桐生には、仲のいい生徒がたくさんいる。
 そういった生徒と、遊びで性的なことをしているのも知っていた。
 最近は、そんなにしていないんだろうし、していたとしても遊びでしかなくて、俺とする行為とは違う……と思ってる。
 俺自身、流れで別の人に口で抜かれたこともあって、あれを浮気と認めたくないから、軽く考えようとしているってのもあるけど。
 とにかく、付き合い始めてまだ1か月も経っていないけれど、いわば本妻の余裕みたいなものがあった。

 ただ、相手が女となれば話は別だ。
 俺の勝ちが揺らぐ。
「はぁ……」
「どーしたの、雪之くん」
 放課後、クラスメイトの朱羽に声をかけられる。
「なにが?」
「いやいや。結構わかりやすくため息ついてましたけど」
 浮気がどうだとか、本人に確認する前に、誰かに相談してみるのも悪くない。
 似た境遇なのは尋臣だけど、あいにく尋臣とはあんまりそういう話をする感じじゃないし、ちょっとチャラついてる朱羽からなら、興味深い意見も聞けそうだ。
「浮気とかその手の話なんだけど。お前、浮気してる?」
「してないよ」
「お前の恋人は、浮気してる?」
「してないと思うけど。そういう話なら、寮でする? 今日、部屋に恋人来るし、聞いてみようか」
「恋人来るなら、俺、邪魔だろ」
「しょっちゅう来てるから、別にいいよ。俺のかわいい恋人を友達に紹介したいし」
「……そう」
 どうやらのろけたいらしい。
「そんな冷めた目で見るなって。いいじゃん。自慢したってさぁ」
「いいけど、俺は浮気の話がしたくて……」
「俺の恋人が、どの程度を浮気だって考えてるのか聞いておきたいってのもあるし。2人きりだと話重くなりそうだから、雪之くんがいると安心する」
 安心させられる気はしないけど、1人より2人の方がなにか参考になるかもしれない。
「わかった。いいよ。それじゃあ行こうか」



 朱羽の部屋に着くと、そこにはすでに生徒が1人いた。
「あ、おかえりー……って、団長!?」
 座っていた生徒……尚悟が慌てた様子で立ち上がる。
「お疲れ様です、団長!」
「いいよ、頭上げて」
「はい!」
「お疲れ」
 尚悟は応援団の後輩だ。
 応援団では、先輩後輩の上下関係をわりと厳しく扱っている。
 座ったまま挨拶もしないなんてのは、まずありえない。
「……朱羽の恋人って尚悟?」
「いや、こいつはルームメイト。恋人の方は、もう少し後で来ると思うけど」
「ふぅん……」
 尚悟がそわそわした様子で、俺たちを窺う。
 それに気づいた朱羽が楽しそうに尚悟を肩を抱く。
「お前ちゃんと団員やってたんだな」
「や、やってますよ」
「雪之くんも、しっかり団長してんじゃん。感心感心」
「篠宮先輩……ノリ軽すぎ……」
 この際、尚悟の意見を聞いてみるのもいい。
「尚悟も、時間あるなら少し話そうか」
「ええ!? なんの話ですか」
「怖がらなくていいよ。普通のたわいもない話だから」
 俺がそう告げても、まだよくわかっていないからか、尚悟は少し緊張してるみたいだった。
「ってか、篠宮先輩と団長、友達だったんですね……」
「そうそう。でも安心して? 尚悟から聞いた応援団の愚痴は、雪之くんに伝えてないから」
「なあっ! 愚痴なんて言ってないっすよ!? 篠宮先輩、そういう冗談マジでやめてください」
 朱羽が尚悟をからかっているのは明らかだし、俺はとくに気にしていないけど、このままでは尚悟が少しかわいそうか。
「愚痴くらい言ってくれていいし、不満があるなら聞く。けどその前に……朱羽がときどき悪ふざけするやつだってのは、俺もわかってるから」
「あ、ありがとうございます! 不満、ありません」
 しっかり頭をさげてくれる尚悟の肩にぽんと手を触れる。
「座って。俺も座らせてもらうよ」
「はい」

