食堂で、朱羽と静紀の姿を見つける。
 俺は自分の食事を手に取ると、朱羽たちのところに向かった。
「ここ、いい?」
「いいよ。話出来た?」
 静紀と向かい合わせで座っている朱羽の隣に座る。
「一応。あとでまた話すことになったけど……とりあえず、結婚はしてなかった」
「お、それは一安心」
 話を聞いてくれていた静紀も、頬を緩ませて頷く。
「ありがとう。2人には弱いとこ見せちゃったね」
「気にすんなって。もっと見せていいし」
「はい。俺も、なにかあれば聞きます」
「正直、まだいろいろ気になってるけど」
 朱羽はそう言いながら、俺の顔を覗き込む。
 手紙のこと。
 あれに関しては、まだ解決していない。
「俺も全部を把握したわけじゃないから。また今度、言えそうだったら言うよ。さすがに、あんだけ聞いてもらって、報告なしってわけにもいかないし」
「そういうとこ律儀だよね。雪之くん」
「普通だろ」



 8時過ぎた頃、10時くらいになりそうだと桐生からメールがあった。
 大丈夫かと聞かれ、俺はもちろん『大丈夫です』と返事を送る。
 こういうとき、待ってるなんて言っていいものか。
 重い気もするし、女々しい気もするし。
 かわいい気もするけど、そういうかわいいことを俺がするのもおかしいだろう。
 結局『大丈夫です』としか送れない俺は、かわいげのないやつだと思った。

 ご飯と風呂を済ませ、歯も磨いて、いつもならあとは寝るだけ。
 9時半くらいになって、出歩いていたルームメイトの真綾が部屋に戻ってきた。
「あれ、どうしたんですか。そんなどこか出かけるみたいな格好して」
「ああ……この後ちょっと出かける用事があって、帰ってくるのは明日になると思う」
 そう告げると、真綾は少し楽しそうに俺を見て笑った。
「珍しー……お泊りですか? でもその格好、寮じゃないですよね」
 たしかに、こんな夜だし、寮内の誰かの部屋に行くなら、パジャマやジャージでいい。
 長袖のシャツにジャケット、あとは適当なズボンで、外に出る気満々の装いだ。
「真綾こそ、こんな時間に部屋に戻ってくるなんて珍しいだろ。明日休みなのに……」
「いろいろ取りに来ただけです」
「いろいろ?」
「下着とかローションとか? こないだ何個かまとめ買いしたんですけど、いります?」
 そう言うと、真綾は宅急便の箱からいくつか小さい瓶を取り出した。
 たぶん、ローションなんだろう。
「いや……そういうの、真綾が用意するんだな」
「こう見えて俺、結構尽くすタイプなんです。ローション用意しちゃうネコって、エッチでかわいくないですか?」
「ネコ?」
「入れられる方ってことです。入れる方が用意してくれるのもありがたいですけどね」
 正直、そんなこといままで考えたことがない。
 相手とHするために、なにか準備しようなんて。
「……1つあげます」
 そう言ったかと思うと、真綾がこっちに1つ瓶を放る。
「な……」
「喜ぶんじゃないですか? 工藤先輩がそんなの持って来てくれたら。そういう相手のところに行くんですよね?」
「いや……」
 これまでは恋人じゃなかったし、すぐに否定出来た。
 でも、いまは恋人だ。
 真綾にだって男の恋人がいるわけだし、俺にいても不思議じゃない。
「もし、工藤先輩がタチだったとしても、そんなの用意してくれたら嬉しいですし?」
「そんなやる準備万端ってのも……」
「こんな週末にお泊りで、期待しない方がおかしくないですか」
 たしかに、真綾の言う通りかもしれない。
 期待しているというか、たぶんやるんだろうなって思ってる。
 やりたいとも思ってるし、桐生だって犯したいって言っていた。
 そんなことを考えていると、ふいに距離を詰めて来た真綾が、話を切り出した。
「……俺、いままで黙ってたんですけど。なんとなく、気づいてるんですよね」
「な……」
「別に工藤先輩がわかりやすいとかじゃないです。その点は、安心してください。どっちかっていうと、相手の方ですね」
「相手の方……?」
「前、頼まれたんですよ。部屋空けてって。心当たりありません?」
 そういえば、付き合う直前、初めて桐生が部屋に来てくれたことがある。
 あのときは、ルームメイトにまで気が回らなかったけど、途中で入って来られたら、とんでもないことになっていただろう。
 普段からあまり真綾は部屋にいないし、運がよかったと思っていたけれど……。
「悪い……」
「いいですよ。ただ、ちょっとピンときちゃったんで、あのとき、空けたくないってしぶってみたんです。それなのに、全然引いてくれなくて。不自然じゃないですか」
 生徒でもなく一教師がそんなこと、まずないだろう。
 俺が引きこもりで、カウンセリングするとかなら話は別だけど。
「誰にも言わないんで、大丈夫です。でも俺なんかにバレるリスクまでおかして、わざわざ会い来てくれるなんて、愛されてますね、先輩」
 愛されてる……。
「そうだといいけど」
「先輩、自分でローション用意したことないですよね? あの人、そういうの喜びそうじゃないですか?」
「だとしても、どういうタイミングで出すんだよ」
「普通に、持ってきたから使ってって言うだけですけど……普段してないならなおさら、興奮すると思うんですけどね」
 投げ渡された瓶に視線を落とす。
 そんなこと、言ったら絶対からかわれる。
 そんなにHしたかったのかって。
 だとしても……それは事実だ。
 したいのに、なにも準備せず、別にしたくないなんてフリをするのも、やめるべきだろうか。

