夜9時を過ぎた頃。
 久しぶりにバーのカウンターで1人飲みながら、客に視線を向ける。
 かわいい子は何人かいた。
 あきらかに、声をかけられるのを待っているような子もちらほらいる。
 そんな中、俺はまだ誰にも声をかけられずにいた。

 先日、家の近くにある学校の学祭で、わりとタイプの子がいたから声をかけて。
 結果、散々な目にあったけど、あの日以来、またされたくて、ずっと体が疼いてる。
 やられて、メスイキさせられて……あの快感を、俺はまた求めていた。
 いま思えば、タチのときでも騎乗位だったりフェラだったり、相手にしてもらって満足してたけど。

 あの日の出来事を思い返す。
『これでネコにハマっちゃっても責任取らないけど……今日だけ、かわいがってあげる』
『入れるだけじゃ満足できない体になっちゃった?』
『これから誰か誘うときは、入れてくださいっておねだりしようね?』

 まんまと、あいつの思惑通りになってしまった。
 あいつとはそれっきりの関係で、もう一度なんてことは望めない。
 あいつには恋人がいるらしいし、そもそも連絡先も知らないし。
 俺も別に、好きとかそういうんじゃない。
 ただ、受けの立場で気持ちいいセックスがしたいだけ。

 自分で指を入れても、それなりにしか気持ちよくなかったし、奥までは届かないし。
 とにかく、無性に誰かに抱かれたい。
 あれから2週間。
 気づくとそのことばかり、考えていた。

 友人に教えてもらったこの店は、そういう目的の男がよく来ている。
 ここでナンパしたこともされたこともあるし、その日限りの行為を何度かしてきた。

 ある程度、見ればそいつがタチかネコかは察する。
 向こうも、察してくれた方が都合がいいだろうし、隠すつもりもないだろう。

 そんな中、1人、良さそうな男を見つける。
 俺より小柄で、万が一なにかあったとしても、腕力で勝てそうだ。
 かわいらしくて、一見、ネコに見える。
 2人ほど男が声をかけていたけれど、断っているようだった。
 たぶん、タチ同士だからだろう。
 そもそも醸し出す雰囲気からしてタチに見えるけど。
 これまでタチだった俺も、いまはネコの立場でタチの男を求めてるんだから、結局、話してみないとわからない。

 そういえばあの日は、自分がタチだと思い込んで、あいつの誘いに乗ってしまったけど。
 そいつは普段ネコの男だったし、偽装する気満々だったから、それも仕方ない。

 ひとまず、少し話くらいはしてみようか。
 視線を向けると目が合って、向こうも酒を片手に頬を緩める。
 あんな目にあったってのに、またナンパなんて、自分でも懲りてないなんて思うけど。
 今度は、やる側じゃなくやられる側だし、美人局みたいなことはないだろう。

 声をかけてみようと、飲みかけのコップを手に立ち上がる。
 目当ての子のところへ向かいかけた瞬間、誰かが後ろから俺の腕を引いた。
「なっ……」
「なにしてんの。アレ、かわいいけど、どう見てもタチでしょ」
 俺の腕を引いたのは、大学からの友人……篠木だった。
 俺が働いているアパレルブランドの服に身を包んでいる。
 以前、俺が見立てたその服は、立っているだけで様になるくらい似合っていた。
 自由度の高いデザイン会社に勤めている篠は、服に合わせるようにして、髪も明るく染めている。
 チャラく見えそうではあるけれど、どこか温和な雰囲気が漂っていて、警戒心を抱かれにくい……そういう男だ。

 篠とは考え方や価値観が似ていて、一緒にいるのが一番ラクな相手だと思う。
 性癖も、ある程度さらけだしてきたし、3Pをしたことだってある。
 尻を使うか口を使うか、じゃんけんで決めたり相手に決めてもらったり、そういうことはあったけど、俺や篠が入れられる側に回ったことはない。

 この店を教えてくれたのも篠だけど、いまは一番会いたくない相手だったかもしれない。
「今日、職場の飲み会だって言ってなかったっけ」
 篠から、先日そう予定を聞いていた。
 だから俺は、今日ここに来たのに。
「ああ、それ、参加人数少なすぎて別日になったんだよね。それより、きおくんの目、節穴になっちゃった?」
 俺が、タチとネコを見極め損ねたと思ってか、そうからかってくる。
 俺も篠と同じで、あいつはタチだと思ってるし、節穴だなんて言われたくはないけど。

