『幽体験』



「慶介。元気してたか?」
 高校から帰ってくると居間には父さんそっくりの叔父さんがいて、俺を見るなり満面の笑みで手招きをしてくれる。
「久しぶりです、元気っすよ」
「それはなにより」
 俺も作り笑いを返し背を向けるが、腕を取られてしまってはどうにも逃げづらい。
「ちょっと課題が多くって」
「手伝ってやろうか」
「こういうのは自分でやらないと」
「まあお前に用があって来てるんだから、ちょっと座れよ」
 その用ってのが毎回よろしくないから逃げたいんですけどね。
「……母さんは?」
「ああ、買い物に出かけた」
 まるで俺の家に住んでいる家族のように平然とそう答え、俺をソファに座らせる。
「こないだまでお前が住んでた物件、借り手決まったよ」
 不動産屋をしている叔父さんは、数ヶ月単位で俺に部屋を貸してくれる。
 これがちょっと問題なのだ。
「よかったですね」
「そんな他人事みたいに言うなって」
「まああそこは、あんまり気にならないレベルだったんで。途中から消えたし」
 いわゆるワケあり物件に数ヶ月俺を住まわせ、ワケありじゃなくしようって魂胆だ。
 自殺や犯罪のあった部屋を貸す場合、それを説明する義務があるみたいなんだが、俺がそれを承知で借りて、何事もなく数ヶ月過ごした後なら、もうその物件はワケありじゃなくなる。
 まあ一応、俺の後のやつにも事情の説明はしてはいるようだが。
 前の入居者が自殺しました……なんて言われたら引いてしまうが、前の入居者が自殺しましたがその後、数ヶ月別の者が住み何事もなかったです、と言われれば少しは安心出来るだろう。
 俺が住んだ後なら隠してもいいんだろうけど、クレームが入ると面倒だ。
 そこはやっぱり、信用問題でさ。
 俺は、何事もなかったことを証明する役割を請け負っている。
 つまり、なにかあってはいけない。
 次の人には貸せなくなる。
「ホント、助かるよ、慶介。やっぱお前じゃないと」
 俺は少しばかり第六感が強い。
 霊感の無い人間が何事もなかったと言うよりは俺みたいな人間が言った方が信用出来るってことだろう。
 俺としてもメリットはあった。
 我が家は狭い。
 両親と二つ上の姉と俺の4人家族だが、間取りのせいもあり、俺の個人の部屋はない。
 基本、居間のような所でごろごろする毎日。
 タンスも布団もあるんだが、いつ家族の誰が入ってきてもおかしくないような部屋だ。
 あまりプライベートな空間は無い。
 姉貴も大学生なんだから一人暮らしでもすりゃいいものを。
 年頃の女の子は一人部屋が必要なんです、という姉の意見が通ったわけだがどう考えても、年頃の男の方が必要だ。
 中学生の頃、それを見かねた叔父さんが、両親に提案してくれた。
 一部屋貸そうかって。
 当時は、まだ中学生だからと反対されたし、俺もよく事情がわかっていなかった。
 高一になり、さすがに自分の部屋が欲しいと思った俺の方から叔父さんに連絡を取ったのが始まりだ。
 叔父さんが俺に貸そうとしていた部屋がワケあり物件だと知る。
 それでも俺はいいと思った。
 無料で部屋が借りられる、こんなにおいしいことはない。
 父さんは、賛成してくれた。
 たぶん、霊なんて信じていないのだろう。
 それに、部屋なしの思春期男子に同情してくれたのだと思う。
 母さんに関しては、父さんの意見に従うといった感じだ。
 学校から実家に帰り、夕飯を食べ、借りた部屋へ行くという毎日を過ごしていた。
 心霊スポット扱いされても困るので、友人たちには詳しい事情を話していない。
 まあ悪くはないのだが、良くもない。
 初めて部屋を借りたころは、霊の気配なんてほとんど感じていなかったのに、いまはかなり感じてしまう。
 なんていうか、霊感が強くなってきているのが自分でもわかる。
 あんまり良くないよな、これ。
 前回の部屋を借り終え、少しの間、実家で部屋のない生活をしていたのだけれど、意外と開放された気分になる。
 まあ一人部屋が欲しいなんて前は言っていたんだけれど。
 傍にいるのが見ず知らずの霊……しかも眠ってくれない、から肉親に代わったわけで。
 そりゃあ楽でしょ。
 叔父さんにはしばらく実家で暮らすと伝えてあったはずだが。
「叔父さん、俺もうしばらくやらないって……」
「慶介、大学決まったんだろ。お祝い持ってきたんだ」
 なんだ、そういうこと。
「ありがとうございます、父さんから聞いたんですか?」
「そうそう、あと物件」
 やっぱりそれか。
「だからそれはちょっと」
 来年の四月からは俺も大学生になる。
 県外だし、それこそ大学の近くで一人暮らしを始めるつもりだ。
 だから、あと数ヶ月くらい実家でもどうにか我慢できそうなのに。
「四月になるまでは、実家にいますよ」
「四月からは?」
 ……もしかして、大学生になった俺を住ませる気か?
