「あっ、榛先輩っ」
友達の、和奏の部屋につくと、元気よくそう言う声。
和奏のルームメイトの村尾淳だ。
「久しぶり。あいかわらず元気だな」
「へへ♪あ、榛先輩と同じ名前の人とね、俺、付き合うってことになったんだよ」
唐突に、淳は、うれしそうに言う。
「そうなんだ…。いいな。楽しそうで」
「榛先輩、要と付き合ってるんだろ? 楽しくないの?」
楽しい…?
そう聞かれると、『楽しい』と、即座の答えれない自分がいた。
「榛、ま、座りなって」
和奏の声のおかげで、俺は淳の質問をそのまま答えずに、はぐらかした。
「…淳、彼氏んとこ、行くんじゃなかったの?」
「そうだっ。じゃねっ。バイっ」
あわただしく、部屋を飛び出る淳を、和奏と見守りながらも、さっきの淳の質問が自分の中に留まる。
楽しい…?
このまま…要と付き合っていていいんだろうか…。
「榛…? 大丈夫か? ボーっとしてる…」
「…ん…。和奏は…彼女と最近どうなわけ…?」
「まーぁ、ぼちぼちってやつ? 何事もなく、平凡に付き合っとりますわ。榛みたいにモテんから…?」
にっこり笑って、そう言うと、暗い俺の頭をそっと撫でた。
「榛は…要を好きじゃないの…?」
「…好きなんだけど…もっと…俺のこと…前から…大切に思ってくれてる奴がいて…。…そいつのこと思うと…ちゃんと、要のこと、愛してやれないって言い方、くさいけど…そんな感じで…」
和奏は、俺に暖かい紅茶を入れて手渡す。
「…落ち着くよ。その紅茶」
「…さんきゅ…」
単なる気休めだけれど、そう言ってくれたおかげで、本当に落ち着いてきていた。
「…どうしても…罪悪感が…付きまとうんだよな…」
「要といるとき…?」
「…そう…。俺って、要のこと好きでいいのかなぁって。…俺のこと好きって言ってくれる奴がさ…ずっと傍にいるのに…そいつ無視して…いいのかなぁって思うんだよ…。なんか…苦しくって…」
「…榛は、そいつが好きなの…?」
「…ずっと友達で…そうゆう対象で見ないようにしてるから…。大切な友達だよ…」
むずかしい。
自分の気持ちがよくわらかない。
「…好き…だとか、わかんねぇけど……そいつ抜きの生活って、なんか考えれないかも…」
「そっかー…。それで、そいつは、榛のことが好きなんだろ…?」
「…たぶん…。でももうわかんねぇよ。今は好きじゃないかもしれなくて…。だからまたやっかいで…。そいつとやるときは、逆に要に対して罪悪感、感じたりもするし……。昔、告られたんだけどね」
「おぉ。フッたんだ…?」
振ってない…。
けど、OKを出したわけでもなくって…
「…まだ、保留…」
「いつから…」
「…中学1年…」
和奏はオーバーリアクションで、驚きを表す。
「ちょ…っと、そりゃ保留しすぎじゃん」
「…だからもう、忘れられてるかも」
「でも、いつも傍にいる奴なんだろ?」
だから、それはただの友達で…。
もう、好かれてないのかもしれない。
「俺は、榛はそいつと付き合った方がいい気がするけどね。要といても罪悪感、感じるんだろ…? 絶対…優斗と一緒になった方が…ラクだし、いいと思うよ…?」
「…優斗って、一言も言ってねぇんだけど」
「…バレバレじゃんか…」
まぁ、優斗以外、考えれないかもだけど…。
それに、和奏に隠すつもりもないからいいんだけど…。
「要に…悪いよ…」
「…しょうがない…じゃん…。それに、罪悪感、感じながら抱いてて…榛も楽しくないだろうし…要の方も、あんまいい気しないんじゃない…?」
ちゃんと、愛してやれないくらいなら、別れて、もっとちゃんと、要のことを愛してやれる奴と付き合った方が要のためにもいいだろうってことか…?
「…俺と、優斗が普通の友達に…戻ればいいと思わねぇ…?」
「普通の…友達にね…。戻れるの…?」
「…わかんねぇけど…」
戻れたら…俺も、要のこと、ちゃんと好きでいられる…?




