「ただいま」
 夏休み。
 久しぶりの我が家だ。
「おかえり。誠樹」
 そう出迎えてくれたのは10はなれた兄貴。
 実家近くで働いている。
「今日、仕事休みだったんだ?」
「まあ俺んとこ前月に希望取れるから、どうせだしお前帰ってくる日に合わせようかなって」
「今日以降、しばらくいるよ」
「そうだけどさ」
 そう言って頭を撫でてくる。
 あいかわらず子ども扱い。
 けど、10も離れてたらそうなるかな。
 いまもし、俺に7歳の弟がいたらたぶん、かわいくて仕方ないだろうし。

「母さん、ちょうど買い物出てったとこなんだよな。とりあえず手、洗っといで」
「はいはい」
 兄貴に従い手を洗い、戻ってくると兄貴がジュースとお菓子を用意してくれていた。

「高校は、どう? 勉強、難しい?」
「普通くらいじゃないかな。テストの順位はとりあえず半分よりは上にいるよ」
「そっか。友達は? 百合音くんとはあいかわらず仲いいの?」
 小学生や中学生相手に話しかけてくる親戚の人みたいだな。
 兄貴は、俺と百合音が仲良しなのを知っている。
 百合音の家はそう遠く無いし。
 百合音が家に遊びに来たとき、兄貴が居合わせることもあった。
 もっとも、エロいことをする関係だってのはばらしていないが。

「今日、一緒にこっち来たよ」
「そっか。……変わってないね」
 兄貴は俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。
 兄貴も、全然変わってないな。
「そうそう変わらないだろ」
「……そうだね。百合音くんはあいかわらず誠樹のこと、守ってくれてるんだね」
 守ってくれてる。
 以前ならスルーしてた。
 兄貴は俺に対して甘いし過保護だから、そういう言い回しをするんだとばかり思っていたけど。
 少し気になるな。
「守るってなに?」
「ん……?」
「あいつとは仲いいけど、守るとか守られるとか、そんなのじゃねぇし」
「そう?」
「あいつも、おかしいんだよ。俺のこと、守るとか言ってきたりして。……悪くはねぇけど。兄貴も今、百合音が俺のこと守ってるみたいな言い方しただろ」
 兄貴は、百合音に頼んだりそこまでするような人ではないと思っているけれど、少しひっかかる。
 ただ、過保護が共通しているだけ?

 俺が昔、百合音のことで泣いたって。
 いくつの頃のことだろう。
 けれど、俺が例えば5歳くらいだとしても兄貴はもう15歳。
 知ってる……?
 
「誠樹。お前が泣くから百合音くんが傍にいてくれてるんだろ」
 少しため息をつくみたいに兄貴はそう言った。
「え……」
「それって、守ってるってことじゃないの?」
 俺が泣くから。
 やっぱり、兄貴は知ってるんだ。

「……もう泣かないよ。子供じゃないんだし」
「それで、もう守ってくれなくていいってこと?」
 理由はわからないが、百合音は泣く俺の傍にいてくれた。
 そのありがたみを忘れ、うっとおしいと思い始めた。
 実際に離れて、やっぱり傍にいて欲しいと考え直すことが出来た。
 けれど、守られてるばかりの存在でいるわけにも……。
「……いらないとか、そういう意味じゃねぇよ。ただ、本当に……もう大丈夫だってだけで」
「そう。誠樹が強くなったのならよかった。けど、いままで百合音くんが守ってきてくれたことには変わりないから……ね」
 守られていたという実感はあまりない。
 けれど、兄貴が言うには、俺は守られていたということになるのか。
 泣くから、傍にいてくれたって。

 自分で思い出すべきか。
 百合音が言う通り、思い出さなくていいのか。
 よくわからない。
「百合音のことで、俺が泣いたって……」
「ね。百合音くんが、責任感じる必要ないのに」
 
 兄貴は、なんでもない思い出話でもするように軽い感じでそう言った。

「……昔のこととか、覚えてねぇよ」
「恥ずかしい?」
「っ……恥ずかしいとかじゃなくって、本当に」
 覚えていない。
「確かに、忘れるようなことかもしれないけどさ。百合音くんにとってはそうじゃなかったんだろ。誠樹もいま、百合音くんの傍にいる。俺は2人のこと、応援してるから」
「な……っ」
 応援してるとか。
 なんだよそれ。
 まるで付き合ってるとかそんな感じじゃ……。
「兄貴は知ってんだろ。俺が泣いた理由」
「一応ね」
「……自分で、思い出せそうにないんだ。教えてよ」
 やっぱり気になるから。
 知っておきたい。
「知らなくてもいいんじゃないかな」
 百合音と同じこと言いやがって。
「教えてよ」
 兄貴は一つため息をついて、持っていたコップをテーブルに置いた。