 3人で床に座ったはいいものの、俺はどう話を切り出そうか少し迷っていた。
 あまり女々しい姿は見せたくない。
 そもそも、そこまで重く捉えて欲しくないんだけど。
「……尚悟って、付き合ってる人いる?」
「はい、一応いますけど」
「一応?」
「いえ、います」
「浮気してる?」
「え……いや、してないです、けど」
 そもそもしてるなんて、堂々と言う男はいないかもしれない。
「雪之くん、どーしたの? 恋人に浮気されちゃった?」
 朱羽が俺の顔を覗き込む。
「……わからない。浮気ってどっから浮気か……」
「キスくらいは、友達ともするよ? ね? んー……」
 朱羽が俺の唇を唇で塞ぐ。
 まあ、これくらいはいい。
「ちょ、なにしてるんですか、篠宮先輩」
「キス」
「相手、団長っすよ……?」
「いいよ、尚悟。誰にでもさせるわけじゃないけど、こいつがこういうやつだってのは知ってる」
 だからこそ、意見を聞きたいってのもある。
「団長がいいなら、俺はいいんすけど……」

 そうこうしていると、来客を知らせるインターホンが鳴った。
 朱羽の恋人か。
「俺、出ます」
 立ち上がった尚悟がドアの方へと向かう。
「雪之くんがいると、尚悟がよく働いてくれるなー」
「これくらいいつもするじゃないっすか!」
 招き入れられたのは、かわいらしい男の子だった。
「わ……応援団長さん!?」
 どうやら俺のことを知ってくれているらしい。
「工藤雪之丞です。朱羽のクラスメイトで友達だよ。尚悟にとっては団の先輩だけど」
 立ち上がって、自己紹介をする。
「あ……これはご丁寧に……えっと、2年の相川静紀です。その……」
 座っていた朱羽が下から静紀の手を引く。
「あっ……!」
 静紀はよろめくようにして、朱羽に後ろから抱きかかえられていた。
「俺の恋人」
「ん……篠宮先輩、あまり触らないでください……」
「あ、ごめんごめん。みんないるもんね?」
 朱羽がぱっと手を離すと、静紀は朱羽の隣に座り直す。
 顔が少し赤くなっていて、あまりのかわいさに、思わず顔がほころんだ。
「そんなにかわいく拒絶出来るもんなんだな」
 つい呟く。
「か……かわいい、ですか?」
 俺が頷く隣で、朱羽も深く頷く。
「かわいすぎて触りまくっちゃったのがきっかけで付き合いだしたんだよね」
「お前……」
「しかも静紀って、そんとき潔癖症って噂だったんすよ。マジで篠宮先輩、痴漢みたいなことして、やべぇやつだなって、俺、思ってました」
「尚悟? 俺のこと変な風に言わないでくれる?」
「ホントのことでしょ」
「朱羽がやばいやつなのは俺も知ってるから、大丈夫」
「雪之くーん? 大丈夫じゃないからねー?」
 ちらっと静紀を窺うと、オロオロした様子で口を開いた。
「お、俺も、篠宮先輩がやばい人でも大丈夫です!」
「うん、もういいや。ありがとう!」

