忙しいのだろうということは、予想がつく。
わかってる。
最悪だ。
桐生のことが、頭から離れない。
数学の授業中とか。
俺の方は見ないのかとか、気になるのに。
真面目に授業なんかして。

もう4年の夏だし。
大学にそのままエスカレーターで行く奴もいるけれど、別の大学に行くやつもいて。
エスカレーターにしろ、試験があるし。
別の大学ならなおさら、厳しいし。
授業に熱が入るのだって理解できる。

けれども、さんざん構われてたから。
それがなくなると、不安になる。

ホントに、俺に飽きたのかとか。
そう思うわけだ。
たぶん。
忙しいだけだろうけど。
そうは思うけど。

さびしいだとか感じているのだろう。
あんなにも、うっとおしいと思ってたのに。
それでも、やっぱり、構われることが俺にとって、嬉しいことだったりしたのだろう。

少しなにもされない期間が続いただけで、それを実感していた。

そんな日が続いて。
いつものように、学校へ行くと、桐生が休んでいて、代わりに現在3年生の数学担当の樋口先生が授業をすることになった。


「今日は、桐生がどうにも腰痛めちゃったみたいだから、代わりに俺がやるからな」
体調を崩したというのを聞いて、少しだけ安心するような自分がいた。
それほどまでに、あいつは忙しかったのだろうかとか、感じるから。
あまりにも元気な姿でいられると、なんで、俺に構う暇はないんだろうかとか、感じてしまうから。

「別に、成績には関係ないから、あんま気にせずに解けよ。でもあんま悪いやつは、俺の補充、受けさせるかも」
やはり俺は数学が苦手で。
教師が桐生だからという理由だけではないのだろう。
黒板に書かれた問題のほとんどを解くことが出来ないでいた。

補充だろうな…。
そう思ったが、まぁ大して他に用事があるわけではない。
応援団の集まりくらいだ。
補充、受けるか…。
そう思いながらも、後ろから回ってきたテスト用紙に自分のを重ね、前に回した。


帰り時間。
教室の前にいた樋口先生が俺に声をかけてくれる。
「雪之丞。数学、理解出来てる?」
やさしくそう聞いてくれて。
桐生だったら、こんな風には聞いてくれないんだろう。
ただ、俺が数学出来ないのをいいことに、手を出してくるだけのように思える。
一応、教えてはくれるが。
「…いつも、桐生先生の説明がわかりにくいので、あまり」
少し刺のある言い方をついしてしまう。
俺って、嫌な人間なんだろうなって思う。
「今日やった問題。明日、桐生に説明させるつもりだったんだけど。しようか…?」
やっぱり。
補充。
だけれど、俺、一人のために、智巳先生の時間を使わせるのはどうにも悪い気がしないでもない。
「あぁ、別に桐生の説明で十分ならかまわないよ」
にっこり笑って、桐生の名前を出されると、俺が桐生のこと頼ってるだとか、あてにしてるだとか。そんな感じに思えるのがなんだか気に食わない。
「樋口先生、時間あるんですか?」
「あぁ。俺は暇だから。雪之丞が数学、勉強する気でいてくれるんなら、喜んで教えるよ」
そう言ってくれるもんだから、甘えることにした。
「じゃあ、ぜひ…」
「OK。教室、入ろうか」


廊下とは反対側の自分の席に座ると、樋口先生は、隣から椅子を寄せて座る。
樋口先生は、今日やったテストの問題のうち、俺のを取り出すと、机の上に置いた。

やさしくひとつひとつ、教えてくれる。
こんな風に丁寧な教え方、わざわざしてくれなくてもいいのにってくらいに。
面倒見がいいのだろうか。

その最中だった。
「…取り込み中、すみません。いつ頃、終わりますでしょうか」
学際実行委員の委員長、尋臣だ。
「わからないな…。雪之丞に用事?」
樋口先生がそう聞くもんだから、俺はなにかあったかどうか、自分の記憶を探る。
「…あぁ、時間か…?」
学祭のとき応援団がどのくらいの時間を使うか、そういった点での配分を、そろそろ考える時期だからだろう。
「いいよ。また、明日で…。今日は、他の部、先に回ってくるから」
「悪いな…。じゃあまた、明日…」

