2年になり、寮も部屋替え。
新しく決まった部屋のドアを開けると、そこにはこれからルームメイトになる先輩だと思われる人の姿。

「あの、今日からこの部屋になった蒼柳憂月です」

「紀野湧牙です、よろしくお願いします」
紀野先輩はドアの方まで来てくれて、やたら低姿勢に挨拶をしてくれる。

少し髪が長めで黒髪でメガネで。
ちょっと人見知りでもすんのかぎこちない様子が伺える。

それでも先輩だからか一応仕切ってくれるつもりはあるようだ。

それぞれが使う机やベッドを決め一段落。
俺は持ってきた荷物をさっき決まった自分の机や引き出しにしまう作業に取り掛かった。

そんな俺の様子を紀野先輩が見ている気がして。
まぁほっといてもいいんだけど、唐突に顔をあげ紀野先輩を見る。

…期待を裏切らない人だな。
慌てて紀野先輩も自分が持ってきた段ボールを開けにかかった。

が、手を止め俺をちらっと確認する。
あ、見てない方がいいのかな。
俺も見られながらだと気になっちゃうし。

目をそらし、また自分の荷物整理を再開しようとしたときだ。

「あの…っ!」
思いがけず声をかけられ視線を戻す。
「はい…?」
「蒼柳くんて…オタクに偏見とかあるタイプかな…って」

あー…。
それっぽいなと思ってはいたけどやっぱり。
てかこのタイミングで『偏見ありますよ』とは言えないだろう?
言ったら隠してくれたりするのかな。

この人も、いまさら自分がオタクじゃないですとは言えないだろうから、ただ少し遠慮してくれたり?

「普通に漫画とか好きですし、偏見ないですよ」
紀野先輩は安堵の表情を浮かべると、段ボールから小さな車の玩具みたいな物を取り出し並べ始めた。

あぁ。
車オタク?

…と思ったのもつかの間。

他にもいろいろとこまごまとしたフィギュアを飾っていく。
ついジっと見てしまう俺に気づいてか、また少し不安そうな面持ち。

「…構いませんよ。それ、かわいいですね」

「これは…っ、いますごい人気なんだ。色違いで二つあって、これ…っ!」
ハイテンションで教えてくれるのはいいけど…いったいどこの市場で人気なんだろう。
わざわざ色違いで買うかな…。

「そうなんですか」
俺もまたつまらない返答をしてしまい、紀野先輩もなんだか少し申し訳なさそうな顔をする。

そこから拡がる話もなく、お互い荷物整理を再開した。

こういうのって、いわゆる住み分けみたいなものが大事なのだろう。
先輩もそれを察してくれたのかな。

偏見はないし、漫画やゲームも好き。
ただ少し温度差みたいなもんがあるんだろう。



それからというもの、ちょこちょこ漫画を貸してくれたり、ゲームを貸してくれたり。
だんだんと馴染んで来てその話で盛り上がることもあった。
ただなんとなくお互い、一線を越えないようにしている部分はあると思う。
いや、紀野先輩の方が…だな。

あの色違いフィギュアのときのテンションになることはなかった。

ちょうどいい…これが俺たちの距離なんだろう。



「あの…。今日、友達呼んでいい?」
珍しいな。
紀野先輩の友達…しかもこのすでに半分だけオタク丸出しの部屋に呼ぶくらいだ、オタク仲間なんだろう。

「いいですよ。俺、なんならどっか友達んとこ行きますけど…」
「別にいてもいいよ。あ…オタクっぽい会話しちゃうから、平気ならだけど…」
やっぱりまだこの人、気にしてる?


「俺、理解出来ないこともありますけど、ホントに別にイイと思いますから。 そういうオタクみたいなの」
人それぞれだし何を好きであろうが害さえなければ…なんて言い方はしないでおいたがそういうことだ。

「あの、コスプレとかも平気?」
「…アニメのキャラとかになるんですか? 別に平気ですよ。楽しそうですね」
「ホント? 蒼柳くん、綺麗だから絶対いろいろ似合いそう!」
あ、久しぶりに見た。
キラキラした目。
「そうですかね…」
「あ……、ごめん。ちょっと考えちゃっただけだから。気にしないで」

すごく申し訳なさそうな顔してくれるね、この人。
俺、そっけなく答えすぎた?
っていうか。
嫌そうに答えちゃったかな。

あなたがオタクな分には構いませんけど、俺に影響出さないでくださいって。
どこかそう思っちゃってる部分が、隠しきれなくて。
伝わっちゃったかな。
でもこれはしょうがのないことだ。
だから、これが俺たちの距離感。