 朱羽の恋人も来たことだし、俺は浮気について改めて話を切り出すことにした。
「少しみんなの意見を聞きたいんだけど、いい?」
「はい、大丈夫です」
 静紀がこくりと頷く。
 尚悟も、大丈夫だと頷いてくれた。
「たとえば自分の恋人が浮気……みたいなことをしていた場合、どのレベルだったら気にする?」
 朱羽は、静紀を横眼で見ながら、少し考え込んだ後――
「セックスしてても、俺の名前呼んでくれてたらセーフかな」
 わりと真面目なトーンで答えてくれる。
「むしろちょっと萌える」
「わ……篠宮先輩に萌えるとか言われると……俺もちょっと、興奮しそうです……!」
「寝取られで興奮する静紀も最高にかわいいよ」
「でも俺、篠宮先輩以外の入れる気しないので玩具がいいです」
「そうだね。誰かに玩具入れられちゃう静紀も絶対かわいい」
「そのときは……その、篠宮先輩に見てて欲しいです」
「もちろん!」
 恋人のことを考えてさえいれば、それなりの行為をしていても、浮気とは思わないってことか。
「団長、聞く相手間違ってません?」
「一般論じゃないことは理解した上で聞いてるよ」
「そうですか……」
「静紀は? 朱羽が他の誰かとなにしてたら気になる?」
「えっと……俺はなにしてても気になると思います。メールしてても誰だろうって思うし、2人で遊ぶってなったら、どんな遊びするんだろうって思うし」
「静紀……」
「でも、いやとかじゃなくて……俺以外の人といるときの篠宮先輩ってどんな感じなんだろうって、考えるのがちょっと楽しかったり、ドキドキする感じで……」
「篠宮先輩が他でエロいことしてたら?」
 静紀に向かって尚悟が尋ねる。
「うう……俺ともっとエロいことしてって頼む……」
「あとでたくさんエロいことしてあげるからね!」
 かなり仲がいい様子の2人はさておき、俺は尚悟に視線を向ける。
「尚悟は?」
「俺は正直、嫌っすよ。自分の恋人が他の誰かとやるとか。でもうっかり、誘われてやっちゃう気持ちもわからなくないんで、許す感じっすかね。何度もやってたり、好きとか言ってたらちょっと引っかかりますけど……」
 友達のノリか、恋人のノリか……それは大きな問題だと思う。
 そんな風に考えていると、まるで結論を出すみたいに少し真面目な口調で朱羽が告げた。
「……他の人とやってても、恋愛感情が無ければ浮気じゃないんじゃない? 恋人とやんのと、他とじゃ全然違うだろうし……ね?」
 俺の恋人が他の人とやってて、俺がそれを気にしてるとでも思ってるんだろう。
 さっきから軽いノリでなんでも許しているのだって、気にするほどのことじゃないと、俺に言ってくれてるみたい。
 何も考えていないようで、こいつは結構考えてるんだと思う。
 具体例をあげていいものか、少し迷っていると、突然、朱羽が尚悟の腕を引いて立ち上がる。
「うわ、なんすか?」
「尚悟、誰かと約束してんだろ。そろそろ行ったら?」
「まあ、そうっすけど……」
 尚悟がちらっと俺を窺う。
「引き留めて悪かった。ありがとう、尚悟」
「いえ、全然、大丈夫っす。またなにかあれば聞いてください」
 尚悟はまだ少し気にしているみたいだったけど、そのまま部屋を出て行く。
 残されたのは、俺と朱羽と静紀の3人。
「……尚悟は、応援団で雪之くんと近いだろ。大丈夫だとは思うけど、一応ね。静紀と尚悟はここで顔合わせるけど、クラスも違うし、そんな親しいってわけじゃない。雪之くんとの繋がりも遠いと思うけど。話しにくいなら……」
 やっぱり、こいつは気を使える男だ。
 俺が自覚してなかったため息に気づくくらいだし。
「いいよ。静紀はいてくれていい。朱羽の恋人なら、信用する」
「え……あ、ありがとうございます」
 ここだけの話だと、なんとなく察してくれただろう。
 俺は具体的な話を切り出した。

「恋人が……ラブレター書いてたら……どうする?」
 静紀は、分かりやすく表情を歪めていた。
「内容によるなー。いまいる恋人と別れて、あなたと付き合いたいです……みたいな内容だったらさすがに引っかかるし」
 朱羽は、顔色一つ変えずに答えてくれる。
 もうここまで来て、例え話だと言うのは難しい。
 朱羽も静紀もだいたい俺のことだってわかっているだろう。
「偶然、見ちゃって……」
「スマホ?」
「いや、スマホじゃなくて、机の上に置いてある手紙が目に入った感じ……」
 俺が知らないだけで、スマホ上ではもっと濃密なやりとりがされているかもしれない。