俺が尋臣を見送ると、
「雪之丞…。いい?」
少し心配そうに樋口先生が聞いてくれる。
「時間決めは明日でもいいですし。今日やるって決めていたわけではないので…。尋臣も、今日はまたほかの部、回るみたいですし」
いま、補充をやめたところで、尋臣は他の部を回っているし、俺の都合で、わざわざ付き合ってくれてる樋口先生の補充を終わらすのは、後ろめたい部分もあった。


「いいやつだな…雪之丞は…。桐生はいいね」
樋口先生はやさしい口調でそう言って。
「え……」
桐生の名前が出たことに、驚きを隠せないでいた。
樋口先生の方をそっと見ると、
「桐生は、君と付き合ってるんだろ?」
そう聞かれる。
「……付き合ってないですよ」
そう。
付き合ってはいない。
そういった肩書きはなかった。
ただ、俺は好きで。
桐生はよくわからなくて。
そんな状態なのに、肉体関係はもってしまっていた。
「そう? いろいろ桐生から聞いてるよ。……桐生は、雪之丞のことが好きだって」

樋口先生がどこまで聞いているのかはわからない。
だけれど、俺のことが好きだとか。
樋口先生に話しているのが恥ずかしいような。それでもなんだかうれしいような気がしていた。

「そんなことないです……」
なんでもないみたいに、無理やり平静を装ってそう言った。
「どうして? 人に好かれる魅力は、ものすごくあるよ。かっこいいし……」
やさしい口調で、そう言ってくれて。
自分のことを心の中で見直しかけたときだった。
左側からそっと、樋口先生の左手が、俺の股間あたりを手で擦る。
「あ…っ…」
なにをするのかと。思うんだけれど、いきなり払いのけることなんて出来ないから、そっと樋口先生を覗き見る。
「いいね…、桐生は…。1回くらい、浮気、してみない…?」
少しいやらしい手つきで股間を撫でながら、右手で髪を弄ばれて。
軽く耳にキスをされると、ゾクリとしたものが背筋を走る。
「っはぁ……っ…あ…っ」
こんな風に優しい愛撫は初めてで。
変にドキドキしてしまうから。
「でも、俺が手、出しちゃったりしたら、桐生が嫉妬、しちゃうかな」
桐生……。
「っん……あいつは、嫉妬なんて……」
してくれないのだろう。
俺が好きなのをいいことに少しかまってくれるだけ。
「どうして?」
「別に……俺のこと、好きなわけじゃないし」
「そうかな。試してみる価値はあるよ」
片手でズボンのボタンも、ホックも外され、チャックも下ろされて。
「っ…樋口…せんせ…っ」
「桐生に、後ろめたい?」
「そんなこと…っ」
「いいよ。なんなら、俺に無理やりされたって言ってもかまわないから。それなら、雪之丞が責められる心配、ないだろ?」
耳に舌を這わして、手にした俺のをそっと指先で撫でられる。
「っあ……ん…そん…な…」
ここで、樋口先生となにかしてしまえは、浮気みたいなものになるのだろう。
別に、付き合ってるわけではないから、かまわないといえばかまわないのだが。
その罪を、この人は、かぶってくれるというのか。
それは申し訳ない気がしないでもない。
そう思っていると、
「俺は、かまわないよ…」
耳の後ろをねっとりと優しく舐め上げられながら、そう言ってくれた。

「っや…め…」
「桐生に、操立ててる?」
今度は、左手で包み込まれて、耳元で聞かれながらも、やさしくこすりあげられる。
「っ…ぁっ…ぅンっ…違…」
付き合ってもいないのに、操立てるだとか。
そう言うのは恥ずかしいから、つい否定の声を漏らしていた。
「じゃあ、かまわない?」
耳に舌を軽く差し込まれると、思った以上に体が敏感に反応する。
「っぁんぅっ…」
「耳、感じる?」
樋口先生は、右手で俺の頭を抑え、優しく耳たぶに舌を這わす。
耳だからか、いやらしい音が、すごく響いていた。
「っぁあっ…だ…め…」
「どうして?…後ろから、するね…」
やさしくそう伝えてくれると、椅子ごと窓の方へと向かされる。
「大丈夫…。後ろには、俺がいるから…。見られないよ。ドアもちゃんとしまってる。俺の後ろ姿しか、見えないから」

樋口先生の左手が俺のを包み込み、右手がシャツの中へと潜り込む。
「っんぅっ…ん…」
「緊張してる…? 桐生以外にされるのは、初めて…?」
初めて。
桐生に会うまで、男にこんな風にされることなんて考えたことがなかったから。
そっとうなづくと、やさしい声で、
「そっか…」
って言ってくれるのがわかった。