 真綾を見送ったあと、どうすればいいのかわからなかったけど、ひとまずカバンにローションを入れる。
 他には、いつも着ているパジャマと歯ブラシと財布。
 こんなしっかり、お泊りの準備をしていいものかわからなかったけど。
 一応、準備しといてって言われたし。

 そわそわしていると、10時少し前に電話がかかってきた。
「もしもし」
『起きてた?』
「はい」
『いま終わったよ。寮の裏、出てこれる?』
「たぶん……」
『ああ……須藤さんには俺から話しておく。5分後くらいに出ておいで』
 須藤さんというのは、寮の管理人だ。
 普段なら引き留めるだろうし、外出許可を取るべきなんだろう。
 夜に出歩くことなんてなかったから、そこまで全然気が回らなかった。
「すみません」
『ん? なに?』
「いえ……」
『それじゃあ、待ってる』
 待ってる。
 俺が言えなかった一言をあっさり言われてしまう。
「はい」
 俺はただそう返事をして、電話を切った。

 5分。
 おそらく須藤さんに話をしてくれているのだろう。
 時間を置いて、部屋を出る。
 寮を出るには、管理人室の前を通らなくてはならない。
 さすがに素通りするわけにもいかず、須藤さんの方を見た。
「いいよ、聞いてる。気をつけて」
 須藤さんは、俺を見てそう言ってくれた。
「すみません。ありがとうございます」



 寮の裏に回ると、そこに大きな車が止まっていた。
 運転席から、桐生が降りてくる。
「もう暗いし、大丈夫だと思うけど、一応、後ろにするか」
 学校の近くだからか、こんな時間に生徒を乗せてどこかに行く姿を、見られるわけにはいかないってことだろう。
 後ろの席のドアを開けてくれる。
「おじゃまします」
「どうぞ」
 俺は少し緊張しながら、桐生の車に乗った。
「そんじゃ、行くよ」

 桐生が車を走らせ始めてすぐ――
「手紙のことなんだけど」
 本題と言わんばかりに切り出され、さらに緊張してしまう。
「はい」
「雪之さえよければ……差出人、電話で会ってみる?」
「え……」
「直接会うのはちょっと急だし難しいんだけど、通話くらいなら大丈夫だから」
「俺……そんな……」
 どんな人か、桐生が話してくれさえすれば十分だと思ってた。
 でも、直接話せたら、もっとわかるのかもしれない。
「雪之は話さなくていいから。そばにいてくれるだけでいいよ」
「俺に通話を聞かせてくれるってことですか?」
「つーか、動画? 気になったんでしょ。俺にああいう手紙を書くやつが、どんなやつかって」
 気になる。
 それが確かめられるなら。
「悪いようにはしないよ」
「……はい」
 桐生の言葉を信じて、俺は頷いた。