とりあえず、いろいろ考えうることはあるけれど、無理やり頭の隅っこの方に寄せておいて。
教師らしくしないとっ。

「しばらくお別れだから? やってもやってもしたりなかった?」
俺が、いろいろ考えてるときだった。
不意にそう耳元で言われ、ビクンと体が跳ね上がってしまう。
声の主を確認すると悠貴。
めずらしく、拓耶とは一緒にいないんだな。
にしても
「…どういう…」
意味…?
やっぱ、柊先生が、関係あるのかなぁとは思うけど…。
「…授業中に、トイレでやって。自分の授業は桐生先生に頼んでおいて」
あ…。
声とか、聞かれてた…か…。

確かに、柊先生と、トイレでやっちゃって。
しかも、自分の授業にも遅れて。
代わりに、桐生先生が、授業進めててくれてて。

俺としては、柊先生が無理やりやってきたし。
そりゃ、断らなかった俺も悪いかもしれないけど…。
桐生先生が代わりに授業進めてくれたのは、柊先生が頼んだからだ。
俺が、頼んだわけじゃなく…。

でも、悠貴が言うように、俺って、自分の授業中にやっちゃって、なおかつ代わりに桐生先生に授業やらせて…。

「…結構、不謹慎」
少し冷たくそう言い放つと、俺の方も見ずに、スタスタと歩いて行ってしまう。
「っ……」
なんかもう呼び止めれなくて。
自分の足も止まってしまう。

不謹慎
その言葉が頭の中で、響く。


そのまま、しゃがみ込んで泣いてしまいたい気分。
もう、ホテルに帰って、一人で泣き寝入りたい。
だけれど、そんな個人的な事情で、ホテルに戻ったり、それこそ不謹慎だ。

そういう風に、言われてもしょうがない…というか、本当のことだから、なお更、泣きそうになる。
これが、ホントのことじゃなくて、ただ、からかわれてるだけならいいけれど。
ホントのことだから。

俺、すごく不謹慎だ。
自分の授業中にやっちゃったり。
その穴埋めを桐生先生に頼んでたり。
新人のくせに、なにやってんだよ、もう。

改めて、自分がものすごく駄目なやつだと思い知らされる。
というか、こういうのは、自分で気づくべきなのに。

馬鹿すぎるよ。

―帰りたい―
その思いが頭をよぎる。
もちろん、逃げたら駄目なんだろうけど。

柊先生が、俺のこと襲うから…っ。
自分の穴は自分で埋めたいのに、桐生先生に頼んだりするから。

俺が、いいかげんな人みたいじゃないか。

俺は、新米なんだよ。
桐生先生に、自分が遊んでる間、授業を頼むなんてありえない。

すごい、恥知らずで。
いいかげん。
不謹慎だ…。

足が重い。
それでも遅れないように、とぼとぼと、みんなのあとをついて行く。

生徒に話かけられても、まともな返事が出来るような状態じゃなかった。
てきとうなことを答えてしまう自分もまた、出来の悪い教師なんだろう。

「宮本先生―、悠貴、見なかった?」
拓耶だ。
悠貴の名前を出されて、少しだけ正気の状態に戻る。
それでも、ショックからは逃れられてないが。
「…ちょっと前に、前の方、行ったけど…」
「そっか。なぁんか、元気ないねぇ。苛められた?」
冗談っぽく、そう言って、楽しそうに笑う。
「そんなことないよ」
俺は、がんばって、何事もないフリをしてみるけれど、結構、難しい。
暗い感じに言ってしまっていた。
「大丈夫? 誰に? もしかして、悠貴?」
すぐ見破られてしまう。
ちょっと悠貴に言われたことを、拓耶に愚痴ってみたい衝動にかられる。
だけれど、そんなこと、教師がしていいはずがない。
いくら、フレンドリーな関係でも、生徒のことを生徒に愚痴るなんて。
拓耶は悠貴の友達だから、うまく俺と悠貴の間に立ってくれるんじゃないかとか。
そんな期待が生まれてしまう。

そんな風に、取り持ってもらったところで、俺がしたことには変わりないし。
不謹慎なんだよ、やっぱ。

なにか、俺にあったのは、もう分かってしまってるだろう。
いまさら、なにもないよ、とも言えないし。
「全然、大丈夫だよ」
そうとだけ告げた。
「ほんとぉ? …俺がいないと、悠貴って、結構、ひどいこと言っちゃうからさ♪あんまり、気にしないようにね」
そうやって、なんかやさしく対応されると、余計に泣けそう。
「…うん…」
これじゃあ、俺、悠貴になにか言われたっての、バレちゃうじゃんか。
だけれどつい、甘えてそう答えてしまっていた。