普段だったら、ちゃんとこんなこと、断るに決まってる。
情緒不安定なのかもしれない。
桐生が、あまりにも、かまってくれないから?
なんて女々しいやつなんだろう。
だけれど、寂しいだとか、感じてたり。
きっとそうだと思う。
だから、こうやって、別の人がかまってくれるのに、甘えてしまう。

こんなこと。
バレたらきっと、また、ひどい目にあうのかもしれない。
だけれど、嫉妬してくれたりするんじゃないかって、少しだけ、期待してしまう。

じっくりと、甘ったるい愛撫が心地よかった。
桐生とは、全然違って。
それでも頭から、桐生のことが離れない。
もやもやする。

俺の前に回った樋口先生は、口でも相手してくれる。
「っんっぁんっ…」
腰が欲しがるように寄ってしまうのだって、自分でわかった。
なんていやらしい人間なんだろう。
そうは思うけれど、とめられそうになかった。
「はぁっ…ゃっ…やぁっっ…っせんせっ…ぁあっ…ぃくっ…」
「っ…ん…いいよ…。でもあんまり教室汚しちゃまずいしね…。俺が咥えたら、出してごらん」
そうやさしい言葉をかけてはくれるが、羞恥心にかられた。
桐生以外の人間にイクところを見せたことがないから。
「一応…出す前に言ってくれると、うれしいかな…」
「っぁあっ…んぅっ…」
咥えこまずに、唇で横から挟みながら、舌を絡ませ軽く吸い上げられる。
「ゃあっ…あっ…もぉっ…だっめ…っぁっあぁあっ」
気持ちよすぎて、羞恥心なんて、ふっとびかけていた。
咥えこまれて、舌先を絡められると限界だった。
「っんぅっ…あっ…出…っやぁっ、イくっ、あっ…ゃぁああっっ」

結局俺は、別の人にされている最中でもずっと、桐生のことを、考えてしまっていた。


「大丈夫?」
放心状態の俺を最後まで気遣ってくれていた。
こんなの。
桐生じゃありえないだろうなって。
心の中では、思ってしまっていた。
「桐生は、雪之丞が思ってる以上に雪之丞のこと好きだよ…」
いきなり、桐生の名前を出されるもんだから、心の中を見透かされたようで、一気に目がさめるような感覚だった。

「あいつに対して…少しだけでいいからさ…優しくしてあげて…? 意外とかわいいやつだから。別にあいつを庇うわけじゃないけど…」
やさしく?
言われてみれば、桐生に対して、やさしい態度をとったことなんてなかった。
自分が、ひねくれてしまっているのだって、ホントはわかってる。
でもそれは、信用出来ないから。
変な意味でなく、疑い深いわけだ。
裏があるのではないかとか、感じてしまうから。
「もちろん、あいつが、結構、馬鹿でめちゃくちゃなやつだってのは、俺も知ってるし? むかついたりするのも、ものすごくわかるけど?」
笑いながらそうつけたしてくれる。
「…でも…。俺はあいつのこと好きだし…。雪之丞も、桐生のこと、好きだろ…?」
俺は、桐生のこと。
やっぱり、どうしようもなく好きだということは、わかっていたから、素直にそっとうなづいた。
「…嫉妬、してくれるといいな」
「っ…桐生に…言うんですか…?」
「…どっちがいい? 黙ってた方がいい?」
「…別に…。…あえて隠すようなことはしなくていいけど…」
「なりゆきで、それとなくバレるかもしれないけど? ホント、俺が無理にやっちゃったわけだし? そういうわけでいいよな。やつなら、絶対、俺に怒るよ。雪之丞が好きだから?」
そう言って、そっと頭を撫でてくれた。
あいつが、嫉妬?
してくれるのだろうか。
また、別の人を捜すんじゃないか。
俺が好きになった人だから。
モテるんだよ。それだけの魅力のある人で。
だからこそ、不安な要素はたくさんある。

付きまとわれるのはうっとおしい。
利用されてるみたいだから。
だけれど、こないとさびしいだなんて。
わがままだ。
離れられてからしか、自分の気持ちがわからないなんて。
馬鹿だなぁって思う。

