「篠宮先輩、ついでに返しといてくれません?」

夏休み。
7月末の時点で、俺とルームメイトの尚悟は寮に残っていた。
というのも、結構居心地がいい。
それに家じゃ課題をやる気が失せるからだ。
寮に残ってとっとと早めに宿題終わらそうって魂胆。

使わないだろうと、4年3組の教室に置いて来た和英辞典。
借りるにも、寮に残っている生徒が少なすぎる。
尚悟も使わないとかなんとかで、持って来ていないみたいだし。
やっぱり必要だなと、取りに行こうとしたときのこと。

尚悟が、社会の課題で使ったらしい本を俺に差し出す。
4年の教室と図書館が近いからだろう。
「…お前なぁ…。普通逆だぞ? 『図書館行く用事あるんで、一緒に取ってきますよ』とか言うもんだぞ、普通」
「だーって、篠宮先輩のロッカー勝手に開けちゃ悪いし。そもそも、俺、別に図書館行かなくってもいーし。コレ、夏休み明けでも、まぁぶっちゃけいつでもいーし」
「いや、俺のロッカーは俺が許可を出すから、開けていいぞ。図書館もどうせだから今行け」
「いいっす。もういいっすから。やっぱもうちょっと読もうかなー」
ったく。
「……ジャンケンで、決めよう」
「もともと篠宮先輩が行くのに、ジャンケンでなんて、俺が損じゃないっすか」
「お前も行くつもりだったんだろ」
「いえ。篠宮先輩が無理なら無理で、クラスの誰かに休み明けに持ってってもらうつもりでしたよ」
自分で動く気、まったくないんだな。

「ジャンケン」
「……俺が負けても行きませんよ」
なんてやつだ。
それでもジャンケンの用意をしてくれる。

「じゃあいくぞ。ジャン、ケン、ポイ」
普段、ポイ……って言ってたっけな。
まぁいい。
俺はチョキ。
尚悟は、グー。
あっさり負け。
「…はい。篠宮先輩、行って来てください」
「な…っ。…ちぇ…。…尚悟、お前、負けても行く気なかったんだろ」
「だからはじめからそう言ったじゃないっすか。それに、篠宮先輩に負ける気ないし」
確かに、俺はジャンケンが弱い。
が、こんなの運だろう?

ただ、自分から言い出したことだ。
俺はしょうがなく、学校へ向かった。

そもそも、俺自身が用事あるんだし、図書館に寄るくらいどうってことない。
なんかものすごくパシらされているような気分になったが、実際そうでもないな。

先に自分のロッカーに寄り、その後、図書館へ。

中はクーラーが効いていて、涼しかった。
数人、本を読んでたり、課題をやっている生徒が。

その中の一人、本を読んでいる子。

結構、俺好み。

可愛いなーなんて思いつつ、本を返して。
もう一度、そっちを見ると、今度は疲れたのか、本を閉じ、机に伏せて眠ってしまっていた。

つい、衝動的に俺は1冊適当な本を取り、机越し、向かい合わせに座る。
起こさないようにそっと。

隙間からこっそり顔を覗き見てみたり。
すっげぇ、まつげ長いんすけど。
髪とか細くてさらさらって感じ。
少し長め。
茶色いんだけど、地毛かな。
ってか、なにやってんだ、俺は。
名前とか気になっちゃうし。

ラッキーなことに貸し出しカード。
神は俺の味方ですね。

相川静紀。
そう書いてある。

マジで、かわいんだけど。
このまま去ったら絶対後悔するよな。
むしろ連れ去りたい。
シャツに引かれている一筋のラインの色で2年だと分かる。
あとで尚悟に情報聞くか。

で。
今はどうする?

このまま帰る?
迷いながらもなんとなく、周りを見渡すと、他の奴らの視線も、相川静紀へと向けられている。
…やっぱ、誰から見てもかわいいんだろうな。
俺が、この席からどいたら、たぶん、他の誰かが座って、あわよくばナンパするだろう?

そう思うと、俺はこのまま帰るわけにもいかないんだよ。

…って、別に誰かがナンパしようが関係ないといえば関係ないんだが。

かといって、俺が今、みんなが見てる前でナンパするのもおかしいだろ。
すでに、こんな前の席陣取っちゃってるけど。

とりあえずなんでもないフリして、本読んでみたり。
俺がいるからか、他の奴らは、声をかけに来ない。

どれくらいの時間が経っただろう。
やっと2人きり。
まだ静紀さんは寝ておりますが。
どうしましょう。

髪の毛とか、さらさらっぽくて、つい手を出してしまう。
そっと触れると、相川静紀はすぐに目を覚まし、体を起した。

「……なに」

ジっと俺を見て、少し冷たくそう言い放つ。

「いや、なんとなく…っ」
「なんとなくで触らないでくれますか」
ため息をついてそう言うと、俺とはもう目を合わさずに席を立つ。

「あ、帰るんだ? 今、寮にいるの? 俺も寮だから、一緒に…っ」
少し嫌そうにはされたが、断られはしなかった。

俺は、静紀の横に並んで、一緒に図書館を出た。

「2年だよね…? 夏休み中は、家とか帰らないの?」
「少しは帰るかもしれませんけど」
「そっか」
なんか、どうでもいい話を振りつつ。
俺って、うっとおしいよなぁなんて思いつつ。

とうとう、寮に着いてしまう。
「あの…俺、こっちなんで」
俺が何気なく向かう自分の部屋の方向とは逆の方。
まったく、もうお別れですか。
「あのさ…。また会える?」
「…別にいいですけど」
「名前、聞いていい? あ、俺は、篠宮朱羽」
知ってるけど、一応ね。
「相川静紀です」
「あのさ……。付き合ってるヤツとかいんの?」
いきなり聞くのもなんだけど。
聞いておきたいだろ。
「いませんけど、人と付き合う気、ないですから」
あっさりと。
俺、拒否られてますかね。


