午後の授業も無事終わり、帰り支度をしていると柊先生が俺の前に立つ。
「あ、お疲れ様です」
「お疲れ様。なんだか、嬉しそうですね。いいことでもあったんですか?」
 俺、そんな表情に出てる?
 なんだか恥ずかしい。
「大したことじゃないんですけど、高校時代の友人たちと飲み会をすることになって……」
「それは楽しそうですね」
 なんとなく、桐生先生と一緒なのを伝えておいた方がいいような気がしてしまう。  

 一番、仲がいいのは柊先生だけれど、柊先生を誘わずに桐生先生を誘ってしまったわけだし。
 別に、そんなこと気にしてないかもしれないが。
「……その、高校のメンバーがみんな会社の先輩を連れて行くってのが、ルールみたいな感じの飲み会で。桐生先生が、一緒に行ってくれることになったんです」
 やっぱり、先輩って言ったら同じ数学教師の桐生先生だよな。
 おかしくない。

「そうなんですか。桐生ちゃんならわりと場慣れしてるでしょうし、よかったですね」
 そう言われると、ますます自分の選択は間違ってなかったような気がして嬉しくなってくる。
 やっぱり桐生先生なら安心だよな。
「はい。……ただ、最近どうも胃痛がするらしく心配なんですけど」
「え……桐生ちゃんが?」
 もしかして、秘密だったかな。
 無駄な心配、人にかけたくないかもしれないし。
「あの、あんまり言っていいことじゃなかったかもしれません。すいません、ここだけの話で……。それで、お酒を控えようとしてるみたいで」
「……ああ。なるほどね」
 なるほど?

「ってことは桐生ちゃんが車出すんですよね?」
「そうです。やっぱり、俺が出した方がいいですかね。後輩ですし」
 柊先生は少し、考え込んでしまう。
 どうしよう。
 やっぱり俺が……。
「まあ、俺としては宮本先生には、あんまりみんなの前で泥酔して欲しくないんですけど」
 俺?
 酔っても友達がどうにか家まで運んでくれそうだし、大丈夫だよな。
 でもそういう問題じゃなくって。
 前に俺が酔ったとき、いろいろ覚えてなかったから、それを心配してくれているのだろう。
「……それは、ちゃんと控えますんで。その酔わない程度にしか飲まないつもりですっ」
 桐生先生の前で泥酔するわけにもいかないし。
「そうですか。まあ万が一、酔っちゃってもシラフの桐生ちゃんがいますしね。いろいろフォローしてくれるでしょ」
 いや、先輩の手を煩わせるわけにもいきませんが。
「大丈夫です、俺ちゃんと……っ」
 自分で何とかできるよな。
「……宮本先生の同級生ってノンケですよね?」
 ノンケ?
「……ノンケって……」
「その気がないってことですけど」
 その気?
 どの気?
「……まあいいです。楽しんできてくださいね」
「あ、はい。ありがとうございます」
 そのまま、追求することも出来ず、なんとなくお礼を言って。
 今日はもう帰宅。  

 うん。そうだ。
 別に付き合っているわけでもないし、ただ高校時代の友人との飲み会。
 柊先生になにか言われるほとのことでもないだろう。
 逆の立場だったら俺も、結構無関心っていうか、全然気にならないだろうし。


 結局、土曜日に決まり俺は桐生先生に迎えに来てもらった。
「すいません、わざわざ……」
「いえいえ、おかまいなく。楽しみですねー」
 楽しみって言ってもらえるとちょっと嬉しいな。
 やっぱり付きあわせてしまって悪いなって思いは少なからずあるし。

「桐生先生、あの体調は大丈夫ですか?」
「え? 体調?」
「はい。胃が……って」
「あ、ああ。大丈夫大丈夫。ありがとう。宮本先生は気にせず飲んでくださいね」
 ありがたいけれど、少し控えよう。
 桐生先生に悪いってのもあるし、自分自身、飲みすぎたらいけない気がするし。  

 奏汰が指定してくれた居酒屋に着くと、まだ時間より早いが奏汰と奏汰の先輩らしき人が。
「奏汰!」
「お、みやもっちゃん、久しぶりー」
 あいかわらずのテンションで奏汰は俺に抱きついてくる。
「うん、久しぶり」
「あ、この方がみやもっちゃんの先輩?」
「うん。えっと、桐生……さん」
 桐生先生って言うのもなんか、この場では変だしな。
 桐生先生はにっこり奏汰に笑いかける。
 これ、女の子だったら結構、ドキっとしちゃいそうだなー。
「はじめまして、奏汰くん」
「はじめまして。えっと、なんかすごいかっこいいですね」
 奏汰、ちょっと直球すぎだろ。
 そんなことあっさり言われたら、俺、奏汰の先輩、どう褒めればいいんだよ。
「いや、とんでもない」
「ホント。抱かれてもいいレベルですよ。なんて」
 ホントに抱かれるから、妙な冗談はやめた方がいい。
 桐生先生も、奏汰持ち帰るとかマジでやめてくださいね。
 って、心の中でしか言えないけど。
 