「こないだ学祭でも、ナンパ失敗したんでしょ。調子悪いじゃん」
 学祭に行くことは、篠に話していた。
 誰か引っ掻けられないかって行くことは話していたけれど、どうだったか聞かれて、なんの成果も得られなかったということにしてある。
 実際は、ナンパした子の彼氏に殴られかけて、どうにか逃げたところ、そのツレにヤられたわけだけど。
「俺が声かけてやるよ。久しぶりに一緒にしよ」
 いつもの俺なら、声をかける手間も省けるし、2人で攻めるのも楽しいから大歓迎だっただろう。
「今日はそういう気分じゃない」
「2Pがいいんだ? なんか腑抜けてるし、そんなんで攻められる?」
 からかっているようで、本質を見抜かれる。
 正直、攻められる気はしない。
 攻められたい。
 そう思っていると、男が1人、俺たちの方へと近づいて来た。
 さっき、俺が声をかけようとした男だ。
「せっかく来てくれると思ったのに。なんで邪魔しちゃうかな」
 そう篠に声をかける。
「ああ、すみません。俺もこいつもタチなんで、間違えちゃって。君もでしょ」
 篠は、波風立たないようにそう柔らかい口調で答えていたけれど、たぶん、この人は見抜いてる。
 俺がどういうつもりで、声をかけようとしてたか。
「……2人は友達?」
「まあ、そうですね」
 下手に口を挟めない俺を差し置いて、篠が答える。
「ずいぶんおせっかいなお友達だね。邪魔してる自覚ある?」
 あきらかに煽る気満々だったけど、篠は気にせず流す。
「間違っちゃったんで、親友として止めただけです」
 間違ってないんだけど。
「親友のこと全然わかってないみたいだけど」
 男はそう篠に言い残し、元居た場所へと向かう。
「すみません」
 俺は一言、その背に謝った。

「なにあれ」
 篠は、男が立ち去ると、少しだけ不満そうに……というより意味が分からないといった様子で呟く。
「きおも、なんで謝ってんの」
「まあ……声かけようとしたのは事実だし。こっちこさせちゃったし。お前だって謝ってたじゃん」
「そうだけど」

 正直、あの子が怒るのもわかる。
 完全に、篠は邪魔をしていた。
 あの子からしてみれば、間違えたなんて言われても納得し辛いだろう。
 でも篠が悪いとも言い切れない。
 まだ声をかける前だったし、篠は本当に、俺が間違えたと思って矢面に立ってくれただけ。
『親友のこと全然わかってないみたいだけど』
 それは、俺が隠しているからだ。
 篠なら、ただの捨て台詞だと思って流してくれそうだけど。

「……今日はもう帰るわ」
 残っていた酒を飲み干して、会計を済ませる。
「大丈夫? またナンパ失敗で、へこんでない?」
 ある意味失敗だけど。
「お前が邪魔したからだろ」
 つい、そう言い返してしまう。
「なに、きおまでそんなこと言うの?」
 別に俺は怒ってるわけでもないし、ただ事実を言い返しただけだけど。
 篠は本気で邪魔をしたつもりはないと思ってる。
 俺が間違えたと思い込んでいるから。
「いや……」
「たしかに向こうもその気っぽかったけど。君もタチでしょって確認しても否定しなかったし、お互い譲る気ないなら失敗でしょ」
「わかった。わかったから。俺が間違った」
 いろいろと、間違えてしまったんだろう。
 そう言い残し店を出るけれど、そんな俺の後ろを篠がついてきた。

「なんで篠まで出てくんだよ。ナンパする気で店来たんだろ」
「半分そうだけど。きおいるかなって思ってここ来たし、きおと一緒に3Pでもいいって思ってたし」

 今日は3Pの気分じゃない。
 というより誰かを抱く気分じゃない。
 俺は誰かに抱かれに来たのに、篠に邪魔されてしまった。
 でも篠なら、その責任を取ってくれるかもしれない。

 正直、条件はかなりいい。
 話は通じるし、3Pしたときに見てるから、篠がどういうセックスをするかもだいたいわかってる。
 無理やり突っ込むようなことはしないし、相手を気遣う余裕も持ってる男だ。

 ただ、身内みたいなもんだからこそ見せづらい。
 初対面の占い師になら、なんでも相談もできるみたいな感覚で。
 知らない相手の方が、都合がいいこともある。

 一度、篠に抱かれたら、次3Pするときどんな顔で一緒に攻めたらいいのか。
 もうしづらくなるかもしれない。

「どしたの、きおくん」
 俺の異変に気付いた様子で、篠が顔を覗き込む。
 視線を逸らそうと俯いたけど、篠は俺の顔を掴んで口を重ねた。
 店の前だけど、正直それはどうでもいい。
「ん……きお? 変だよ」
「ん……」
 篠なら。
 篠でいいのか?
「ほら。払いのけないと、もっとエロいキスしちゃうよ」
 篠とキスをするのは初めてじゃない。
 3P中、流れでしたこともある。
 もう一度、重ねた口の隙間から、差し込まれた篠の舌が俺の舌に絡みつく。
 気持ちいい。
 ますますやりたくなってきてしまう。
 それでもやっぱり、いまは入れたいより入れられたい。

「はぁ……」
「……その気になってきた? いけそうな子呼ぶ? きお、寝転がってていいから。きおくんと誰か共有してHすんの、めちゃくちゃ萌えるんだよね」
 3Pが楽しい気持ちももちろんわかる。
 仲のいい友人……親友と、共通のオモチャで一緒に遊ぶ感覚。
 相手も2人に攻められて喜んでくれるし。
 もちろん、理解のある人としかしないけど。
「今日は、そういう気分じゃ……」
「俺と3Pすんの、嫌になった? 2人がいい?」
「そういうんじゃなくて……今日は……」

 とりあえず、相手を篠にするかどうかは別にして、もう言ってしまった方がいいだろう。
 気に掛けてくれているみたいだし。
「……今日は、タチじゃなくて。ネコのつもりで来てたから」
 篠の顔は見れなかったけど、隠していた気持ちを篠に告げた。