 手紙を見たのは、今日の朝。
 昨日、応援団で使っている備品が壊れてしまったため、なるべく早めに報告しようと職員室を訪ねたときのこと。
 報告を終え、職員室を出る際、俺はつい、桐生の席へと目を向けてしまっていた。
 ちょうど桐生はそこにいなくて、手紙を見てしまったけど、断片的にしか読めていない。
「いまどき手紙って、珍しくない?」
「なんか荷物送るみたい。旅行のお土産とかなんとか……」
「送るってことは、普段会えない人……なんですかね」
 静紀に聞かれて頷く。
「おそらくね。じっくり手紙を全部読んだわけじゃないから、わからないけど。久しぶりにまた会いたいとか……書いてあった」
 実は遠距離で、俺より親しい女がいるんじゃないかって、そんな風に疑っている。
「その手紙、本当にラブレターだった? 久しぶりに会いたいくらい、友達にも言うよ?」
「……世界一愛してるとか……大事な子だって」
「……それは逆に冗談じゃない?」
 たしかに冗談かもしれない。
 桐生なら冗談で言いそうだ。
 でも、その相手が俺以外で、女となるとかなり気にかかる。
「もしかしたら、恋人が書いたんじゃなくて、もらった手紙なんじゃ……」
「筆跡が……かなりそいつのっぽかった」
「まあ、もらった側だったとしても、その内容じゃちょっと気になるか」
 もうひとつ引っかかってることがあった。
「……その相手……女、みたいなんだ」
 2人の顔が険しいものになる。
「工藤先輩の恋人は……その、男ですか?」
「ああ、そうだよ。言ってなかったね」
 朱羽も、さすがにまずいと思ったのか、小さくため息を漏らした。
「手紙は、隠してなかったんだよね?」
「うん」
「勝手に封筒から出したの?」
「それはしてない。便箋がそのまま置いてあって、中身が見れる状態だったから」
「じゃあ、雪之くんがうっかり内容を見ちゃってもおかしくない状態だったんだ?」
「そうだけど。見られるとは思ってないと思う」
「そんな堂々と置かれた手紙なら、聞いちゃっていいよ。手紙の相手はどんな人なのかって」
「けど……人の机の上にある手紙を読むなんて、盗み見たようなもんだし……」
 朱羽は、構わないとでも言うように、首を横に振ってくれた。
「気になるんでしょ? 自分が気にし過ぎてないかも含めて」
「ん……」
「まず、気にし過ぎってことはないかな。それは結構、俺でも気になるやつ。静紀も気になるでしょ」
「はい……たぶん、気にしちゃいます」
「見られて困る手紙ならしまっとけって思うし。まあ、しまってない手紙だから、そんな大したものじゃないんだと思うけど」
 大した意味もなく、愛してるとか伝える相手がなんなのかも気にはなる。
「これって……知らない方がいいことかな」
「知った方がいいよ。もしそういう女が本当にいたとして、それでもいいって雪之くんが思うなら俺は止めないけど。嫌なら、彼氏にちゃんと選ばせるか、見切りつけるかした方がいい」
 結局、そうなるのが怖いから、俺は踏み出せないでいるんだろう。
 せっかく付き合いだしたのに。
「なにかの勘違いかもしれないんだから、早めにはっきりさせよう?」
「うん……」
 俺はゆっくりその場から立ち上がった。
「……聞いてくる」
「いまから? メールでとりあえず連絡したら?」
 ポケットからスマホを取り出す。
 俺はまたため息をつきたくなった。
「……知らないんだ。連絡先」
 それもありえない話だ。
 付き合ってるにも関わらず、連絡先を知らないなんて。
「雪之くんの恋人って……」
 朱羽には言ってない。
 というか、誰にも話していない。
 樋口先生や柊先生は、なんとなく知ってるだろうけど。
 俺のことをよく見ている朱羽も、もしかしたら感づいているかもしれない。
 俺に恋人がいるなんて話をしなければ、気にならなかっただろうけど、いるとわかった上で、俺の観察していれば、思い当たる人はある程度絞られてくる。
「もしかして……めちゃくちゃ仕事熱心な人?」
 朱羽が俺に尋ねる。
 俺が、桐生に補充されまくってるのを知ってのことだろう。
「……たぶんそう」
「それなら既婚者って可能性も出てくるから、やっぱりはっきりさせた方がいいよ」
「そう……だな。2人とも、言わないでおいて」
 ただ女ってことしか気にしてなかったけど、朱羽の言う通り、それがもし奥さんだとしたら……。
 自分が本妻だなんて、思ってる場合じゃない。
 早めに解決させておくためにも、俺は職員室に向かった。