 こんなノリで大丈夫か?
 奏汰の先輩へと視線を向けるとばっちりと目が合ってしまう。
「あ……奏汰の同級生の宮本です。はじめまして」
 そう言う俺へとにっこり笑ってくれた。
 俺たちより大人だろう。
 桐生先生とは同じくらいか、下かな。
 対応がなんとなく、社交性ありそうな感じ。
 まあ、俺たちより社会人歴長いわけだから、あって当然だろうけど。
「宮本くん? はじめまして。椿京介です。下の名前は?」
「芳春です」
「芳春くんね」
 あ。芳春って。
 いつも柊先生が、呼んでくれる名前。
 妙に意識してしまう。
 奏汰だって名前だし。
 桐生先生だって奏汰のこと名前で呼んでた。
 でもそれは、双子の花音がいて苗字だとかぶっちゃうからで。
 いや、それを言うなら俺だって、花音が連れてくるメンバー内に宮本がいないとも限らないけど。
 だから、普通。
 普通のことなんだけど。
「……苗字で呼んだ方がよかった?」
 あ、やばい。
 俺が気にしてるのばれた?
「いえ、その。名前で呼ばれるのって本当に珍しくて。慣れてなくてっ」
「そうなんだ?」
「そういえば、そうだよね。みやもっちゃんって、みんなにみやもっちゃんって呼ばれてたし」
 おお。奏汰、ナイス。
 適当な俺の言い訳に信憑性が増した。
「じゃあ、宮本くん。ね」
 怒ってないかな。
 ほっとする。
 この人、そこまで気にしてなさそうだし。
 でもほっとした一番の理由は、宮本くんに落ち着いたことかもしれない。
 俺、やっぱりおかしい。
 柊先生に芳春って呼ばれること意識しすぎてる。
 別に、親とかにも呼ばれてたし、なんてことないのに。
 なんか、柊先生とおんなじタイプの人間に呼ばれるのはどうも躊躇するっていうか。
 柊先生だけに呼ばれたい……って、なに考えてんだろ。

 そうこうしているうちにも、花音たち女性メンバーが合流する。
「え、みやもっちゃんの先輩、なんかすごいかっこいいですね」
 店の前で花音が、奏汰と同じことを言う。
 さすがに抱かれてもいいとは言わなかったが。
 なんていうか、そんなこと桐生先生だけに言ったら、椿さんに悪い気するな。
「椿さんも、かっこいいだろ」
「うん、かっこいいですね」
 ナイスだ、奏汰。
 さりげなく空気読める男。
 実際、どう思ってんのかわかんないけど、花音もちゃんと合わせてくれたし。
 ほっとする。
 いや、俺がそこまで心配することじゃないか。
 この二人ならまあ大丈夫。

 椿さんも、確かに普通にかっこいいと思う。
 だからって、そんなかっこいいですねーとは俺はちょっと言いにくいけど。

 店内へと、足を運ぶ最中。
「ホント、桐生さんってかわいいですね」
 後ろからそう言う椿さんの声が耳につく。
 ……いま、かわいいって言ったよな。
「……どうも」
 軽く、桐生先生が受け流す声。
 振り返って、確認するほどでもないし、奏汰や花音があれだけかっこいいだの言った後だ。
 それに便乗する形で、言っただけに違いない。
 けど、かっこいい、でなくかわいいってのはなんか気になるな。

 かわいかったっけ。
 しかも、桐生先生もそこは突っ込むところじゃないのか。
 どうもって。
 やっぱり、男にかわいいとか言われても嬉しくないかもしれないし、不愉快な思い、してなきゃいいけど。

 かわいいって言われて怒るのは、本当にかわいいタイプの子だけかな。
 なんていうか、からかわれてる気がしてさ。
 桐生先生みたいなかっこいいタイプの人間は、かわいいって言われても普通に、珍しい褒められ方したなって思ってくれるかもしれない。

