ずっと緊張したまま、どれくらい時間が経ったかわからなかった。
 駐車場に車を停めた後、運転席から降りてきた桐生がドアを開けてくれる。
 降りようとした瞬間、身を乗り出した桐生が、唇を重ねてきた。
「ん……」
「見られるといけないから、続きは後な」
 突然過ぎて、どう言えばいいのかわからない。
 はい……なんて答えるのも変だし。
 いや、別に変じゃないか。
「おいで」
 言われるがまま、車を降りて、桐生について行く。

「1人暮らしだから、気を使わなくていいよ」
「はい」
 リビングのソファに俺を座らせた後、桐生は大きな段ボールを持ってきた。
「これ、手紙と一緒に送られてきたやつ。北海道旅行のお土産なんだけど、渡部先生とか、同僚にも分けてあげてって言われてて。それで手紙とお土産、学校に持ってってたんだよね」
 桐生の言う通り、段ボールの中には、北海道のお土産らしきものがいろいろ入っていた。
「あ、そうだ。免許証見る?」
「免許証?」
「そう、名前」
 差し出された免許証の氏名の欄には、桐生深雪の名前。
 どうやら本当に、深雪という名前らしい。
「桐生の名前だったんですね」
「まあね。女っぽい名前だし、雪之が女と間違えるのも無理ないけど」
「すごく桐生みたいな字だった……」
 俺がそう言うと、桐生がカバンから手紙を取り出す。
「たしかに似てるなー。まあ、結論から言うと父親なんだけど」
「は……? 父親が、世界一愛してるとか言うんですか」
「そういう親なんだよね。まあ自分でも下手な言い訳っぽく感じるから、電話、繋ぐよ」
 桐生が、なにやらスマホを操作し始める。
 電話をする気らしい。
「あ、2枚目も見ていいよ。浩ちゃんってのが渡部先生。渡部先生のこともいろいろ書いてあるから、とりあえず、雪之が心配するような相手じゃないってことはわかるかも」
「心配……とか」
 してないって、言ってもさすがに無駄だろう。
 とりあえず、2枚目に目を通す。
 そこには、浩ちゃんにお土産を渡して欲しいことや、浩ちゃんも俺の大事な子……みたいなことが書かれていた。
 たしかに、桐生の浮気相手って感じではない。
 むしろ、桐生と渡部先生の保護者のような雰囲気で、父親だというのも頷ける。

