鳥島先生の家に泊まった日のことは、正直ずっと頭に残っていた。
 頭だけじゃない。
 体にも刻まれてるみたいに、ときどき思い出す。
 舐められて、気持ち良くて。
 あわよくばまた味わいたいし、鳥島先生ならしてくれるだろう。
 ただ、向こうが俺を好きでいてくれるのをいいことに、利用しているようで気が引ける。

 俺はなにも鳥島先生に返せていない。
 まるで借りを作っているような心地悪さが積み重なっている。
 だから、向こうがしたいと思って襲ってくるなら拒まないけど、俺から都合よく求めるのは、なんか違う気がしていた。

 そんなある日の昼休み。

「佐藤先生は、処女と童貞、どっち先に捨てたい?」
 科学準備室にやってきた鳥島先生は、無遠慮にそんなことを聞いてきた。
 頭が痛くなるような冗談……いや、この人の場合、冗談でもないんだろう。
 捨てたくないなんて思ってるわけではないけど、捨てたいと思ってるわけでもない。
「そんなの……考えたことないけど」
「そう? ちなみに俺は、先に童貞捨てたけどね」
「そういう話なら、樋口先生とでもした方が楽しいんじゃない?」
「もうしてるよ。ちなみに、よければ俺が捨てさせるけど……」

 できるものなら、体験したい気持ちもある。
 でも、これは確実に『やらせてもらう』状態だ。
 情けとか情ではないだろうし、見下されているとも思わないけど。
「見返りとか求められても困るし」
「佐藤先生と出来る時点で俺ももらってるようなもんだよね。とりあえずキスだけしていい?」
「だめです」
「えー……キスくらいならできる仲になったと思ったのに。俺の勘違い?」
 鳥島先生が、俺の顔を覗き込む。
 勘違いではない。
 ただ、泊まって以来、1週間が経とうとしていたけれど、あれからキスのひとつもしていなかった。
「いや、学校だし」
「誰も見てないよ」
 それでも、キスなんてしたら確実に意識するだろうし、もっと欲しくなっても困る。
「学校がだめなら、また俺んち来てよ」
「キスのために行くみたいになるじゃん」
「そうだよ。キスのために来てよ」
 学校だからだめ……みたいな言い方をしてしまったし、実際、鳥島先生の家でなら、どれだけキスをしてくれてもいい。
 ただ、それ以上の行為は――
「ね、今日でもいい? 明日休みだし」
「たかがキスのために、翌日休みに合わせて行くって?」
「たかがじゃないよ。キス以上のこともしちゃうかもしんないし……?」
 俺も、たかがなんて思ってない。
 思ってないから、ここではできないし。
 行けば、きっとキス以上のことを期待してしまう。
 というか、すでにもう期待しかけてる。
 なにも言えないでいると、
「……いろいろ準備もあるし、先に童貞捨てよっか」
 鳥島先生が、俺の耳元で囁いた。
「いつでも入れられるように最近、慣らしてるから。ね?」
 そう言い残して、俺から距離を取る。
「そろそろ午後の準備しないと。じゃ、またね」
 たぶん、俺がなにも言えずどうしようもなくなっていることも、わかってるんだろう。
 鳥島先生は、俺がなにか答える隙もなく、科学準備室を出て行った。

 今日……って言われた?
 今日、するのか?
 さすがに唐突すぎる。
 いや、唐突にならないように事前に宣言されたのか。
 そもそも付き合ってるわけでもないのに……。
 なんて、そんなことを言っていたら、俺は一生、童貞のままだろうけど。
 どうすればいいのか、まったく想像できない。
 ただ、俺がリードしないといけない相手でもないし、鳥島先生に任せたらいいのか?
「はぁ……」
 俺は大きなため息を漏らし、どうにか頭を切り替えて、午後の授業に向かった。



 放課後、俺より早く仕事を切り上げたらしい鳥島先生に、職員室で声をかけられる。
「いろいろ準備しておくから、7時くらいにうち来てよ」
「いや、そんないきなり……7時に終わるかどうかもわからないし」
「もっと遅くてもいいよ。駐車場あけとくね。場所わかる?」
 行けば、少なくともキスはできて、たぶんもう少し気持ちいいこともできる。
 これじゃあ、そういうことがしたくて行くみたいだけど。
「……わかる」
「うん。迷ったら連絡して」
 結局、なんとなく断り損ねて、行くことになってしまう。
 行きたくなかったわけでもないけど。

 帰っていく鳥島先生を見送った後、俺の隣に座った樋口先生の視線が突き刺さってきた。
「……あの、なにか」
「なにか手伝う? 仕事、早く終わらせないと」
「いいですよ、わざわざ。聞いてましたよね。7時に着くようには終われますし、終われなくても大丈夫です」
「先にお風呂入ったり、手土産用意したりしないの?」
「いや、ちょっと寄るだけだから」
「絶対お泊まりでしょ。ま、鳥ちゃんなら、お風呂貸してくれるだろうけど」
 たぶん樋口先生の言う通りだ。
 泊まりになるかもしれないし、もし……もしなにかあるんだとしたら、お風呂も入っていった方がいいのかもしれない。
 手土産だって、持って行くに越したことはない。
「……手土産って」
「ローション持ってったら喜ぶと思う」
「聞いた俺がバカでした」
「冗談ですよ。おいしい酒があるんだけど」
「最初からそれを言ってください」
「ただ、酒を持ってくって泊まる気満々だよね」
 車で向かって酒が手土産は、たしかに泊まる前提の手土産だ。
「まあ、そもそも泊まるだろうから、今更だけど。この酒、マジでうまいです」
 樋口先生はそう言うと、スマホで酒の画像を見せてくれた。
「どこに売ってるんですか」
「車で10分くらいのとこ」
 地図を開いて酒屋の場所を教えてくれる。
「持っていくかどうかは別として、買ってみようと思います」
 自分で飲む用にしてもいい。

