「それとも、やっぱり相手してくれるとか?」
樋口先生はそう言って、足を組み直す。
少し笑みを見せるのが、ものすごく艶っぽい…。
なんでこんな色気があるんだろう。
「柊と、比べてみるのも、いいかもよ?」
「っな…ぁ…その…」
でも、実際、俺って、もし柊先生じゃない人に何度も言い寄られたりしてたら。
その人のことが気になってたりするんだろうか?
そこら辺の自分の気持ちはよくわからない。
柊先生が俺を好きだから気になるのか?
うん……。
生徒に好かれてて、うらやましいような憧れに近い存在なんだよ。
それだとしたら、樋口先生はどうなんだ?
確かにすごいとは思う。
だけれど、柊先生とは、違うわけで。
そりゃ、全然タイプが違うから比べにくいけど。
「どう?」
「っあ…えっと…」
確かに比べたいけど、別に、やることを比べたいわけじゃなくって、性格というか人間自身をで。
そうは思ってるけど、立ち上がって、俺の座っている椅子の背もたれに手をついて。
口を重ねようとする樋口先生を拒めない。
「っ……ん…」
少し俯いて避けようとするけれど、かがんだ樋口先生が俺の口を捕らえていた。
「っンっ…」
優しく頭を捕まれ上を向かされて。
入り込んだ舌がゆっくり俺の舌を絡めていく。
「っんっ…んぅっ…」
や…すご…。
柊先生とは全然、違うタイプのキス。
比べてどっちがいいかとかわからない。
「……どんな感じ…?」
そっと口を離して、俺にやさしくそう聞く。
「…わか…んな…」
ぼーっとしちゃってるのが自分でわかった。
「じゃあ、もうちょっとしようか…?」
「…っ…」
俺、いいですって、即答すべきだろう?
なんかもう、魔力にでもかかったみたい。
というか、酒にでも酔ったみたいな。
そっと、ズボンの上から股間を撫でられても拒めない。
だって、さっき悠貴に中途半端にやられててっ…。
イけなかったし…。

「……嫌がらないんですか…?」
手を止めて、俺を見ながらそう耳元で言う。
「…ぇ…あ…」
樋口先生は、軽くため息をつくと、さっき座っていた俺の前の椅子へとまた戻る。
「…嫌なら嫌って言ってくれていいんですけど?」
「あ…はぁ…」
言えるわけないじゃないか。
そんな先輩に…。
「まぁ、そんなんは言いにくいだろうけど?」
バレバレですか。
「でも、少しくらい、拒んでみたりとか。あぁ、別にその方が萌えるからとか、桐生みたいな考え方してるわけじゃないよ」
桐生先生は、そういう人なのか…。
「はぁ…。すいません…」
なんか、悪い気がして、よくわからないが、謝ってしまう。
「いや、謝ることじゃないけど? 酔いしれちゃってる宮本先生もかわいくて、いいとは思いますけど?」
あぁ、結構、この人にはなんでもバレてしまうのか。
酔いしれてるだとか、恥ずかしい。

「…俺の推測だけど、例えば生徒に襲われたら、宮本先生は、まず立場を考えるでしょう? 教師が生徒に襲われるということに関して」
そりゃ…そうだろうな…。
生徒に…って。そりゃ、どうかと思うし。
黙ってる俺を肯定しているんだと受け止めたのか、
「その立場が、なかったら?」
俺の目を見て真剣に聞いてくる。
「え…」
「そうだな…。高校時代のクラスメートとかに、久しぶりに会って襲われたら、拒みます?」
「そりゃ…男にやられるのは…」
拒むだろう?
生徒にやられるよりは、考えることが減るだろうけど…。
「……俺は? まぁ、とりあえず体は拒んでないみたいだけど、ホントのところ、どうなわけ?」
「えっと…」
「立場上、断れない? それとも、本当に断る気はない? 一応、拒まなきゃって考えてたりした?」
どう言えばいいんだろう…。
確かに、立場上、断りにくい。
本当のところ、ずいぶんと、こういった行為に慣れてきてしまっている自分がいる。
だから、このまま、流れでされちゃっても、『あぁあ…』で済んじゃうような気だってした。
「…拒まなきゃって…一応、考えました…」
「それはどうして?」
「え…」
「どうして、拒まなければいけないんだと思った?」
優しい口調で、そっと聞いてきてくれる。
「…なんていうか…こういうこと、やられるのに、慣れていく自分を考えると、やっぱり…駄目だろうなって思って…男…同士ですし…」
女だったらよかったとか、そういうわけでもないけど。
「そうですか」
優しく苦笑いするようにして、樋口先生はそう言う。
「あっ…あの…俺っ」
俺がなにか悪いことを言ってしまったようで妙な焦りを感じる。
「別に、いいですよ、そういった考え方でも。拒まなきゃって思われても、俺は構わないし」
「はぁ…」
「ただ…なんていうのかな。少しだけ、周りも見て欲しいなぁって」
「周り…ですか…」
「そう。宮本先生が断る理由は、自分が堕落していくのが嫌だとか、そういった感じでしょう? 別にそう考えるのは、悪くないし、わからなくもない。
…別に、柊と、付き合ってるわけじゃないですしね…」
そっと立ち上がって、また俺に歩み寄る。
「恋人同士ってわけじゃないから、いいんだけど。柊のこと、少し、考えてみたりはしない…?」
「え…」
「柊に後ろめたいとか、そういうこと思うほど仲良くはないわけ? 2人は」
そりゃ、付き合ってるわけじゃないし…。
でも、少し、『付き合ってる』というのに、近い状態かもしれない。
「拒む理由がそれじゃ、柊、立場ないしさ」
軽いノリで、あまり俺に刺激がないようにか、冗談めかして言う。
だけれど、なんていうか、すごく突き刺さってきた。