「誠樹ってさ。ホント、全然泣かないやつだったんだよ。百合音くんのこと、からかったヤツに喧嘩ふっかけたりしててさ。俺はやっぱり、百合音くんを見捨てず助けてる誠樹見て、兄貴として嬉しかったし、百合音くんはもっと嬉しかっただろうね。いつもお前が守ってた」
 小さい頃は、無駄に正義感だけで突っ走っていたんだろう。
「百合音くんにとって、誠樹はすっごく強い存在だったから、泣いてる誠樹見て、ホント、びっくりしただろうね」
 軽いトラウマ。きっかけだって言っていた。
「誠樹は、百合音くんとは結婚出来ないって保母さんに教えてもらって、泣いたんだよ」
 百合音とは結婚出来ないって。
 なにそれ。
 言葉が出ない。
 バカじゃねえの、俺。
 笑うとこなのか、恥ずかしがるとこなのか、はたまた呆れるところなのか、さっぱりわかんねぇ。
 混乱する。
「そんなことっ! なんで保母さんが言うんだよ」
「だから、お前が保母さんに言ったんだろ。百合音くんと結婚するって」
「っ……なんで……」
「したいと思ったんだろ。将来」
 バカだ。
 本当に。
 いくら小さい頃の間違いとはいえ、そんなこと言うなんて。
 それで保母さんが、男同士は出来ないんだよって教えてくれたってことだろ。
「そんなんで俺は泣いたのかよ」
「だからさ。みんなびっくりしたんだよ。普段泣かないお前が泣いたから。それくらい、百合音くんのことが好きだったんだろ」
 だからあいつは、俺に『お嫁さんになって』だなんてわけのわからないことを言ってきたのか。
 その言葉だけは覚えている。
 泣いて落ち込む俺を、百合音が初めて救ってくれた言葉……ということになるのだろう。

「誠樹はまだ小さかったけど、人を好きになる気持ちは持ってたのかなって。いまでも仲がいい2人見てると、なんかいいなって思うよ」
 いいなって。
「っ……男同士だし」
「だから、泣いたんだろ」
 ……そういうことだ。
「あの頃から、俺たち家族は免疫ついてるよ。子供のたわごとだってスルーすることも出来たけど、ずっと百合音くんは傍にいてくれてるし。俺たちは、お前にあまり泣かないでいて欲しいだけだから。世間体とか気にしなくていい。お前が好きなら、応援する」
 好きだから泣いた。
 いまでもたぶん、変わらない。
 百合音にもし『男同士だから、無理だよ』って言われたら……。

 そうか。だから百合音は俺が泣かないように、ずっと傍にいて、男同士だろうが関係ないように接してくれて。
 俺を、好きでいてくれている。

「いいのかよ。それで」
「いいんだよ。もしダメだってんなら、誠樹の傷が深くならないよう、俺たち家族が百合音くんと同じ高校にさせてない」
 あ、そういえば。
「俺、志望校変えたじゃん。中学校の頃とかあまりにも百合音がつっかかってくるからちょっと離れたくて変えたのに、高校、真似されて……」
 なんで、俺の志望校知ってんだよって思ってたんだけど。
「だから。俺たち家族、お前らのこと応援してるから」
 ……百合音に志望校教えたってことか。
「なんで、そんなこと……っ」
「反抗期の勢いだけで、離れ離れになっちゃもったいないでしょ。百合音くんなら、誠樹が本当に拒絶すればそれを受け入れてくれると思ったし」
 百合音のこと、買いかぶりすぎじゃ……。
 もっとも、兄貴や家族は俺に対して結構甘い気がするから、俺を好きだと言う百合音のことも好きなのだろう。
 変な虫というような扱い方ではない。
「……ありがと」
 一応、お礼を言うと俺の頭をそっと撫でてくれた。
「誠樹、つまり、そういうこと?」
 そういうこと。
 礼を言うってことは、ほら。
 百合音と同じ高校に行かせてくれてありがとうってことで。
 百合音と、一緒にいられることを感謝しているわけで。
「……そういうこと」

 いまでも、百合音が好きなんだ。