「自分で、バイトしてどっか部屋借りますんで」
「提案なんだが」
 にっこり笑った叔父さんが、隣から俺の肩を組んだ。
 あまりいい予感がしない。
「お前が行く大学すっごい近いんだよね、ここ」
 叔父さんが持ってきた紙切れには間取りと住所。
 確かに、近い。
 むしろこのマンションの別の部屋を借りたいくらいだ。
「いまのところはワケありだが、慶介がいまから住めば四月にはもうワケありじゃなくなる」
 それはごもっともですけど。
「じゃあ、3月まではいつもみたいにタダで住んで、それ以降は金払って住めってことですか? それって俺に押し付けてるだけじゃないですか」
 いくら俺が住んでワケありじゃなくなったとはいえ、叔父さんはいつも事情を話してしまう。
 なんとか借り手はあるようだが、決して人気のある物件ではないのだ。
 それを、俺が都合よく借りると。
「俺に別の部屋紹介してくださいよ」
「特別に四月からもちょっと安めにしてやるからさ」
「ただ、ワケあり物件に住む期間が長くなっただけじゃないですか。しかも金取られるし」
「お前だって、数ヶ月経てばいなくなりますよって言ってただろ」
 一応、そう口では言いましたけれど。
 全部が全部、そうとも限らない。
「じゃあ、住んでくれたら四月からは別の部屋でもいい、安めに提供してやる」
 渋る俺に、叔父さんはそう提案してくれる。
 それはちょっとおいしいな。
 やっぱり学生なわけで、家賃にあまりにもお金を取られるのは厳しいし。
「……殺人は嫌ですけど」
「飛び降り」
 自殺か。
 まあ部屋の中じゃないだけマシかもしれない。
「慶介って、死んだ姿とか見えるのか?」
「……いえ、雰囲気とか声とか。なんとなくです。たまに見えるときもあるんですけど、死んだ姿じゃなくって、そこで生活していたときの姿だと思います」
「だったら、まあ意外と大丈夫なんじゃない?」
 他人事だと思って。
 確かに、飛び降りてぐちゃぐちゃの体なんて見えちゃった日には立ち直れないかもしれない。
 というか、見たくないから今のうちに避けようと思っているんですけど。
「迷うなぁ」
 立地条件もいいし。
 部屋の中で死んでないし。
 借りるだけ借りて、こっそり実家にいるって手も……。
 いや、さすがに良心が痛むし、すぐにバレそうだ。
「ちなみにすっごくかわいい子だぞ」
「え……」
 かわいい子。
 少しだけどきっとしてしまう。
 いままでは、リストラされたおっさんとか、引きこもりの男とかそんなんばかりだったから。
 女の子の暮らしを、感じ取れるわけで。
 いやいや、なに考えてんだよ、俺。
 霊だよ?
「叔父さんのかわいいとかあてにならないし」
 かわいさのレベルの問題じゃないだろうって自分でも思う。
「なんか、アイドルの卵だったみたいで」
 別に俺はアイドルオタクでもなんでもないし。
 けれど、アイドルの私生活ってのはものすごく興味がある。
「……少しだけ住んでみて、どうしても無理だったら途中でやめるとか、アリ?」
「その場合はもちろん、四月からの家賃安くしないからな」
 だろうな。
 けれど逃げ道があるのはありがたい。
 成仏していてまったく霊がいないって場合もあるわけだし。
 運がよければ普通に暮らして、家賃も安くなる。
 悪ければ、嫌なモノを見てしまうかもしれないが、そこはまあ逃げるとして。
「とりあえず、じゃあ住んでみます」
「さすが慶介。冬休みからでどうだ?」
 確かに県外なわけで、高校行きながらはちょっと厳しいな。
「わかりました」
「高校三年生って、二月からはあんまり学校行かなくていいんだろ」
「そうですね」
「一月も、半日が多いんだって?」
 母さん情報か?