いままで。
桐生に告白するまで。
散々、離れてて、耐えれなくって、告白したのに。
忘れてた。
どうしようもないくらいに、好きだってこと。

どうしようもないから。
騙されてもかまわない。
今さえよければそれでいい。

疑い続けてたんじゃ、今さえも良くならない。
こんな状態、ずっと続いても、つらいだけだから。


次の日になって。
桐生は、ちょっとだるそうにして教室に入ってきた。
昨日、樋口先生がやった問題の解答をして。
ということは、樋口先生と桐生は、話す機会があったのだろう。

緊張が走る。
そんな俺の気持ちとは裏腹に、桐生はなんでもないみたいに授業を進めていた。

俺のこと、聞いていないのだろうか。
それが気になってしょうがない。

最近はいつもそうだ。
普通の授業。
それが当たり前なのだろうけれど。
からかうような目線を送ってきたり。そういうのでさえ、今はないと不安になる。
うっとおしかった行為が、欲しくなる。
ほかの人とは、違う扱いを受けたかった。


やさしくしてあげて…?

樋口先生がそう言ったのを思い出す。
4年生になってからは、自分から桐生になにかを言う機会は減っていた。
向こうが勝手に、補充にこぎつけて、手を出してきていたから。
俺から行く必要性がなかった。

逆の立場だったらどうだろう。
たまには。
向こうから来てほしいとか。
思ってくれてるかもしれない。

このままの状態で、もやもやした気持ちを持ち続けるのは耐えれなかった。

補充にこぎつけて。
桐生と同じ理由しか思いつかないけれど。

夕方、職員室へと足を運んだ。

桐生は部活動の顧問をしていないから、残っていることが多かった。
逆に言うなら、他の先生はほとんどいない。

「失礼します」
わざとらしい。
自分でもわかっているけれど、テスト用紙を片手に、中へと入り込んだ。

「……桐生先生」
職員室という場なので、一応、敬語で。
普段、2人のときとは違う態度で接する。
「ん……」
俺の呼びかけに振り返りもせず、忙しそうに、なにか仕事を進めている。
「忙しいですか」
「まぁ、それなりに。なんだ?」
やっと、振り返って、俺を見て。
少しまた、企むような笑顔を向けられる。
「忙しいなら、いいです」
つい。
その笑みを見せられると、反抗的にそう言ってしまう。
「珍しいじゃん。工藤がさ、わざわざ職員室に俺を尋ねるなんて。とりあえず、用件だけでも言ってみ? 対応できるかどうか、それから考えるから」
工藤が。
苗字で呼ばれるだけで、俺の心はものすごく不安になる。
他の生徒と同じ。
職員室だから、しょうがないって、わかってるけれど。
頭では理解できるのに、体中が不安に飲み込まれていく感覚だった。
「………別に…大した用じゃないですけど……わからないとこ、あって……」
持ってきていたテスト用紙を差し出す。
「今日、結構、スピーディに解説したからな。あ、でも昨日、智巳ちゃんが個人的に教えたっつってたけど……」
今度は笑顔でたくらむように……ではなく、普通にそう聞かれる。

思えば他の先生に聞いたのにまた聞くなんて、樋口先生に失礼だ。
樋口先生に教わったのを桐生が知っているだなんて、そこまで考えが至らなかった。
話していてもおかしくないのに。
樋口先生に対して失礼なことをしようとしていた自分と。
それを理由に、桐生に会いにきた自分が、ものすごく恥ずかしい。

どこまで、桐生に読み取られているのかわからなくて、羞恥心にかられる。
「っ…いいです、もう」
自分でもどう言えばいいのかわからず、そうとだけ言って。
俺は、職員室を出ると、廊下を走って、その場からすぐさまはなれた。

涙が出そうなほどに恥ずかしかった。
なにをやっているんだろう。
絶えれそうにない。

次、桐生にどんな顔で会えばいいんだか。
わざわざ、理由をつけて会いに行ったのが、バレてそうで。

自分はなんて、恥ずかしいことをしたんだろう。

少し離れてやっと心が落ち着く。
明日になればまた、数学の授業がある。
そう考えると、なかなか寝れそうにないけれど、早く休みたかった。

応援団長をやっているからか。
推薦してもらえた俺は、大学への試験を受けずに済むことになっていた。
そのせいか。
桐生にとって、俺は、数学が出来てなくともかまわない相手になってしまったのかもしれない。

不安に思う部分が多々ありすぎて。
気分が重かった。