昼休み、俺はいつも1人でご飯を食べていた。
 その方がラクだ。
 今日もまた、いつものように1人で自作の弁当を食べていると、俺のいる化学準備室の扉が、コンコンとノックされた。
「失礼しまーす」
「え……鳥島先生?」
「一緒に食べていい?」
「……たまにはいいけど」
「たまにしかダメかー」
 笑いながら、鳥島先生もまた、持ってきていた弁当を机に置いて、すぐ隣のイスに腰掛ける。
「朝、なんか考え事してるみたいだったからさ。大丈夫?」
 俺を心配して来たのか。
 それなら、問題ない。
 というか、鳥島先生が問題そのものだから、触れないで欲しい。
「大丈夫だよ」
「智巳ちゃんにからかわれて、怒ってる?」
「怒ってない。いつものことだし、いつも流してる。流しまくってるから、俺なんかからかっても、おもしろくないだろって思ってるけど」
「そうだねー。今日も流せた?」
 流したつもりだ。
 でも、なにかおかしいことには気づいているだろう。
「ごめんね。俺があまりにも時間かけてるせいで、智巳ちゃん、ちょっとじれったくなっちゃったみたい」
「……なんのことですか」
 いや、ここは聞かない方がよかったか。
「俺は、焦らされるのも好きだからさー。誰かに先越されそうな気配もなかったし、もっとゆっくりでもいいんだけど」
 先越されれそうな気配がないって、恋愛フラグゼロだとでも言いたいんだろうか。
 実際、そうだけど。
「……はっきり言うね? 佐藤先生のこと、大好きなんだけど」
「……や……めてください、そういうの……」
「冗談じゃないよ。ああ、放課後言った方がよかったか。午後の授業、集中できない?」
「そういう問題じゃ……」
「だよね。佐藤先生、流すのうまいし。いつもうまいのに、どうして今日は、智巳ちゃんのこと、流せなかったの?」
 なにを聞かれてるんだ、俺は。
 好きって言われて。
 その返事は?
 いや、返事は求められてない。
 でも、なんで流せなかったかって。
 智巳先生の言ってることが、おそらく核心をついていたからだ。
 恋。
 ダメだ、そんなの。
 壊れる。
 いままでの関係とか。
 でも、そもそも昨日から、うまく流せてなかった。
 いつもより、過剰反応してたと思う。
 だから、脈ありだなんて勘違いされて……いや、勘違いでもないのかもしれないけど。
「佐藤せんせー。おーい」
「あ……」
「どしたの? 黙っちゃって。答えたくない?」
 答えたくない。
 俺はほぼ反射的に、頷いていた。
「おお、マジか。いつもなんでも冷静に返してくれるのにー」
 冷静でいられない。

 だって絶対、幻滅する。
 好きになったらどう接すればいいのかわからなくなるガキみたいな俺を、めんどくさく思わないはずがない。
 中学生や高校生ならまだしも、引くだろ。
 やるとかやられるとか以前に、キスだって――
「佐藤先生は? 俺のこと好き?」
「あ……」
 なんだこれ。
 告白の……返事?
 さっき、初めて好きって言われた。
 ていうか、さっきの、告白であってる?
「あの……さっき、告白……した?」
「したよ」
「どういう意味で……」
「んー……恋人? だから、佐藤先生も、そういう意味で考えて、お返事くれる?」
 お返事。
 やっぱり、告白だから返事をするべきなんだ。
 俺は……めちゃくちゃ意識し出してる。
 でも、これって好きなのか?
 好かれてるから、恥ずかしいだけなんじゃ……。
 わからないけど、恋愛感情がわからないなんて、20越えた大人が言っていいものなのか。
「俺……」
「うん」
 なにこれ。
「わかん、ない……」
「えー、俺のこと、好きかどうかわかんないの?」
 少し困ったように告げる鳥島先生の声を聞いて、ものすごく傷つけているような気がした。
 俺が、未熟なだけなのに。
「……ごめん」
「いや、ごめんって。え、お断り?」
「そうじゃなくて……わからなくて……そういう……好き、とか……」
「あー……」
 納得したのかどうかはわからないけど、鳥島先生はいったん、追及をやめてくれた。
「じゃあ……体の関係からはじめてみる?」
「え……」
「俺はそっちでもいいよ。体の相性確認して、その後、判断してくれてもいいし。まあ、本気で合わせにいくつもりだけど」
 体の相性って?
 合わせるって?