 冬休み明けのテストと、成績をつけるためのテスト、それに保護者会のおかげで授業はほとんどない。
「なるべく住んでみろってことでしょ」
「そういうこと。いや、さすがに朝から夕方まで学校なのに家が県外じゃ大変だけど、半日なら、なんとかなるよな」
 そもそも、冬休みの間耐えられるかどうかもまだわかりませんけれど。
「まずは、一度、住んでみて少し様子見させてくださいよ」
「わかった。前の子の情報とか他にいるか?」
 情報って、自殺の理由とか?
 あんまり具体的な話を聞いてしまうとよりイメージが固まっちゃって、感じやすくなるんじゃ。
「やめておく」
 アイドルの卵だった。
 それくらいの知識にとどめておこう。



 そんなやり取りから数日後。
 とうとう冬休みが来てしまう。
 今回はいつもと違い制服や学校の用意がいらない分、準備が楽だ。
 まあ課題は出ているのだけれど、教科書をわざわざ見るレベルのものではない。
 課題と、着替えと、日用品。
 母さんがレトルトのカレーやラーメン、他にもすぐに食べられそうなものを用意してくれたが、なるべく作りなさいとも言われた。
 大学生になったら本格的に一人暮らしだからな。
 いい予行演習にもなるだろう。
「慶介、準備出来てるか」
 叔父さんが朝早くから大きめの車で迎えに来てくれる。
「一応。万が一足りないものがあっても帰ってこられない距離じゃないですし」
 土曜日ということもあり仕事が休みの父さんと母さんは、一度部屋を見るため一緒に向かう。
 姉は興味がないらしく着いて来る様子は無いが、玄関までは見送りに来てくれた。
「じゃあ、行ってくる」
「今度帰ってくるときに変なの連れてこないでね」
 興味が無いというより、苦手なのだろう。
「わかってるって」
 叔父さんと俺と父さんと母さん。
 車で一時間もかかっていないだろう。
 県外とはいえ高速を使えば大したことはない。
 森を抜けるわけでもものすごく田舎というわけでもなく、一見、お化けの類とは無縁そうなそれなりに栄えた土地だった。
 近くには大学、駅、バス停。
 コンビニもあって、かなりいい立地条件だ。
 やっぱりここを安く貸してもらえるのは俺としても相当おいしい。
「ここの七階だから、荷物、運ぶぞ」
 車から降りた俺たちは、それぞれが少しずつ荷物を持ち、エレベーターに乗った。
 七階か。
 なるほど、飛び降りするには充分な高さだ。
 わざわざ屋上まで出ることもない。
 もし、これが一階や二階の住人で、屋上から飛び降り自殺があった場合、部屋はワケあり物件になるのだろうか。
 なんてどうでもいいことを考えながらも部屋に到着する。
 ドアを開ける叔父さんの後ろから中を覗き込むが、綺麗に片付けられたその部屋は清潔そのものだ。
「なにかいる?」
 母さんが、興味深そうに俺に尋ねた。
 父さんはバカにするようにため息を洩らしながらも、われ先にと中に入り込む。
「今のところ、よくわからない」
 前に人が住んでいたという面影……気配?
 そういったものは少しくらい感じるが、そんなのはワケあり物件じゃなくても同じことだ。
 たぶん。
 そういえば俺ってワケあり以外、入居経験なかったな。
 家や友人宅じゃ、人の気配があるのは当たり前だし。
 なんだかんだで、重い荷物を率先して運んでくれた父親は、床に荷物を下ろすとジっと、俺の背後あたりに目を向けた。
 釣られるよう、俺も振り向くがそこには郵便受けが取り付けられたドアがあるくらいだ。
 意識してみるとなにかいるような気がしないでもないというレベル。
 母さんは俺の隣で、いまだ靴を脱ぐのに手間取っていた。
「父さん」
 俺が声をかけると、やっと視線を俺に合わせてくれる。
「どうした?」
「どうしたじゃなくて。今、なに見てた?」
「ドアだな」
 どうも不自然だ。
 ひとまず俺も部屋へと上がり、荷物を置く。
 父さんの隣から、ドアへと目を向けた。
「慶介、無理だと思ったらすぐ帰って来い」
 母さんには聞こえないくらいの声で父さんが俺に言う。
「え……」
 もちろん、元々そのつもりではあったが、父さんはいつも霊なんて信じていないから、そんなことを言うのは初めてだ。
「……父さんって、わかるの?」
 視線を合わせないままでの会話。
 無言はきっと肯定だ。
「なんでいままで俺の一人暮らし反対しなかったの?」
 てっきり、霊なんてまったく信じていないからだと思っていたのに。
 わかるのなら、心配の一つくらい普通はするものじゃないだろうか。
「いつも、一緒に下見するだろ」
 それで、平気だってわかっていたから?