俺、全然、人のこと考えてなくて。
自分ことだけ考えてたかもしれない。
でも、付き合ってるわけじゃないしっ。

「俺、浮気してもいいって、言われて…っ」
って、なに言い訳みたいなこと、言ってんだろう、俺。
「そうやって言うってことは、逆に、あいつの場合、浮気してる最中でも、自分のこと考えて欲しいんだろ」
…確かに…。
結局、俺は言われたにも関わらず、考えれてなかったけれど。
俺って、ものすごく申し訳ない人なんだと自覚する。
浮気してもいいって言われたからって、はいそうですか、ってするようじゃ駄目じゃないか。
あの人、『頭では俺のこと考えてて』って言ってたよな…。
「やりまくりの俺が言うのも、説得力なさすぎだけどさ…。少しだけ、操たててみてもいいんじゃないかってことだね」
話にきりをつけて、俺の肩をたたくと、ドアの方へと向かう。
「というか、気持ちの問題。体だけって割り切るならいいけど? 一応、拒むわけだろ、宮本先生は。それなのに、拒む理由が、あれなわけだし…。柊のこと、ちゃんと考えてあげたことある? 考えてやって…?」
にっこり俺にそう言って、軽く手を振る。
「…ありがとうございます」
いろいろと教えてくださって。

樋口先生が、部屋を出てって、俺は一人、ベッドの上に寝転がって、さっきのことを思い出す。

柊先生のこと。
よくわからない。
付き合ってるわけじゃないんだよ。

どうにも寝付けそうにもないから、俺は、少し、外を散歩でもすることにした。



誰もいるはずのない中庭に、人影が。
生徒だったら、一応、立場上、注意しなければならない。
もう10時。
消灯時間ではないが、外へ出てていい時間ではない。


俺は、一息つかせてから、そっとそちらへと近づくと、その人たちが、拓耶と陸だということがわかった。

そっか…。
普通の時間帯じゃ、クラスの子と行動したりするから、会えないんだろう。
かといって、どっちかの部屋に行ったんじゃ、目立ちすぎる。

なんとなく、注意出来なくなってしまっていた。
それでもしなければいけないから、その場から離れれないし。
迷いながら、つい中途半端な距離感を保ったまま、ウロウロしながらも目を向けると、二人の口が重なるのが目に入る。

こんな状態で、止めるわけにもいかないし。
また、邪魔をするわけにもいかない。

見なかったことにしてあげようと、教師らしからぬことを考えて、俺はまた離れていった。
でも、生徒のことを考えてあげたかったって…そんなのは、言い訳だろうか。


クラスが違って、こっそりこんな時間に会っちゃったり。
なんかものすごくかわいらしくて。
ほのぼのしくて。
ちょっと、いいなぁなんて思う。
あったかくて、仲良しで。
お互い、好きなんだなってのがものすごく伝わってくる。

つい思い出すのは、柊先生だった。

あの人は、別に、ついてこようと思えば、修学旅行についてこられたのではないだろうか。
それなのに、俺と離れる方を選択した。
それが、少し気がかりで、変な気分になってくる。

柊先生のこと、考えてあげれてない…?
柊先生の方こそ、俺のこと、考えているんだろうか。

つい携帯を手にとる。
こないだ、無理やり凍也に入れられた柊先生の携帯番号とアドレスを表示させた。

電話とかしてみたら、どうなんだろう。
どうもなにもないけれど。
つい、電話をかけてしまっていた。

ワンコールして、すぐ、自分のしていることの意味がわからず、慌てて切る。
なにやってるんだろう。
拓耶たちに触発されたんだろうか。

部屋に戻ろう。
拓耶たちのことは、見なかったことにして。
他の先生にも見つからなければいいけど。


自分の部屋に戻って、また、ベッドに寝転がって。
寝付けずにゴロゴロしていると、携帯の着信ランプが光る。
見ると、柊先生から。

…あの人は、俺の番号を知っているのだろうか?
知らずに、ただ、かかっていた番号に返してきてくれてるだけ?