「ああ、電話繋がった。もしもし」
『もしもーし、どうしたの、深雪ちゃん』
 電話の向こうから、少しテンション高めの声が聞こえてきた。
 深雪だってことは理解していたけれど、実際に呼ばれているのを聞いて、改めて実感する。
「スピーカーにしてるんだけど、いい?」
『いいよ。そういえば浩ちゃんから連絡来たよ。お土産ありがとうって。渡してくれてありがとう』
「うん。浩ちゃんも喜んでた」
 どうやら本当に、お土産を送ってきた相手のようだ。
「ちょっと今日、教え子がうちに来てるんだけど」
 桐生はそう言うと、ちらっと俺を見る。
 俺はどうすればいいかわからなかったけど、桐生に向けられるがまま、スマホの画面を見た。
 そこに映り込んでいたのは、かっこいい人で、なんとなくホストっぽい雰囲気の男。
『深雪ちゃん、教え子家に呼んでんの? てか俺、深雪ちゃんとか言ってんのまずい?』
「いいよ。大丈夫」
『光流……じゃなかった。桐生雪寛です。深雪の父親です。いつも深雪がお世話になってます』
「い、いえ……」
 桐生は話さなくていいって言ってたけど、この流れで挨拶しないわけにはいかない。
「工藤雪之丞です。先生にはいつも、俺の方がお世話になってます」
『ありがとう。雪之丞くんっていうのかぁ。俺と深雪とお揃いだね。雪』
「え……ああ、はい」
 俺に対してにっこり笑う姿が、少しだけ桐生と重なった。
 声も……というより、口調も、どことなく桐生に似ている気がする。
 ただ、桐生くらいの子供がいるようには見えないけど。
「わけわかんないこと言わなくていいから」
 桐生がそう突っ込む。
『はいはい。つーか、そんなかわいがってる教え子いるってわかってたら、もっとお土産送ったのに』
「十分あるからいいよ。うちで一緒に食べる。それじゃあもう切るから」
『え、結局なんの用だった?』
「別に、とくにないよ」
『事前にあとで電話するって予告までしといて? もしかして、雪之丞くんのこと俺に見せたかった?』
 桐生が小さくため息を漏らす。
「逆。世界一愛してるとか手紙に書く相手がどんなやつか、雪之に見せたかっただけ」
 そこまで言うと、桐生のお父さんはなにか察したらしく、なるほどと言った様子で頷いた。
『そっか。ごめんね。本当に世界一愛してるんだけど、親としてだから、気にしないで』
「い、いえ……俺は別に……! 父親だって最初からわかってたら、その……」
 頬が熱くなる。
 もしかしたら、赤くなってしまっているかもしれない。
『深雪ちゃん。言わなかったの?』
「まあいろいろあったんだって。タイミングとか」
 するとそこに、もう1人、男が映り込んできた。
『深雪ちゃんじゃん。久しぶりー』
 またホストみたいな派手な男。
「ああ、ツバサさん、久しぶりです」
『あいかわらずかわいいねぇ。しかもずいぶんきれいな子、つれてんじゃん』
「俺の教え子です」
 相手は桐生より年上なんだろうけど、桐生は、かわいいって言われ慣れているみたいだった。
『深雪ちゃん、教え子なんて言われても、さすがに俺と光流さんの目はごまかせないよ』
「……ですよね。一応、教え子ってのは本当なんですけど」
 まさか、関係を悟られてるんだろうか。
 思わず、桐生の方に目を向ける。
 桐生もこっちを見ていて、目が合った。
『ツバサは仕事戻んなって。ほら』
 そう言って桐生のお父さんが、ツバサと呼ばれた男の人を追い払う。
『その子がハタチ過ぎたときにでも2人で遊びにおいで』
 少し遠くで、そう言う声だけが聞こえた。

『まあ、詳しくは聞かないけど。バレないように気をつけなよ』
 桐生のお父さんが、俺たちの方を見て告げる。
「もうすぐ卒業だから」
『卒業前に、家に連れ込んじゃってるじゃん』
「そうなんだけど……もう本当に切るから」
『はいはい。雪之丞くん、うちの子と仲良くしてやってね』
「あ……はい……」
『深雪ちゃん。愛してるよ』
「はいはい。仕事がんばって」
 そうして、通話が終わると、体から力が抜けるのを感じた。