 結局、早めに仕事を終わらせて、酒を購入した後、自宅に戻った俺は、念のためシャワーを浴びることにした。
 泊まるなら、入っておいたほうがいいし。
 泊まらないにしても、向こうは何か準備してるみたいだし。
 それがどういった準備なのかわからないけど、たぶん風呂に入ったりしてくれている気がする。
 だから俺も入るだけで……なんて、わざわざ言い訳を考えてしまう。
 たかが風呂に入るか入らないかで、こんなに頭を悩ませるのもバカらしい。
 夜遊びに行く前に、シャワーを浴びたってだけの話だ。
 鳥島先生は体育教師だから、早めに1日の汗を流しているかもしれない。
「はぁ……」
 いまさら、やっぱり行かないなんて連絡をするのも面倒だし、別にこれまで一緒に食事をしたことは、何度もあった。
 なんてことない。

 駐車場に車を停めた後、酒が入ったカバンを持って、鳥島先生の家のインターホンを押す。
「おつかれー。あがって」
 鳥島先生はすぐにドアを開けて俺を出迎えてくれた。
「……お邪魔します」
 靴を脱いで、家にあがらせてもらうと、すぐ鳥島先生が俺に身を寄せてくる。
「キス、していいよね?」
 今度は拒む理由がない。
「いきなり……?」
「学校にいるときから、ずっと我慢してたから。ね」
「……いい、けど」
「ありがと」
 鳥島先生は許可を取ってから、俺の口を塞ぐ。
 塞ぎながら俺を壁に追いやると、右手でズボンの上から股間に触れてきた。
「ん……あ……その、キスはいいって言ったけど……」
「触っちゃだめだった?」
 駄目ではないし、いちいち聞かないでほしいとも思うけど。
「だってさ。近づいたらすっごくいい匂いするんだもん。シャンプーの匂い? お風呂入って来てくれたんでしょ」
「泊まるなら、先に済ませておこうと思っただけで……」
「泊まる気でいてくれたんだ?」
 別に明日が休みってだけで、泊まるなんて話にはなってない。
「泊まる……かもしれないって……」
 少し前、いろいろ考えていた言い訳が頭から吹っ飛ぶ。
「いいよ。泊まって?」
 鳥島先生は、本格的にスイッチが入ってしまったみたいに、深く口を重ねた。
 差し込まれた鳥島先生の舌先に舌を絡め取られると、それだけで頭がぼんやりしてくる。
 やっぱり気持ちいい。
「ん……う……」
 舌が絡まり合う音が脳内に響いて、鳥島先生の手を止める気が失せてしまう。
 右手はカバンでふさがってるし、そもそもやめてほしくないと思っているのかもしれない。
 気持ち良くて、もっと続けたい。
「はぁ……あ……」
「苦しい? 息あがってきてる……」
 それだけ興奮しているからだ。
 鳥島先生が俺のカバンを取り上げて、床に置く。
 手が空いたところで、結局、鳥島先生を拒む気にはなれなかった。
 鳥島先生は、言葉を挟んで何度も口を重ね直す。
「んん、ん……」
 こんな熱っぽくしなくていいのに。
 なにかに飢えているみたいな……あるいは、恋人同士みたい。

 酸欠になりそうなほど、舌を絡め尽くして、やっと口が解放されたかと思うと、鳥島先生は俺の耳元に口を寄せた。
「ねぇ、佐藤先生。したい……すごくしたい……だめ?」
 熱っぽい声に、煽られる。
「……なに、を」
 なんとなくわかってるし、無粋だけれど、勘違いしたくない。
「もっとエッチなこと……セックス。準備してるから、ね」
 この人は、なにを準備してるんだろう。
 俺の心の準備は、まだできていない。
「俺……」
「ここ……大きくなってる。佐藤先生の方は、それだけでいいから。入れられるのは俺ね」
 まるでお互い準備が終わっていると言わんばかり。
「……嫌ならしないよ。ゴムも使うから。何が不安か教えて」
 不安なことと言えば……鳥島先生にどう見られるか。
 恥を晒さないか。
 そんなの今更だけど。
「うまく……できるか……」
「別にうまくやろうとしなくていいよ」
「鳥島先生……入れられる準備できてるってこと……?」
「うん。できてる」
 それがどういった準備なのか、具体的にはわからなかったけど、入れると思ってしまったせいか、身体が疼く。
「ん……ここ、反応してる。期待してくれた? これ、入れてみたいよね?」
 布越しに触れていただけの右手で、熱くなっているモノを優しく掴まれる。
 誘導尋問のようだったけど、むしろその方がありがたい。
 俺は促されるようにして、ただ頷いた。