翌日、いつもより遅い時間に部屋を出て、管理人室を覗き込む。
「あ、いた! 須藤さん!」
 あんまり生徒と顔を合わせたくないのか、登校時間に須藤さんを見かけることはほぼない。
 でも、こうしてみんなが登校した後くらいだと、結構、会えるんだよね。
「遅刻だよ、凍也。急ぎな」
「ちょっとだけ話聞いてよ」
 管理人室に入り込む俺を、須藤さんは止めないでいてくれた。
「ねぇ、須藤さん。なんで岬のルームメイト、俺にしたの」
「凍也が1人で空いてたから」
「じゃあなんで、最初は俺、1人だったの」
「それは前にも答えたはずだけど」
「答えになってなかったよね。不真面目だから1人ってわけじゃないとしか言ってくれなかった」
 あのときは、なんとなくそれで流したけど。
 須藤さんは俺を見て、小さくため息を漏らした。
 めんどいなーって思ってるのかもしれない。
 それでも、面倒見いいから、教えてくれそうだ。
「凍也……ルームメイトに心配かけたくなくて無理するだろ」
 去年、落ち込んでた時期、ルームメイトや友達に心配かけたくなくて、管理人室にいさせてもらったことがある。
 1人部屋だったら、須藤さんに頼ることもなかったかもしれない。
「俺が須藤さんのこと、頼ったから? 迷惑だった?」
「そういうわけじゃないよ。ただ、1人の方がラクかなって思っただけ」
「ありがと。でもそれ、めちゃくちゃ贔屓じゃん」
「凍也だけじゃない。他にも数人いる」
「へぇ、そうだったんだ」
「けど凍也に関しては俺が勝手にしたことだから。どうかなって思ってた」
 それで聞いてくれたんだ?
「前に聞かれたとき、残念だって言っちゃったけど。いまだからそう思うだけかも」
「いまだからって?」
「最初1人ってわかったときは、残念って気持ちよりも、正直、ちょっとだけほっとした。2か月、1人の時間満喫出来たから、やっと誰か来て欲しいって思えるようになったんだと思う」
 そう告げると、須藤さんは小さく頷いた。
「凍也に聞いたろ。ルームメイト、増えても平気かって」
「うん」
「もし、少しでも凍也が嫌だって思うなら、たぶんやめてた。まだ1人でいたいか、もう無理しなくても誰かと一緒にいられるか。ちょうどいいいタイミングだったから、確認させてもらったよ」
「でも、出来ればダメって言って欲しくないって言ってたよね」
「ダメそうに見えなかったし。出来れば、岬のルームメイトは凍也がいいって思ったから」
 俺がいい。
 それってもしかして、智巳先生が言ってたやつ?
「聞いた話だけど。岬、寮生活になったら誰かに食われんじゃないかって。須藤さんから見ても、それくらい、危なっかしい子に見える?」
「単純に押しに弱そうだなとか、流されやすそうだとは思ったよ。それと人見知り」
「そんな子、俺のルームメイトなんかにしちゃって、大丈夫? 俺、酒もたばこもセックスもするよ?」
 須藤さんは、また一つため息をついて、俺をじっと見た。
 頭にポンと手を置かれる。
「どれも人に強要しないだろ」
「……酒とたばこはともかく、やりたくなるかもしれない」
「凍也、やる気のない子と、するんだ?」
「それは……そういう子とはしたことないけど、押しに弱いんだろ。だったら強引に迫って、やる気にさせちゃうかも」
「向こうもやる気になったなら合意だよ」
「でも……」
「第一、凍也は強引に迫らないだろ」
 ノリと勢いで、何人かとしたことはある。
 けど、よく考えたらどれも、強引って感じじゃなかったかもしれない。
 多少、悪ふざけすることはあっても、相手は選ぶ。
「……岬のこと、見て来たよ。すごくかわいかった。まだしゃべってないけど、マジで手出したくなりそう」
「それで、どうする? やっぱり部屋変える?」
「いまさら……」
「できるよ」
「できないでしょ」
「できる。ルームメイトが来たら襲いそうだって言われて、それが本気なら、変えない方が問題だろ」
 ああ、それもそうか。
「須藤さん……ごめん。俺、本気かも」
 苦笑いする俺を見て、須藤さんは表情ひとつ変えずに小さく頷いた。
「そう」
「ルームメイトだよ。俺を慕ってくれるんだよね? あんなかわいい顔でさ。その上、押しに弱いとか言われたら、しちゃうじゃん」
 須藤さんは、俺の頭に置いたままの手をそっと動かす。
 撫でてくれてる?