 やるのもやられるのもどっちでもいいみたいだし、そういうの含めて、俺にいろいろ合わせてくれるんだろうか。
「がんばって、佐藤先生のこと満足させるから……」
 そう言うと、身を乗り出した鳥島先生が、ズボンの上から俺の股間を軽く撫で上げる。
「なっ……」
「とりあえず、気持ちよくしてあげる」
「や……やめてください。いきなり、そういうの……!」
「手で抜くだけだって。気持ち悪いならやめるけど。そんな重く考えてくれなくていいから」
 気持ち悪いとかじゃない。
 でも、軽く考えられない。
 別に、好きな人同士じゃなきゃダメだとか、そういうことでもないけど。
 初めてで、なにもかもわかってなさすぎる自分を、晒すことになってしまう気がして。
「やめ……」
 やめないと。
 そう思うのに、ズボンの上から鳥島先生の手にゆるゆる撫でられて、気持ちよくなってくる。
 いろいろ想像して、1人で何度も抜いてきたけど、初めて、人の手で……。
「ん……」
 ああ、自分と全然違う。
 夢とも違う。
 布越しなのに、すごい感じる。
 気持ちいい。
 こんなに気持ちいいんだ。
 少し撫でられてるだけなのに、こんなに感じるなんて、慣れてないの丸わかり?
 ダメだ。
 このままじゃ、いろいろバレかねない。
「んー……んぅ……」
「かわいー。ちょっと硬くなってきてるね。もっと擦っていい?」
 ダメ。
 もう、絶対ダメ。
 こんな反応してたら、絶対怪しまれる。
 そう思うのに、頭がぼんやりして、どうすればいいのかわからない。
 小さく首を横に振るけれど、それ以上のことが出来なかった。
「えー、ダメなの?」
 俺は小さく頷く。
 頷いた瞬間、涙がこぼれ落ちた。
「はぁ……ん……」
「え……マジでかわいすぎなんだけど。いや、ごめんごめん。なんで泣いちゃった? それだけ教えて」
 なんで。
 気持ちいのに、やめないといけないから?
 初めてだってバレて、恥ずかしい思いをしたくないから?
 引かれるのが怖いから?
 やめたくないけど、引かれたくない。
 そもそも引くのか?
 わかんない。
「俺にされて、嫌?」
 それは違う。
 違うのに、答えられない。
 そうやって、なにも出来ずにいると、鳥島先生の手がすっと離れていった。
「…………ごめん。マジの涙……だったりする? えっと……」
 こんなの……頭がパンクする。
 どう話せばいい?
 うまく対応できない自分が情けなくて、また涙が溢れそうになった。
「すみません。調子乗りました」
 鳥島先生はそう俺に謝ると、小さく頭を下げた。
 ああ、終わってしまう。
 続けていいのかわからないけど、鳥島先生が、俺に申し訳なく思ってるのは確かだ。
「頭、冷やしてきます」
 そう言って席を立つ鳥島先生の腕を慌てて掴む。
「え……?」
 引き留めるのがやっとで、なにをどう言えばいいのかは、まだわからなかった。
「佐藤先生……?」
「あの……俺……」
「うん……?」
「……えっと……鳥島先生が、悪いわけじゃ……」
「んー? ありがとう」
 鳥島先生は、そう言うけれど、気にしていないわけじゃないだろう。
 ……別に、バラす必要はない。
 でも、なんでもないのに、こんなに拒絶してるとも思われたくはない。
「……こういうの……慣れて、なくて……すいません」
「いや、それは謝る必要ないけど」
「言葉が……出て、こなくて……声も……」
「ん……んー……じゃあ、首、振れる? 嫌だった?」
 俺はなんとか首を横に振る。
「でも……」
「うん。混乱してる? 緊張?」
 今度は、小さく頷く。
「……初めて?」
 引かれるに決まってる。
 でもいまさらだ。
 俺の態度で、もうバレているかもしれない。
 顔が、かぁっと熱くなった。
 たぶん、真っ赤になっているだろう。
「俺……」
 鳥島先生が、俺の顔を掴んで上を向かせる。
 目が離せない。
「キスしていい?」
「…………」
「……もしかして、キスも初めてだったりする?」
「あ……」
「いいよ。そんなんで、からかったりしないから。俺が初めての相手になっていい?」
「……したら……意識、しそうで……」
 言わない方がよかったか。
 キスだけで意識するなんて、子どもすぎ?
「うん、して? もっといっぱい、しゃべれなくなっちゃうくらい、俺のこと意識していいからね」
 そう言うと、鳥島先生は、俺の唇にそっと唇を重ねた。