中学のころ…。
優斗は俺のことを好きだと言って、そっとキスをした。
なにがなんだか、わからないまま、俺はそのキスを受け止めてしまっていた。


「……俺、今日、もう帰るわ…」
優斗にキスされて…。
嫌がらなかったというか嫌がれなくて…。
なんだか、そのあと気まずい状態になっていた。
「榛…っ…俺…ホントに…榛のこと…っ」
「…ん…」
優斗の方も見れずに、ただ、少し頷いた。
それは、『わかった』っていうだけで…『俺も』っていうのとは違った。
「榛…じゃ、また明日…」
「う…ん…」


家に行く道がやたら長いような気がして…
ボーっとしちゃってるのが自分でもわかる。
明日、どういう顔して優斗に会えばいい…?
なにごともなかったみたいな態度が取れるんだろうか…。


なるべく、なにも考えないようにして、次の日を迎えた。
やはり、いつもみたいに、登校中に優斗と合流。
「榛、おはよ」
「あ…おはよ…」
なにごともないような態度の優斗に安心して、少し、心が晴れたのもつかの間…。
隣にいる優斗の手が、俺の手に触れただけで、過敏にびくついてしまっていた。


気づいた…よな…。
だって、あんな…『好き』とか言われて、普通の態度なんて取れるわけがない。
「…榛…」
もう、優斗の顔も見れない。
やっぱ、平気なフリとかしてみても、ぜんぜん駄目。
気まずくて堪らなくって、こんな空気、絶えられそうにない。
「…俺、忘れ物したで、先行ってて」
「あ……」
違うだろ…?
こんなタイミングで、忘れ物に気づくかよ。
忘れて困るもんなんてそうそうないだろ?
なんで、わざわざ…

おまえの口実は、おかしすぎるよ…。
わざとってのが、わかりすぎる。
「わかった…」
俺は、優斗より、先に教室についた。

というか…
その日、優斗は学校に来なくって…
俺は、その間、ずっと優斗のことを考えさせられた。

次の日、優斗はわざとなのか、俺と登校中に合流することなどなくて…
だいぶ後になってから教室に入ってきた。

なんだか、しゃべりかけれなくって…
優斗も、俺にしゃべりかけようとはしなかった。
あえて無視をするだとか、そういったことはされなかったが、避けられているようなのはよくわかった。
でも…俺も、避けているみたいになってしまっていた。

そんな日が、しばらく続いてしまっていた。

クラスの奴らだって、いつも2人でいた俺らが、いきなり別々になって、中には不思議に思ってる奴もいるだろう。
それでも、そんなこと、あえてつっこまないから、誰もなにも言わずにいて…
なにごともないように過ぎてしまっていた。

これで…いいのか…な…

あんなに…
ずっと、仲良くって、いつも一緒にいたのに…
こんな風に離れていくのが、信じられなかった。
ものすごく…嫌だった。

もう…こんな生活が続いて、俺の中で優斗の存在が、少しだけ薄れていった。
もちろん、元の状態に戻りたいと、何度も思ったりした。
それでも、そんな風に戻るきっかけなんかもなかったしで、このままの状態になってしまっていた。


しばらくしたある日。
俺の家に、優斗の弟である啓吾がやってきた。
「…あれ…? どうしたん? 啓吾」
とりあえず、俺は、自分の部屋に啓吾を上げた。
「最近さ、榛くん、俺の家来ないやん。俺、ゲーム借りたままだったし、あんま長いこと持ってちゃ悪いで、持ってきた」
そう言って、俺が貸していたゲームのソフトを差し出した。
もう、すっかり忘れちまってもいたんだけど…。
「なんで、最近、来ないん? 部活とか?」
啓吾は、俺が優斗と気まずくなったのだとか、もちろん知らないわけだから、そう疑問をもつのもわからなくなかった。
しかし、俺が、『優斗と今は、仲良くない』なんてこと、弟である啓吾に言えるわけがない。
「部活、さりげに忙しくってさ。休みの日とかもあるんよ」
「大変やん。ひまになったら、ゲームしに来て」
「わかった。行く」
啓吾と3人だったら…。
優斗も前のままの状態でいてくれるような気がした。
そりゃ、気まずさとかはあるけれど、優斗も以前のふりをしてくれるだろうし、俺だってする。
久しぶりに…会ってみたくなった。
学校の教室で会ってるけれど、クラスのみんながいるせいでか、ものすごく遠く感じていた。