 今回は、平気じゃないのか。
「止めた方がいい? ここ」
「まだわからない」
 少し小声でそう話すと、俺の頭を軽く撫でた。
 いままで、霊を怖がる自分は父親にとってバカにされる対象なのではないかと思っていた。
 すぐに帰っては、根性なしだと言われる気がしていたんだけれど。
「言ってくれればよかったのに」
「無駄なことを言って意識させても悪いだろう」
 確かに、意識することで気付いてしまう場合もある。
 それがわかっていながら、このタイミングで父さんが言ったってことは、気付かずに見過ごすと大変なレベルのものでもいるのだろうか。
 まだわからないらしいけれど。
 今回、すぐにでも帰りやすい場所と環境があるのはありがたかった。
「とりあえず、試しに一度、住んでみる」
「強いだけで無害かもしれない。そこまで気にするな」
 その言葉に勇気付けられ、俺は荷解きをした。
 昼ご飯は四人一緒に近くのファミレスで済ませ、夕方、父さんが一緒に一泊しようとまで提案してくれたがさすがに恥ずかしいので一人でいいと断った。
 いつもと違ってえらく過保護。
 不自然すぎるだろう。
 母さんと叔父さんはなんの冗談だと言わんばかりに驚いていた。
 三人が帰ったのは午後五時。
 辺りはすでに暗い。
 風呂は早めに入っておいた方がいいよな。
 夕飯は面倒なのでカップラーメンだ。
 料理は明日からにしよう。
 今晩、俺が耐えられるかが問題だけれども。

 することも無くなったが寝るのには早いかと少しだけテレビを観ていると、不意にチャンネルが切り替わる。
 やっぱり、いるよな。
 まあこの手のことは以前にもよくあった。
 床に置いていたリモコンを手に取り元のチャンネルに戻すが、少ししてまた切り替わる。
 試されているのだろうか。
 あいにく、この程度で騒ぐような男ではない。
「おかしいな」
 俺はあえて気付かないフリをし、テレビの電源をオフにする。
 今日はこれ以上関わりたくない。
 もう寝るとしよう。
 にしてもこいつ、いままでどこにいたのだ。
 気付かなかっただけで、父さんが気にしていたドア辺りに潜んでいたとか。
 俺の存在はもう認識されているに違いない。
 けれど、たぶん俺が向こうを認識しているということには気付いていないだろう。
 折りたたんであった布団を拡げ、毛布にくるまるようにして寝転がる。
 大丈夫。
 寝て起きれば、とりあえず1日終了だ。
 オフにしたはずのテレビはあいかわらず着いていて、それには無反応なままたぬき寝入りをする。
 もしかして、本当にただ見たいテレビがあっただけなのだろうか。
 俺を試すわけでもなく?
 だとしたら、これはもしかしなくてもかわいい女の子の私生活に触れているんじゃ……。
 なに考えてんだ、俺。
 女の子の私生活なんて姉とそう変わらないだろう。
 いや、そういう問題でもないんだけれど。
 どうにも目が冴えてしまう。
 もともと寝るには少し早いし。
 十時くらいか?
 テレビの音が消えしばらくするとお風呂場の方からシャワーの音が聞こえてきた。
 普通の人間ならここらへんで恐怖を感じていただろう。
 ただ俺は普通じゃない。
 こういう経験は何度かある。
 勝手に水の音がするくらい……。
 駄目だ、怖いどころか妙に胸が高鳴ってしまう。
 今、シャワーを浴びているのはかわいい女の子。
 いや、だからかわいいってのも叔父さんが言っているだけの話で本当はわからないだろ。
 今のところ見えないんだから。
 仮に見えたとしてもそれが元の姿かどうかはわからないし、飛び降り後の状態だとしたら絶対に見たくはない。
 テレビのチャンネル争いをしたとき、気配は感じても姿は見えなかった。
 急に見えるようになることはたぶんないだろうから、しばらくは安心だ。
 見たくないものを見なくて済む。
 ……見たい部分も少しはあるがこれはまあ見られない方が幸せだろう。
 想像だけして楽しむことにした。
 父さんが気にするだけあって強いものは感じるけれど、見ることが出来ないのであれば耐えられそうだ。
 どうやら普通に生活しているだけなのかな。
 相手がどんな質のものかわかると少し安心する。
 シャワー音ごときでつい興奮していた俺の気持ちもだいぶ落ち着いてきていた。
 今度こそ寝る。
 今日の収穫はあった。
 霊の質と害の無さがわかっただけでもよしとしよう。