ここはもう強行突破で、静紀の腕を引き、不意打ちで口を重ねた。

「……なにがしたいんですか」
結構、平然とサラっとそう言われ、こっちとしてはちょっと、逆に困るんですけど。

「えっと…。なんていうか、もっと、知りたいんだけど」
「とりあえず離してくれますか」
言われるがままに、とりあえず掴んでいた腕を離しますけど。
怒ってんのかなんなのか、わかりにくいな、この子。

「俺に触らないでください」
「あ……ごめん」
結構、嫌われモード?
「…別に謝らなくても、いいですけど」
謝らなくていいんだ?
嫌われてるってわけじゃないのか。
「じゃあ、メアド交換して?」
「いいですけど」

なんだかんだで、アドレスゲット。
また、今度会おう〜なんて言って別れて。
俺はやっと、自分の部屋へと戻った。


「おっかえりー。遅くないっすか?」
「あーもう、尚悟がジャンケン強くてよかった! 聞いて聞いて。すっげぇかわいい子、図書館にいてさー」
「あー、もしかして相川静紀とか?」
なんで知ってるんだ、こいつ。
そりゃ、2年だから、知ってるのかもしれないけれど。
俺、まだなんも言ってないのに。
「なんで、わかるわけ?」
「図書館にあいつ、よく行ってるみたいだから」
「尚悟、仲いいのか?」
「よくないっすよ。でも、2年の中じゃ有名」
「有名? それってあの子が? それとも、あの子が図書館にいるってのが?」
「なに食いついてんすか。あの子自身がだけど」
尚悟は少し面倒そうにそう答えると、ベッドに寝転がり、俺とは反対方向へ体を向ける。

「なぁなぁ、尚悟。教えてって。俺、マジで狙おうかなって」
「うわぁ。マジで言ってますか。ヤれないっすよ?」
「ヤれ…? どういう意味?」
「あいつ、潔癖症って噂で。誰とも付き合おうとしないし、触らせようとしないし? そういうの嫌みたい」
…つまり、付き合えてもヤれない…ですか。
いや、付き合ったらさすがにヤるんじゃないの?
あ。
そういえば、付き合う気ないって言ってたか。

「…潔癖症ねー…」

あぁ。だからさっき、俺が腕を掴んじゃってたとき『謝らなくてもいい』って言ってくれたのか。
掴む行為はまぁ普通のことだし。悪いのは潔癖症な自分なんだと感じてくれているのだろう。

触られるのが嫌とかなら、とりあえず電話でなら結構、自由に話してくれるとか?
よし。
あとで電話しよう。

というか、いきなりキスしたのとか、やっぱすっげぇ嫌がってただろうか。
これは謝っておくか。

「メールします」
「……なに宣言してんすか。ってか、そういうキャラだっけ? もっと真面目でクールで不良っぽくてさぁ。そういうイメージだったんすけど。なに? メールしますって」
「ホント、恋は人を変えるよね」
「頭打ったんすか。ってか、脳天、やられましたね」
何とでも言え。

確かに、尚悟が言うように、俺は普段からこんな自分じゃないとは思う。
こう、どちらかといえばサバサバしてんだけど。

さっき言ったのが冗談ってわけでもない。
恋は人を変えるよなぁって。

まだ、別にちゃんと知ってるわけじゃないけれど。
一目惚れといいますか。

「…先に電話しよっと」
尚悟は、少し冷めた目を俺に向け、それからウォークマンを耳にセット。

それを確認して、俺はさっそく電話。

『もしもし…』
「あ、えーっと、篠宮朱羽だけど。さっき会った…っ。静紀…?」
『そうですけど』
「あのさ。その…さっきは急に、あんなことして…悪かったなって」
『……別に。気にしてませんから』
…少しは気にして欲しいんだけど。
「じゃあ、またしていい?」
あえてそう聞いてみたり。
『…なんでですか』
「気になるんだよ。一目惚れしたから」
『俺、誰とも付き合う気ないんで』
冗談かどうか聞かないあたり、告られ慣れてるんだろう。

誰とも…ということは、俺だけがアウトってわけでもないんだ?
「その気にさせたら、付き合ってくれる?」
『…ならないですよ』
「もしなったらでいいよ。またメールするから」
『……はい』
否定するのが面倒なのか、そう言ってくれた。

悪くないな。
上機嫌で電話を切ると、冷めた目つきのまま俺を見る尚悟の姿。
「……聞いてたのか」
「…はーい。なにしちゃったんすかぁ? 先輩」
「いや…。キスしただけ」
「……マジでなにしちゃってるんすか、先輩…」
「まぁ一応、内密で。だって、マジでかわいくね? だからホント、狙ってんだけど」
尚悟はもうため息をついて、どうぞご勝手にと言わんばかり。

にしても。
誰とも付き合う気がないか。

潔癖症だから?
触られたくないから?

いままで彼氏がいたことはないんだろうか。
結構、気になること多いな。


それから、俺は少しずつ、それでも頻繁にメールをするようになった。

初めは血液型とか。
あんま細かいこといきなり聞くとうっとおしいだろうから、なんでもない感じに仲良くなっていく。
今日、おもしろいテレビがやるだとか。
夏休みどっか行く予定あるのかとか。

少しずつ静紀の文面も柔らかくなってきたように感じて、距離が縮んだなと思った。

図書館にも行った。
あいかわらず静紀は本を読んでて。
邪魔にならないよう、それを正面に座って眺めた。
とはいえ、もちろんカモフラージュで俺も本常備だけど。

そのときも、とりあえずは触らず、一定の距離を取って会話した。