なんだか、今の状態が中途半端でとてつもなく嫌だった。
自然消滅みたいな、こんな友情関係の終わりだなんて…どうもすっきりしないというか…
とてつもなく不快に思う。
それは、優斗が、もう小学校からの友達で、ずっと一緒にいたからだろう。

ちゃんと…話し合いたいだなんてことを思ったりもした。
「じゃ、今から、行くよ」
「いいの?」
「うん。なんか、ゲーム持ってこうな」
俺は、最近買ったゲームソフトを持って、啓吾と一緒に、家を出た。


「最近、優斗兄、疲れてるっぽい」
啓吾が、少し困ったような顔で、こちらを見ながらそう言った。
「…疲れ…?」
「うん。なんか、優斗兄が一人でいる時間が多くなったっていうか、すぐ部屋こもっちまうの」
「そ…なんだ…」
なんか、それを聞いてほっとしてしまっている自分がいた。
優斗が疲れてたり、部屋に閉じこもったりしてるっていうのに…。
俺と仲よかったときと、優斗がなにも変わってなかったら、それはそれで寂しいと思ったからだ。
そりゃ、なにも変わってなかったとしても、優斗がそうゆうフリしてるだけだとか、変に期待するかもだけど…。
学校では、あいかわらず、何事もないみたいに、ただ、俺の傍から離れてて…
少しだけ、切ないような感情を味わっていた。

「優斗も部活で疲れてんじゃないの?」
「美術部って、なんか疲れんの?」
「さぁ。でも肩とかこりそうじゃん?」
「そだねー」
あぁ…。
なんで、優斗の話ばっかしてんだろ。
そりゃ、啓吾と知り合ったのは、優斗を通じてだからそれはしょうがないことかもしれないよな。


啓吾の家に着くと、妙な緊張感が走った。
「ただいま〜」
「…おじゃましま…す…」
啓吾に続いて、俺も上がらせてもらった。

俺らがいつも一緒に遊ぶのは優斗の部屋だった。
今日もまた、いつもみたいに啓吾が優斗の部屋へと向かうのに、俺はただついていった。
「兄ぃ…?」
「…啓…? 遊ぶんならちょっと一人でか、透と遊んでてや…。ちょっと、疲れて…」
優斗は、自分のベットに寝転がったまま、こっちも見ずにそう言った。
「じゃ、ここでゲームしてていい?」
ゲーム機はまとめて優斗の部屋に置いてあった。
テレビが1台しかないわけではないが、いちいち接続しなおす手間を考えると、ここでゲームをするのが一番よかった。
それに、ここ以外のテレビといえば、キッチンだとか、あまりゲームをするにふさわしくないような場所だった。
「ん…。かまわんよ」
「じゃ、榛くん、やろ」
その言葉に反応して、優斗がいきなりベットから起き上がった。
「な…っ…榛…?」
「久しぶり」
俺は、以前のように自然にそう応えた。
「な…んで…来…」
「来ちゃかんわけ?」
「そうじゃないけど…」
自然なフリをするだけなのに、妙に緊張が走っていた。
「じゃ、やろ、榛くん」
「ん、啓吾が1コンで、俺が2コンな」
別に優斗を避けているわけじゃない。
けれど、そんな感じになってしまっている。
気まずくって、元通りになんてなれそうもない。
俺は、啓吾にゲームのコントローラーを渡し、一緒にやりはじめた。
内心、めちゃくちゃな緊張感が走っていて、正直、ゲームどころじゃなかった。

優斗が、そんな俺を見ていそうで、気が気じゃなかったりもした。
「啓…。榛と2人にしてくれん…?」
優斗が静かにそう言った。
「えぇっ、やだよ、今、榛くんとゲームしてんのにっ」
「いいじゃん…。3人で」
優斗と二人になりたくないなんていう感情が、少しよぎっていた。
「わかった…。榛…」
横からアゴを取られ、その触られた手の感触に逃げようとしても、無理で、そのまま、深く口を重ねられる。
「っ…っンっ…んっ…」
啓吾が…いるのにこんな…。
2人きりだったらいいかといったらそれもわからないが、こうゆう状況にならないように3人でいたのに…
舌が入り込み、絡みとられ、気が遠くなりそうな中、ゲームオーバー音だけが、妙に耳に響いた。
「んぅっ…ゃっ…んっ」
流し込まれた唾液がアゴを伝う。
ゆっくりと、離された口元からは、唾液の糸が引いて、羞恥心を煽らせた。
俺は、なにも言えずにただ、肩で大きく呼吸する。
啓吾も、なにも言えずに俺らを見ていただろう。
「な…啓ちゃん。2人にして…」
優しく言う優斗に、啓吾は従ってその場に立つ。
「っ啓吾…っ」
つい、不安な感情が隠し切れずに表情に出ていただろう。
啓吾を見て、行かないで欲しいと願ってしまっていた。
「…榛…いろいろ…2人で話したい…」
「…ん…」
「じゃ…ぁ…榛くん、また…ね」
「ん…また…な」
啓吾は複雑な表情で、部屋を出て行った。