「…悠貴は…悪気はないんだよ」
少し言い留まってから、そう言ってくれる。
悪気があろうがなかろうが。
事実を言われたまで。
自分自身のおろかさに、気づかせてくれたんだよ。

まだ、なにか少し言いとどまってるような感じ。
言おうかどうしようか、迷ってる…みたいな。

「拓耶―」
そう後ろから声がかかり、いつのまにか、樋口先生がいたのに気づく。
「っ…智巳ちゃん…」
「なに話してた?」
「ん…ちょーっと」
「…あいつの事だったら、俺が話すつもりだけど?」
あいつ…って…?
今の流れからして、悠貴だったりするんだろうか。
「…そっか…。じゃあ、まかせたよっ、智巳ちゃん。俺、前行くから」
拓耶は、少し小走りして、前の方…たぶん悠貴のところへと向かって行った。

後ろ姿を見送って。
その間も、俺はなんのことなのか、気が気じゃなかった。

「…拓耶になにか、言われた?」
「っ…いえ…大してなにも…。ただ、ちょっと、悠貴には、悪気はないだとか、そういったことを…」
「…まぁ、夜話すつもりだったんだけど。っつーか、修学旅行中に、言おうかなと」
「はぁ…」
なんのことかわからないから、とりあえず、あいまいに頷くことしか出来ない。
「…先に、なにか、悠貴に言われたりした?」
こんなん、言っていいわけ?
悠貴を悪者にするみたいじゃないか。
本当のこと、言われただけなのに。
「ちょっと…でも、本当のこと、言われただけで…っ」
「…夜、悠貴のことで、話したいことがあるから…。とりあえず、それまでは、あいつのことで悩むの、一時中断してて」
そんなこと言われても、中断出来ない…というか、いったん下がったテンションを元に戻すことは、なかなか出来ないだろうけど…。
「…はい…」
そう答えざるえなかった。

……不謹慎…か…。
不謹慎だもんなぁ。
言われてもしょうがない…というか、当たり前だよ…。

…でも、なんで、俺がこんな風に言われるんだ…。
そりゃ、しょうがないけど。
全部、柊先生のせいじゃないか。

ちゃんと数学準備室に、だいぶ前に次の授業の準備に行ったし。
普通だったら、余裕で間に合ってた。
俺は、いたって真面目だったのに。

…全部、柊先生のせいだよ。
「俺のせいだから」
「…はい?」
心を読み取られたんじゃないかと思うくらいのタイミング。
樋口先生がそう俺に言う。
「いや…え?」
「…生徒もいるんで、夜に」
…そりゃ、今、ここで話してたら、生徒に聞かれてちょっとまずいかもしれない。
夜…か…。
でも、どう考えても、柊先生が悪いと思う。
柊先生に対する不信感が募っていく。
もしかしたら、あの人とあまり仲良くなっていると、このまま、俺は真面目に働けなくなってしまうのではないだろうか。
生徒から、不信感を抱かれて。
…俺のせいじゃないのに…。
そう思えてくる。
柊先生は、保健の先生だから、時間の融通が効くんだよ。
そんなのに振り回されちゃ、たまったもんじゃない。
ずるいよ…。
自分だけは、生徒から好かれて。
俺なんて、こんな真面目に考えてるのに、不謹慎って言われたり。
真面目に授業やってるのに、授業中に話し掛けられたり。
どっちもにあわせるなんて無理だし。
……どうすればいいのか、全然わからない。

やっぱり…。
俺は、先生に向いてないのかなぁ。
拓耶は、友達みたいな関係でいようって言ってくれたけど。
俺だって、それもすごくいいと思うよ。
だけれど、あまりにもそういった付き合い方だと、不謹慎って考えに繋がっちゃうんじゃないだろうか。
友達みたいな関係で、なおかつ、ちゃんと授業も出来たらいいなって思うけど。
俺にはそれが出来ないから…。

いや、違うか。
今も、そりゃちゃんと出来てるわけじゃないけれど。
…不謹慎なんて言われるところまでは、いってないと思う…。
不謹慎ってのは、俺の精神や態度の問題だから。
たとえば、授業がわかりにくい…とかなら、俺にも改善の余地がある。
だけれど、今回は、やっぱり…。
柊先生のせいだろ…?
俺じゃないよ。

俺は、不謹慎なつもり、なかったのに。