「……芳春って呼んでんだ?」
「ああ……。起きちゃった? まあ盛り上がってきたときはね。名前で呼ぶとすごくかわいい反応してくれる」
「ふーん。なに、宮本先生って、Hしたくてこんな夜中に電話しちゃうわけ?」
「普段はそうでもないけど。ちょっと酔ってんだろうね」
「柊もだろ」
「まあね。智巳ちゃんが隣にいるのに、ついHな電話しちゃった」
「さりげなく、誰かと宅飲みしてるって伝えてましたね」
「そりゃあ……そろそろ少しくらい嫉妬してくれないかなって」


 数日前のこと。
 その日は珍しく保健室に智巳ちゃんがやってきた。

「柊先生。知ってます? 土曜日のこと」
 宮本先生と桐生ちゃんが飲みに行く日だ。
「聞いてるよ」
「ふーん。結構、仲よくやってんですね」
「どうだろう? 縛るつもりはないけど、土曜日の夜に飲み会って。やっぱり気にるよ」
「そう?」
「なんだかんだであの人、元々はノーマルでしょ」
 バイでもゲイでもない。
 世間体とか気にしちゃいそうだなって思ってはいる。
「たまには俺と飲みません?」
「……いいね。智巳ちゃんから誘ってもらえるとは」
「選ばれなかったもの同士ってことで」
「選ばれなかったもの?」
「別にいいんですけど。宮本先生、俺より桐生の方が頼りやすいのかなって」
 そういうことか。
 昨年、智巳ちゃんが受け持っていた生徒たちを今、宮本先生が受け持っているわけだし、智巳ちゃんの方と仲良くなっててもおかしくは無い。
「智巳ちゃんだって頼られてるでしょ」
「どうだろ」

 そんなわけで、宅飲みしていたわけだけど。
 お互いに結構飲んでたし、いつの間にか寝てしまっていた。
 そんな中、宮本先生からの電話。
 酒と寝起きと、両方が重なって、正直、隣で寝ている智巳ちゃんのこと忘れてた。

「……智巳ちゃん。宮本先生のこと、からかわないでね」
「はいはい」
 大丈夫かな。
 まあ、智巳ちゃんはサドだけど信用は出来る。
 たぶん。
「尋臣とはうまくいってんの?」
 智巳ちゃんの恋人で、生徒だ。
 2年前から付き合ってるらしい。
「だいぶH大好きにはなってるよ」
「へえ。精液飲んでくれる?」
「まあね」
 わりと難そうなイメージの子なんだけど、フェラとかしちゃうんだな。
「なに? 宮本先生は飲まないの?」
 ああ、バレちゃいましたか。
「まあ俺がまださせてないんだけど」
「飲まれたくないとか?」
「いや。でも、慣れてないだろうからゆっくりとね」
「……意外と優しいね、柊」
「意外は余計だけど」
「もっとさ、Sっぽいことしてるかと思った」
 Sっぽいこと、か。
「一応、引かれないようにとか考えてるわけでさ。智巳ちゃんは? 尋臣に引かれたことない?」
「あー、あるある。しょっちゅう最低ですね、って言われるけど強行突破するから」
 尋臣ってM属性なのか?
 いや、先生相手に断れないってだけかも。
「一度、酔わせていろいろしちゃったけど」
「いろいろ?」
「足舐めてもらったり?」
「いいな、それ。今度俺も尋臣にさせよう」
 寝転がったまま、智巳ちゃんは楽しそうに笑っていた。