 
 なんとなく自己紹介をし、乾杯をして。
 合コンってわけでもないので、話題はやっぱり仕事絡みのことになる。
「教師の仕事って大変そうですけど……桐生さんもやっぱり1年目とかは苦労しました?」
 花音がいい感じに俺の聞きたいことを聞いてくれた。
 俺に聞かれても困るしな。
 苦労だらけだし、かと言って桐生先生の前で愚痴を洩らすってのも微妙だし。
「まあ環境に恵まれてまして。俺はさほど苦労って言うほどのことはしてないんですけど。人によっては大してやったこともない部活の顧問やらされたりしますから、そういうのは大変かもしれませんね。でも、やりがいありますよ」
 教師って、基本なりたい人がなる仕事だと思うしな。

 花音の先輩は、いわゆるお局さんの話をしてくれた。
 やっぱり、OLってそういうのあるんだな。
 1年目くらいには気付かなかったけれど、2年経って、お局さんがいかに仕事が出来ない人なのか気付いたって。
 
 俺も、そもそも見る目ってのが養えてないから、今、どの先輩教師が出来る人なのかって判断は出来そうにない。
 まあ、どの教師も俺よりは上なんだけど。

「あと、この歳になるとどうしても、上司から男の紹介はされますね」
 この歳。
 とはいえ、失礼なので年齢は聞けないが、20代後半くらいだろうか。
 もしかしたら、もう少しいってるのかもしれない。
 どちらにせよ、若くは見えるけれど、この歳になると……って言うくらいだしな。
「やっぱ、そういうのあるんですねぇ」
「かしこまった感じのではないんですけど。取引相手の会社にいい男がいるからどうだとか」
「あ、私はかしこまったのありましたよ。いわゆるお見合いみたいなの」
「ホントたまにですけど取引先の人たちと飲みに行ったりしますしね。仕事みたいなもんですけど」
「俺たち教師は、そういうのとは、あまり縁がないですからね」
「教師の恋愛って、やっぱり友達の紹介か社内恋愛が多いんですかね」
 教師の恋愛。
 なんか、妙に緊張してしまう。
 俺はまだよくわからないし、代わりに桐生先生が応えてくれていた。
「大学時代からの友達だったりはよく聞きますね。それ以外は、やっぱりこうやって知らない人たちと飲み会で知り合ったりして、ですかね」
 なんかさりげなく、可能性ありますよって言ってるみたいで俺が女性だったら桐生先生のこと気にしちゃいそうだな。
「学生の頃とは違いますもんね」
「それにどうしても結婚がちらつきますよね」
「そういうの言っちゃうと、重いって思われそうなんですけど」
 やっぱり、社会人の女性はそういうの考える人多いんだろうな。
 まあこの人、20代後半だと思われるし。
 人にもよるだろうけれど。
「真面目でいいと思いますよ。いずれはって思うのであれば、結婚のヴィジョンが浮かばない人とずっといても」
 椿さんがもっともなことを言う。
「この歳から、勢いで付き合い始めて数年経って、いざいい歳になったときに結婚は考えられないとか言われても困りますしね。その気があるのなら、初めからそういうのは探った方がいいのかもしれません」
 桐生先生まで。
 なんだか、大人と言うか社会人の恋愛のあり方みたいなことを。
 ……本心なんだろうか。

「上司が持ってくるお見合い相手って、結局そういう条件みたいなものは全部揃ってるんですよ。真面目に仕事してきてて、結婚したいって思ってて」
「可も無く不可も無くってやつですか」
「そういうことですね」

 俺は、仕事でいっぱいいっぱいでまだ結婚どころじゃない。
 けれど、恋愛はたぶんしてる。
 だって、避けようもなかったんだよ。
 身近にいる人だし。

 別にまだ付き合ったりはしてないけれど。
 というか、いいのかな。
 社会人にもなって、結婚のヴィジョンもまったく浮かばない相手と恋愛って。
 そもそも、柊先生は本気なんだろうか。
 どういうつもりで、俺なんかと付き合いたいとか言うんだろう。

 桐生先生も言ってた。
 勢いで付き合い始めて、数年経ってから、結婚は考えられないとか言われても困るって。

 でもそれは片方に結婚願望がある場合の例だよな。
 お互い、そうでもないのなら、勢いででも……。
 どうだろう。
 わからない。

 もちろん、柊先生に結婚願望はないだろう。
 俺、重く考えすぎ?
 付き合う前から柊先生に、そういうことの考えを聞きだすのは難しいし。
 それに、どう応えられれば俺自身満足なのかもわからない。  

 つーか、なんで俺こんなに悩んでんだろ。
 
 それ以降、みんなの会話がなんとなくしか聞き取れなくて。
 一応俺も受け答えするんだけれど、どうにももやもやしちゃっていた。