 本当に、愛してるとか言う人だったし、たぶんあれは演技じゃない。
 ナチュラルにいつも使ってる感じだ。
「お父さんにしては、若く見えましたけど……」
「そこはもう、あいつが童顔っつーか、若作りしてるだけなんだけど。16しか離れてないしね」
「16……?」
「いまの雪之より若い頃、俺作ったらしい」
 どうりで若く見えるわけだ。
「最初は雪之のこと、まだ子供だって思ってたけど。父親があんなだし……もう若いって理由で、適当にあしらったりしないから」
 桐生からしてみれば、俺はやっぱり子供だろうけど、真剣に向き合ってくれるらしい。
「あの……あの人、光流って言われてませんでした? 自分でもそう言いかけてたし」
「あー、職場での名前だよ。俺が頼んだ偽の父親とかじゃないから」
「そこまで疑ってないです」
「一応、ホストで、いまは経営とかもやってるみたい。ツバサさんがおいでって言ってたのもホストクラブだね」
 馴染みのない世界。
 でもきっと、桐生にとってはそれなりに馴染みのある場所なのかもしれない。
「桐生でも、かわいいとか言われるんですね」
「言われるよ。たぶん、雪之が考えてるよりたくさん、言われてる」
 意外なことを言われて、思わず桐生の顔をじっと見る。
 桐生はそんな俺を見て、頬を緩めた。
「父親の友達とか後輩は、世代が違うから、まあかわいがられても気になんないけど。高校時代、学校のやつらにかわいいって言われたり、下の名前で呼ばれて、よくむかついてた」
 まるで普段の俺みたい。
 そう思った瞬間、なぜか鼓動が速くなった。
 なにかを見抜かれたような気がして。
「いまはもういいんだけど。かわいがられたくないって気持ちもわからなくないから。雪之がかわいがられたくないなら、俺はそうするよ」
「そうするって?」
「かわいがらないようにする」
 やだ。
 瞬時にそう思ったけど、言葉には出来なかった。
「桐生は、どうしていまはもうよくなったんですか」
「あのときは、からかわれてるような感じがしたんだよ。かわいいって言われてもね。でも、好意しかないって気づいた感じかな。褒め言葉だって思うようにした」
 かわいいってなんだろう。
「雪之……俺にかわいがられたい?」
 俺は思わず、桐生から目を逸らした。
「別に……」
 ついそう答えてしまう。
「嫌なら言えよ。やめるから。結構本気で言ってる」
「え……」
「別に、かわいがらないってだけで愛情注がないって話じゃないよ。単純に、そういうのが嫌なら、雪之ちゃんとか言わないし。かわいいとか言わないってだけ」
「桐生はどうしたいんですか? 俺がとかじゃなくて、かわい……がりたいとか……」
 やっぱりまだ、桐生の顔が見れなくて、俺は下を向いたまま。
「雪之が嫌がることならしたくない。だから確認してんの」
「確認して決めることですか?」
「決めるってわけじゃないけど。ホントにされたくないことならやめる」
 されたくないわけじゃない。
 でも――
「……かっこよくないと」
「なんで?」
「団長だし……男だし……」
 桐生が俺の頬に手を添える。
 顔をあげさせられて、目を覗き込まれた。
「団長だから、かっこよくいないとって気持ちもわかるけど。俺が雪之をかわいがるところなんて、俺と雪之しか知らないよ。団員が見るわけじゃない。男がかわいいと駄目?」
 駄目……だと思ってた。
 かわいいことをしていいのは、女の特権で。
 かわいがられるのはいつも女で。
 俺は、男らしくしないといけない。

「俺……姉と、妹がいるんです」
「ん? そうだったんだ?」
「かわいものをもらえるのは、いつも姉と妹で、俺はかっこいいもので……嫌とかじゃないけど……」
「……雪之も欲しかった?」
 小さく頷くと、桐生は優しく頭を撫でてくれた。
「いいよ。雪之が欲しいもの、俺があげる。かわいくなりたかったんなら、なりなよ。俺はそんな雪之ちゃんも好きだから」

 この人を好きになったときのことを思い出す。
 大人で、俺のことかわいがってくれそうで。
 ずっと昔に閉じ込めたはずの女々しい自分を、引っ張り出された。
 好きだって伝えたとき、伝える前。
 俺が望んでいたのは、かわいがってもらうことだったのかもしれない。

「いまさら……出来るかよ……」
「出来るよ。雪之は器用だから、俺の前でだけかわいくなればいい。プライドだって、もうないだろ」
 男として、団長としてのプライドは、桐生に壊された。
「桐生といるとき……だけだけど」
「俺以外の人の前では、いままでの雪之でいたらいいよ」
 桐生の前だけ。
 プライドも意地も捨てて、なりたかった自分になれってこと?

 桐生には、もう散々、見られてきた。
 恥ずかしい自分。
 だからもうなんでもいいってわけじゃないけど。

「素直に答えなよ。どうされたい?」
 なんで俺がそんなこと言わなきゃなんないだって。
 言えたらかっこよかったのかもしれない。
 でも本当は、かっこよくなりたいわけじゃない。
 かっこいい自分を演じてただけ。
 かわいがられたい、かわいいものが好き。
 そんな自分を隠したくて。
「誰にも……言わない?」
「言わないよ」
 嫌ならかわいがらない……なんて言うけど、本当は、言わなきゃかわいがってやんないってことかもしれない。
 掌の上で転がされてるだけかもしれない。
 だとしても、俺は桐生に、されたいんだと思う。
「ん……かわい……がって」
 消え入りそうな声で告げると、桐生は、俺が顔色を窺うより先に、唇を重ねてくれた。