『速度。』 |
朝、進路について担任の先生が話していた。高校三年生といえば受験の年。 だけどまだ一学期だし、早いだろ。なんとなく聞き流していた。 「和巳、帰ろう?」 夕方になって、いつも俺のクラスまで迎えに来てくれるのは、小学生の頃からずっと俺と同じ学校に通い続けている智也だ。 家もわりと近くて、朝も約束しているわけではないがなんとなく同じ電車になる。 帰りは、どうせならと一緒に帰ることが多かった。 中学時代、高校選びなんてある程度、自分の頭と照らし合わせて行ける所ならどこでもいいと思っていた。 特別やりたいことがあるわけでもないし。 普通科なら、その後の選択肢もたくさんあるだろうって。 ここなら家から2駅。それなりに近いし、学力的にもちょうどよかった。 普通くらい。 がんばって頭のいい高校へ行きたいとは思ってなかったし、かといって馬鹿すぎるところもちょっと遠慮したい……なんてね。 智也も同じ意見で、どちらが先に出した答えというわけでもなく、なんとなく一緒に行くことを決めていた。 高校はそんな理由で選んでいたから、俺は進路をちゃんと考えることなんていままで一度もなかった。みんなだってそんなもんだろう。 「智也―…今日の朝、先生が進路について言ってたけど、そっちのクラスでも言ってた?」 電車に乗り込み、いつもみたく俺らはドア付近に立つ。 「あー、言ってた言ってた」 まだ早いよなぁって。そう言う言葉を返されるものだと思っていたのに。 「俺、専門行こうかなーって思ってて」 俺の予想とは違う答えだった。 「専門……って、なんの……?」 「専門じゃなくてもいいんだけど、美術系のさ。美大か美術の専門考えてんの」 なんとなく、置いて行かれた様な気がした。 いつも、一緒だったのに。 高校選ぶのだって。 いや、一緒に決めたわけじゃないけれど。 でも、どこ行こうって、一緒に考えてここにしようって決まった。 美大に行くなんて。 先に一人で、もう答え出ちゃってるんだ……? 「和巳は? 和巳のことだから、まだ決まってないんだろ」 智也はやっぱり俺のことよくわかっている。 その通りだ。 けれども、智也に置いてかれたようで、悔しくて。 「なんとなくは決まってるんだけど、まだ定まってないから。今度、言うよ」 俺は嘘をついた。智也の横に並びたくて。 智也のように、ちゃんと考えているフリをした。 「そうだったんだ? じゃあ、また今度、教えろよ」 なんでもないように智也にそう言われ、胃が重くなるような感覚に陥る。 苦しい。嘘をついたからじゃない。智也に置いていかれたのがだ。 俺に相談もしないで、なんで……? そんな風に思うけれど、実際、俺は智也の親ってわけでもないし、ごく自然のことだ。 普通なんだよ。 だけれど、相談されたかった。 いや、問題はそんなことじゃない。 智也が俺より大人に見えて、距離を感じた。 なにも考えていない自分が、子供に思えた。 家の近くで智也とは別れ、一人家についても、進路のことばかり考えてしまっていた。 まだ早いよね。 いま聞かれてもわかんないし。 なんて智也と話しながら先延ばしにするつもりだった。 実際、俺はまだ早いとか思っちゃってるし。 小学生のときも中学生のときも、一緒に馬鹿なことばっかしていた。 高校に入って、クラスが違って。 智也が学校でどういった生活をしているのかいまいちわからなくなった。 一緒に帰ることは多いから、そのときの智也は昔のままで、俺も昔のままで。 ずっと続くと思ってたのに。 急に感じた違和感。 不安になる。 もう智也は昔の智也じゃないんだろうかって。 当たり前のことなのに。 美術か。 そんなものに興味があるだなんて聞いたことがない。 