俺は、緊張しながらも、黙ったまま、電話に出た。
『もしもし? …宮本先生?』
そう言う声が、電話越しに聞こえる。
「……なんで、わかるんです…?」
『さぁ…。期待してたから…とでも言いましょうか?』
「何、言って…っ」
『番号、知ってたんで。風呂から出たら、着歴に宮本先生の名前があって…。でも、もし、俺が宮本先生の番号を知ってなかったとしても、宮本先生からの電話じゃないかって、思ったでしょうけど』
そんなに期待しててくれたわけ…?
「なんで、俺の番号知ってるんですか…」
『調べたんで』
凍也が、俺の携帯に無理やり番号を入れたのは、柊先生が仕組んだから…とかだったりはしないだろうか…。
俺が、どうして、番号知ってるか、聞いてこないし。
そんなことは、どうでもいいから、聞かないのかもしれないけれど。
それとか、生徒に聞けばすぐわかるってのが、分かりきってるからあえて聞かないのかもしれない。
「じゃあどうして…そういった考え方、出来るんですか…」
『そういった?』
「…期待…とか…」
『どうしてもなにも、期待してるからですけど?』
だから、どうして、期待なんてしてくれるんだろう。
俺は、襲われても、忘れてしまっていたり、ひどい人なのに。

「……っ…俺…」
普段だって、土曜日とか日曜日とかは、会っていない。
今日の朝、別れたばかりなのに。
『どうしました…?』
「………あ…」
…会いたいです…
そう言ってしまいそうなのを、少し冷静に考え言いとどまる。
「…なんでもないです。1年生たちは、どうですか。樋口先生がいなくて、数学とか…」
『大丈夫ですよ。…なにを言いかけたのか、教えてくれませんか…?』
「別に、なんでもないです」
『切羽詰ってるような声だったんで。なにもないってことはないと思ったんですが』
心配してくれてるのだろうか。
土日は、会おうと思えば会える距離にいた。
こんなにも確実に離されると、やっぱ少し考え方も変わるのだろう。

拓耶たちを見て、うらやましいような気持ちになったり。
孤独を感じたりしてしまう。
「……会いたいん…です…」
つい、なにも深く考えずに、そう口から漏れていた。
『……どうして…?』
それは、思いもよらない返答だった。
「え…あ……。っいいです、すいません、忘れてください」
『忘れるわけないでしょう…? 理由はなんであれ、会いたいんだと思ってくれたわけだ…?』
「っ忘れてください…」
恥ずかしいことを口走ったと、ものすごく後悔する。
『宮本先生が、本当に忘れてほしいのなら、忘れます』
「っ……」
恥ずかしいけれど。
恥ずかしい思いをしてまで言ったことを、忘れられるのも…。
『どうします?』
覚えていてください…なんて、言えるわけないじゃないか。
「俺……」
なんでだろう。
一人でいることが、無性にさびしくてたまらない。

どうにも言えなくて、しばらく沈黙が続いてしまう。
『…いいですよ。忘れませんから』
「っ…な…ぁ…」
俺が忘れて欲しくないって考えてることが、わかってしまっているのだろうか。
それはそれで恥ずかしい。
「あのっ…」
『というか…まぁ、忘れて欲しいって言われても、忘れられそうにないんで』
少し軽いノリでそう付け足した。
だけれど、やっぱり、俺の気持ちはバレてしまっていそうだ。
「っ…俺だけ…こんな…」
『どういう意味です…?』
あなたは、俺に会いたいと思ってくれてます…?
そんなこと聞けなくて。
また、押し黙ってしまう自分がいる。
「……俺が…」
会いたいって。
そう思うのに。
それに対して、なにか返答はないわけ?
だからって、催促も出来ない。

俺、今おかしいんだ。
樋口先生に諭されて。
拓耶に触発されて。
離れたことによって、柊先生の存在が、いつのまにか自分の中で、大きくなっていたことに気づいた。

会いたい。
そう思うのに対して、別に会いに来いって言ってるわけじゃない。
そんな我侭ではない。
ただ、気持ちの問題。
柊先生は、どう思ってくれてるのかって。
同じように思ってくれさえいてくれれば、俺はすごく満たされるのに。