越しだけれど。
「久しぶり」
 遅刻せずに学校へ行っていたため会わなかったという可能性もあるが、そうとは思えなかった。
「休んでたの?」
「うん」
「今日は、行くの?」
「……わかんない」
 無理に学校へ行かせるつもりはない。
「体調悪いなら、休んでおきなよ」
 いつもと変わらないテンションで、俺はそう答えた。

「……須藤さんって、ここで寝泊りしてんの?」
「帰ることもあるよ。夜間の管理人さんは別にいるし」
「その夜間の管理人さんはいつくる?」
「夜8時くらい」
「寝泊りするときは、夜間の管理人さん、どうしてんの?」
「顔は合わせるけど、基本、寝る部屋には来ないかな。その時間、向こうは仕事中だし」
 どうした? って聞こうか迷ったけれども、なんだか催促しちゃいけないような気がして、とりあえず待ってみる。

「……今日は? 須藤さん帰るの?」
「まだ決めてない」
 質問責めだな。
「そこで、俺、寝ちゃ駄目?」
 返答が遅れる。
 そこで、寝る?
 凍也が?
「……駄目ならいいけど」
 駄目というわけではない。
 凍也に事情があるんだろうなってのは雰囲気でわかったし。

「凍也一人で泊めることは出来ない」
「……そっか」
「俺がいてもいいなら、いいけど」
 凍也の表情が少し緩む。
「今日、帰らないでいてくれる?」
「いいよ」  

 しょうがないから、今日は泊まるとしよう。
「他の生徒に言うなよ。駄目ってわけじゃないけど、面倒だから」
「わかった。ね、そっち行っていい?」
「学校は?」
「休んじゃ駄目?」
「俺は決めれない」
「……じゃあ、休む」
 凍也がそう言うんなら、しょうがない。
 ドアを開けてやる。
 まあもともと鍵はかかってないけれど。

「須藤さんが寝てるところは?」
 奥のドアを指差して示す。
「……入っていい?」
 まあ、ここじゃあ他の生徒が通るたびに丸見えだしな。  

 俺は、凍也を隣の部屋へと通した。
「……ルームメイトとか友達に、心配されるから」  

 ここへ来た理由か。
「そう」
「まあ心配かけたくねぇから、なんでもないフリすんだけど。ちょっと、疲れちゃった」
 特に落ち込んだ様子は見せないにしても、あまりにローテンションだったり、寝てばかりいては不審がられるだろう。
 演技をし続ければ疲れてしまう。
 そんなところか。

「……寝てていい?」
 いつ先輩が帰ってくるかわからない場所よりは安らぐか。
「いいよ」
「……須藤さん、前に俺と……出来ないこともないって言ってたよね」
 ……生徒とやるかって話のとき。
 確かにそう答えた。
「あれって、いまでも変わってない?」
 俺より少し背の低い凍也は、不安そうな面持ちで俺を見上げた。

「結論だけ言うなら、変わってないけど」
 出来ないこともない。
「結論の前に、過程があるんだ? ……ノリ気ではないってこと?」
「事情による」
「そっか」
 凍也は俯いて、敷かれた布団へと視線を向ける。
「とりあえず、寝させてもらうよ。須藤さん、仕事中だしね。また……夜に」
 夜になったら、事情を話してくれるのだろうか。
 まあ凍也が言うとおり、俺はいま一応仕事中なわけだしね。
 寝転がる凍也へと布団をかぶせた。
「……須藤さん。5分だけいい?」
 立ち上がろうとする俺に凍也が声をかける。
「なに?」
「右手、貸して」

 凍也が泣き出しそうでつい、視線を逸らした。
 右手を差し出すと、その手に凍也の指が絡まる。
「5分だけでいいから」
「わかった。5分で寝るように」
「はーい」
 
 言葉通り、凍也は5分も経たないうちに寝付いたみたいだけれど。
 なかなかその手を離すことは出来なかった。