どちらかといえば、美術関係なら俺の方が得意だと思うし、実際、俺は美術部だし、学びたいなって思える教科だ。 でも、今ここで美大に俺も行くだなんて言ってみろ。 智也の真似みたいだ。 俺が学びたいことは? なんなんだろう。 やっぱり今はまだ答えが出ない。 美術系の学校へ行きたい。 そういう思いも浮かんできたけれど。 それはたぶん、智也が行くって言ったから。 俺自身が出した答えじゃない。 じゃあ俺も行くよだなんて、進路を真似ていいわけでもないだろ。 偶然、同じところを目指していたのなら構わないだろうけどさ。 俺は違うから。 なにも考えていなかった。 今考えてみてどうだろう。 美術か……。 それよりも強く智也と一緒がいいなんて思ってしまう。 いつも一緒だったんだ。 いまさら一人にされるなんて。 けれど、あいつは進路を一人で決めた。 一人で出した答えに、俺が付きまとっていいのだろうか。 自分でちゃんと考えろよって、言われそうな気がして。 胸が締め付けられる。 苦しくて。 そこから解放されたくて、俺は家を出た。 行き先は智也の家。 自転車で向かう途中、まだとぼとぼと歩く智也の後姿を確認できた。 「智也っ!」 俺の声に振り返った智也は、考え事でもしていたのか難しい表情。 「あれ。和巳、どうした?」 自転車を降り、智也と同じ速度で歩く。 「もう少し話そうかなって」 そう言う俺に、智也も笑ってくれた。 「俺も、ちょうど和巳に言おうかなって思ってた」 逆にそう言われ、なんのことだろうと目を向ける。 「美大とか、美術系行くっての、取り消そうかなーって」 軽く苦笑いして、智也は俺に言う。 「え……なんで」 「あれ、俺の意思じゃないんだ。……ホントは、和巳が行くと思ったから、そう言っただけで。でも和巳、他に行くとこもう決めてんだろ。だったら、俺、行く意味ないし。……ホントは、なんも考えてないんだ」 なにも考えてないって。智也も同じ? 「ってか、俺が行くと思ったからって……」 一緒のところがいいとか、思ってくれてたのだろうか。 「あー、なんも考えてないってのはちょっと嘘になるかなぁ。和巳とまた一緒んとこ行きたいって、そればっか考えてた。お前、美大とか行くんじゃないかなって思ってたから。でも、お前はお前で、もうちゃんと一人で進路考えてたんだな」 まるで、俺を遠くに感じたのか、智也の横顔は少し寂しそうにも感じた。 俺が、さっき智也に抱いた感覚と、きっと同じ。 「智也っ! 嘘だから……っ」 智也は理解出来ていないようで、首をかしげこっちを見た。 「……俺、本当はなんも考えてなくてっ。……ただ、智也が美大行くとか進路のことちゃんと考えてるみたいだったからっ。置いてかれた気がして嘘ついたんだ。本当は、どこ行こうかなんてなにも考えてなかった。俺も……一緒んとこ行きたい」 一瞬間を空けて、智也は笑ってくれる。 「なんだ。やっぱ俺ら、一緒だったんだ」 考え方、感じ方、不安に思うこと。 速度が、歩幅が、一緒なんだ。 智也といると安心する。 不安は、智也が離れてしまうことだけ。 「ずっと、一緒だったからな」 俺がそう言うと、智也は足を止め、俺もそれに合わせるよう立ち止まり向き直った。 「なに…」 「一緒んとこ行きたいっていうか。俺、和巳と離れたくないんだけど」 智也の真剣な目が、俺をジっと捉えていた。 そう言われたことが嬉しくて、妙に体が熱くなる。 なんだか恥ずかしくなった俺は、それでも智也の気持ちに応えようと、頷いた。 自然と、引き寄せられて、お互いの口が重なった。 智也とこんなことするなんて。 気付いていなかった感情。 だけれど、今、確かに感じる。 ものすごく幸せで。 俺も、ずっと智也と離れたくない、そう思った。 |