「踏みとどまれないやつは、俺にわざわざそんなこと言わないよ」
「……ただ須藤さんには、なんでも言うだけ」
「凍也は、部屋、変わりたい?」
 いきなり襲っちゃうのはまずいと思う。
 でも、岬にはルームメイトになって欲しい。
 変わりたくない。
 沈黙を答えと捉えたのか、須藤さんは俺の頭からやっと手を離して口を開く。
「強引に迫るわけじゃないなら、あとは2人次第だし。凍也は……わかってるだろ。やられる側の気持ち」
 基本的には、いつも俺が攻める側だけど、やられたことがないわけじゃない。
 須藤さんは、俺のそういうことまで知ってくれちゃってる。
 そっか。
 俺、わかっちゃうんだよな。
 そっち側。
 だから、わからない人よりはたぶん、踏みとどまれるし気づかえる……はず。
「それじゃあ、岬のこと襲いたくなったら、ちょっと思い出してみる。される側の気持ち」
「うん。俺も詳しくわかってるわけじゃないけど、少し鈍そうな子だったから、凍也のルームメイトにいいんじゃないかな」
 鈍いから……もし俺が落ち込んでも、心配かけずに済むってこと?
「そっか。ありがと。ところで須藤さん、キスしていい?」
「そろそろ学校行きな」
「はーい」



 学校につくと、俺はまた1年5組の教室を覗いた。
 ちょうど朝のSTが終わって、中から智巳先生が出てくる。
「おはよ。智巳先生、1年5組の担任だったんだ?」
「おはよう。朝からなにしてんだ、凍也」
「ん−……なんでもない。なんとなく通っただけ。岬いる?」
「いるよ。呼ぶ?」
 呼ばなくていいと、首を横に振る。
「つーか、お前、5組覗きすぎてウワサになってる」
「マジで? なんて?」
「怖い先輩が、岬のことジロジロ見てるって」
「あはは。そんじゃあ岬も気づいてる?」
「あいつは気づいてなさそう。ちょっと鈍感だし、周りもあえて岬に伝えたりしてないからな」
 それならいい。
 つーか、マジで鈍感か。
「かわいいね。あ、須藤さんに聞いたよ。俺が岬とルームメイトになった理由」
「なんだった?」
「ん−……俺なら岬に変なこと無理強いしなそうとか、鈍いから俺と一緒にいやすそうとか。智巳先生が言ってたこともたぶん」
「ふーん」
「すごいね、須藤さん」
「すごいよ。ぼーっとしてそうで、よく見てるし、わかってる。マジで人を見る目があるんだと思う」
 智巳先生が言うくらいだし、本当にすごいんだろう。
「俺もそれなりに、見る目あるけどね」
「知ってるって。智巳先生、須藤さんに張り合ってる?」
「まあな」
 そう答えた直後――
「凍也は、まだ落ち込んでたい?」
 突然、いつもと変わらないテンションで聞かれる。
「なんのこと?」
「なんのことか言った方がいい?」
 ああ、気づいてるんだ。
 見る目あるって、そういうこと。
「岬にのめり込めたら、ラクになるような気がしてる。でもこれって、岬のこと都合よく使ってる感じかな。前のやつのこと忘れたくて、新しい子と仲よくするって」
「そういう理由でも、岬は守られるし、お前も守られる。つーか……忘れる必要ある?」
「え……」
「あっちは、忘れたくなさそうだった」
 智巳先生て、ホントなんでも知ってんな。
 まあ、相手が相手だからか。
 俺が好き……だったかもしれない人は、智巳先生のことが好きだった。
 だから、俺とはずっとセフレで、俺もそれでよくて。
 すっげぇ仲のいい友達だった。
 それなのに、あいつが別で恋人作るもんだから、なにかが変わった。
 自分はあいつが好きだったのかもしれないって気づかされたし。
 だからこそ、もう友達でいられないと思った。
 恋人になりたいなんて、考えてなかったはずなのに。
 いまでもわからない。
 もしかしたら、友達が奪われたのが単純に、寂しかっただけなのかもしれない。
「凍也が忘れたくて、忘れられるなら別にいいけど」
「ん……」
「そろそろ授業始まるから」
「そだね。ばいばい」