「あーあ。柊が宮本先生と電話なんてするから、俺も尋臣に電話したくなったな」
「こんな夜中に電話したら、怒るんじゃない?」
「怒るだろうね」
 なんだかんだ智巳ちゃんは甘えたがりなのかもれない。
 それとも酔っているのか。
 つい寝転がったままでいる智巳ちゃんの頭をそっと撫でる。
「ホント、智巳ちゃんは尋臣大好きだね」
「柊だって、宮本先生大好きだろ」
「ま、そうだけど」
 智巳ちゃんはまるで俺の視線から逃れるみたいに寝返りを打った。
 布団を手繰り寄せるもんだから寝るのかと思いきや、ゆっくりと口を開く。
「昔、ある人を好きになったんだけど、その人は別の人が好きだったんだよね」
 智巳ちゃんは背を向けたまま。
 俺はちゃんと話を聞いている証拠に、智巳ちゃんの髪を撫で続けた。
「それが無性に悔しくて。もしそのあとこっちを向いてくれたとしても、2番みたいでむかつくし」
「でも、こっちを向かせたのなら勝ったってことじゃない?」
「妥協でしょ。2番だなんて屈辱的だし。だからって恋愛経験ない人じゃなきゃ無理ってわけじゃないけど。自分が好きだって思った時期に、自分よりも他の人を好きでいられた悔しさとか屈辱ってずっと消えそうにないんだよね」
「憶測じゃない? 消えそうにないって。実際に乗り換えられたら、悔しさだって消えるかもしれないよ」
「……悔しすぎて、乗り換えて貰うとこまでいってないからわかんないけど」
 まあいまさら、それを試そうだなんて思っていないだろう。
「悔しくて……好きな相手のはずなのに、ときどき憎いとすら思ったりするんだよ。そうなった時点で、好きでいる資格はないんじゃないかって思うわけ」
「好きだから、憎いんでしょ」
「だとしても……ね。1番愛されてる人は、そいつを憎んだりしないしないだろうし。もしかしたら3番目のやつだって、俺と違って憎むなんてことないかもしれない。憎いと思った時点で、負けなんだよ」
 智巳ちゃんはひとつ大きくため息を漏らす。
「尋臣は……まあ俺よりだいぶ若いってのもあるんだろうけど、憎いって対象にはならない気がしてる。たとえもし、この先、俺じゃない別の誰かに心移りしたとしても」
「好きって気持ちが軽いから他の誰かに行っても構わないってわけじゃなく、好きだけど、それを許せそうってこと?」
「そんな感じ。まあ悔しいなとは思うだろうけど。少なくとも尋臣本人を憎いと思うことはない。……たぶん」
 あいかわらずこちらを振り返りもせず、淡々と語ってくれる。
 つい少し突っ込んで聞きたくなってしまった。
「だから智巳ちゃんは、桐生ちゃんが憎いんだ?」
「……………………」
 少しばかりの沈黙が生まれる。
「…………でしょうね」
 いつものように平静を装った口調で、智巳ちゃんは肯定した。
「……俺がそうやってバカなことで苛立ってるときに、優しくしてくれる人もいたんです」
「へぇ。その人のことは好きにならなかったの?」
 智巳ちゃんはなぜか布団をぎゅっと握り直す。
 なにかまた悔しいことでも思い出したのだろうか。
「……好きになりかけてたのかも」
「なりかけてた?」
「その人も俺じゃない別の人を好きだったから、好きになる前に押しとどまった……つもり」
「そうなんだ」
「俺、振られてばっかなんですよ」
 やっと智巳ちゃんはこちらを振り返る。
 少しつまらなそうに、それでも俺をうかがうように視線を向けてきた。
「意外だね。モテそうなのに」
「誰かを好きでいる人が魅力的に見えるのかな。……そんなとこ割り込んでも仕方ないのに」
「……寝起きのうつろな目でそんなこと言われたら、単純な男は勘違いしちゃうよ?」
「柊は単純じゃないだろ」
「どうかな」
 そもそも宮本先生の喘ぎ声聞いたばかりで、体は結構その気になってるし。
 これ以上、変な雰囲気になってはまずいと、智巳ちゃんから手を離す。
 智巳ちゃんは笑いながら、今度は枕を引き寄せそこに顔をうずめた。
「…………尋臣に会いたい」
 酔っているのか、過去を思い出して苦しくなっているのか。
 智巳ちゃんはそんなことを洩らしたあと、寝息を立て始めた。
 恋愛は勝負ごとではないけれど、負けを繰り返してきた智巳ちゃんにとって、もしかしたら尋臣は初めて得た勝利なのかもしれない。
 …さすがに、中間で何勝かしてるか。
 ただ、いまは尋臣が愛おしくて仕方ないんだろう。