「榛…。もう、来んといて…」
「…なん…で…? 優斗、わけわかんねぇよ」
俺のこと…好きとか言ったくせに…。
「…榛が、来てくれんのはうれしいけど…。榛の嫌がること、してまう…」
「別に…嫌がって…ないやんか…」
「でも…っ」
「だって、あんな…っ…。どうゆう態度とればいいのかわかんねぇよ。周りの目とか…やっぱ気になるしっ。…気まずい…ような…」
恥ずかしくって、まともにしゃべることなんて出来なくなっちまう。
「…でも…嫌じゃない…から…」
「…ホントに…?」
「う…ん…」
「…ごめんな…。気まずくなるの、俺もやだけど…でも…好きなん…。…榛のこと…好きでいさせて…」
お前は、俺と気まずくなってもいいわけ…?
それでも好きって思われるのはうれしくて…。
そっと、頷くと、溢れる涙が重力に従って落ちていった。

「…榛……。キス…させて…」
「…ぅ…ん…」
横を向いた俺の口を捕らえた優斗は、そのまま俺を床へと押し倒す。
「ん…っ…ん…」
何度も、角度を変えて優斗は口を重ねなおした。
「ぁっ…優斗…っ…ゃ…っ」
首筋に優斗は口をつけ、そっと吸い上げる。
その感覚に、体が少し、ビクついた。
「…ゃっ…ん…」
「榛…。ホントは榛のこと、めちゃくちゃに犯したい…」
「や……な…に…言って…」
「でも…怖いから、止めとく…」
少し、苦笑いして、優斗は起き上がり、俺の腕を取って起こさせた。
「…怖いって…何が…?」
「…榛に…嫌われたら、俺、やってけんから…」
少し冗談めかして、優斗はそう言った。
今まで友達だったのに…。
いきなり好きだとか…。
俺だって好きだけど、そんな対象で見るようになっちまったら、もうお前と友達でいられないような気がする。
気まずいよ…。




結局、気まずいまま。
中2、中3は、クラスも違って、ほとんど話すこともなくなってしまっていた。


高校に入って、優斗は何事もなかったみたい俺と再会して…
何事もなかったみたいに、友達のふりをしていた。
もしかして…
ふりじゃなくって…
もう、好かれてないのかもしれない…。

高校に入ってから優斗の言う『好き』は、友達としてだとか…冗談っぽくだとか…。
そんな感じだった。
それは、また、気まずくならないようにそうしてくれてるわけ…?

わかんねぇよ。
おまえの、好きってのが、友達としてなのか、そうでないのか。

考え込んでると、苦しくてどんどんと迷い込んでいた。


「今さ…。俺、優斗とめちゃくちゃ中途半端に、セックスフレンドみたいになってて…。わけわかんねぇからはっきりさせたいんだよ…」
「…そだね…。優斗が、まだ榛のことちゃんと好きだったら、付き合った方がいいと思うよ」
付き合う…?
優斗にも…俺にも彼女がいるのに…。
本当に、それでいいんだろうか…。
それ以前に、優斗は今、俺のことをどう思ってる…?
好きじゃないなら好きじゃないで、中途半端に手を出さないで欲しい。
たしかに、今みたいなちょっと遊びにも似た手の出され方ならば、気まずくはないかもしれないけど…。
俺だって、優斗が好きだから…
そんな風に手、出されたら…やっぱ、だんだん意識しちまって…気まずくなるって…。


「…友達に…戻りたいんだよ…」
「あーもう、ほら、行ってきな。行こうと思ったときに行かないと、また、考え込んでわけわかんなくなるって」
和奏に後押しされて、俺は、優斗の部屋へと向かった。