ちょっと気まずい空気になったけれど、今後、この距離を保ってくれたら、たぶん元に戻れるだろう。


学校を終え、夜、インターホンが鳴り、出迎えるとそこに立っていたのは同じクラスの佐伯靜だった。
「…靜……どうして…」
「ここ、憂月の部屋だったんだね。紀野先輩のルームメイトだから、もちろん俺と同い年だってのはわかってたけど…」

俺に用…ではなく、紀野先輩なんだよな、やっぱ。
紀野先輩も、どうぞと言わんばかりに部屋へと招き入れる。

靜って、オタク……なのか?
それともただオタクに偏見のない人…いやいや、オタクの話するみたく言ってたしな。

わりとかっこいいし、そんな風には見えないんだけど。
でも、なんかパソコン詳しいとか誰かが言ってたっけ。

こう言っちゃなんだが、紀野先輩はわかる。
なんだか髪型とか、微妙だし。
もうちょっと変えてみたら、かっこよくなるんじゃないかなって。
もったいないよなぁって思ったりもする。
あまり自分にお金かけないのかな。
服とか。

「靜って…オタクだったんだ?」
「そうだよ」
あっさり、にっこりと笑って俺に言う。
なんだろう。
一見、そうは見えない人がオタクだって言ったところで、ただの知識人に思えるから不思議だ。
靜は、身なりにもお金をかけていそう。
あくまでも予想だけど。
「憂月は、オタク大丈夫なんだよね?」
「うん」

紀野先輩から、俺は大丈夫な人だって聞いてるのかな。

「靜は隠してるの? クラスでは全然そんな風に思えなかったし」
「別に隠してないよ。クラスでもいつもそんな話ばっかしてる」
俺が聞いてなかっただけか。
結構、オープンなんだな。
紀野先輩とはまた少し違ったタイプなのかも。

「先輩、お邪魔します♪」

靜は部屋の中へと足を踏み入れ、俺と靜の会話に入れなかった様子の紀野先輩に挨拶をする。
「靜くん。こんばんは」
「こんばんは。部屋、すごい。イイですね」
机の上にはフィギュア。
ベッドには抱き枕。
積み上げられた漫画と謎の本。
『すごいイイ』の要素がいまいちわからない。

ただ、そう言われた紀野先輩の方はすごく嬉しそうだった。
理由はともかく褒められてるわけだしな。

「あー! これっ。なんで髪金色なんすか!? 2Pカラーですか?」
靜が唐突に、机の上のフィギュア1つを指差してしめす。
あれ…って確か色違いがあるとかいう…。
いま、どこかで人気なんだよな。

「そうなんだ。こないだ買っちゃって」
「こんなんあるんすね。あ、ちゃんと1Pカラーもあるじゃないっすか。さすがです」

…お前がさすがだよ。
「うん。あ、あとこないだのイベントでね。売ってたんだけど…」

 紀野先輩が、自分の宝物を見せて喜ぶ子供のようで、なんだかかかわいらしく感じた。

この先輩ってこんな楽しそうに話す人だったんだな。
普段は俺の手前、抑えてくれてたんだろう。

気遣いがありがたいような…出してくれなくて寂しいような。

まぁ元はといえば最初に俺がつまらないリアクション取ったせいか。
それに、コスプレの話のとき。
ある程度の距離を取って欲しいと願ったのは俺で。
紀野先輩はその空気を読んでくれていた。
だから、むしろありがたいことのはず。

それを寂しいって感じるのは、ただのわがままっていうか。負けず嫌いじゃないか?
……って、靜に対抗意識燃やしてどうすんだか。
オタク同士、気が合うのは当然じゃん。


2人が盛り上がっている話の大半は理解できなくて。
 
俺は完全に傍観者で。  
靜と紀野先輩のやりとりを遠めに見る。
別に、元々、俺は関係ないんだけど。
紀野先輩の同級生ならともかく、靜は俺のクラスメートだから。
なんだか、気になってしまう。

「先輩、ホントかっこいいですね」
靜のその言葉に、つい目を向ける。
かっこいい?
紀野先輩が?

二人は、アルバムらしき物を見てるんだけれど、こっちからは中まで確認出来ない。
もしかしてコスプレ写真かな。

「普段から、髪、染めたらどうですか?」
「え、銀に?」
「さすがに銀はあれですけど。茶色とか」  

 靜の言う通り。髪染めたり、いろいろ整えたらかっこよくなるとは思ってる。
 …というか、俺が思ってても言わなかったことを靜があっさりと言ってのけた。
 まぁ俺の場合、『たぶん、かっこいい』っていう推測だったけど。

「ね、どうです?」
「いいよ。恥ずかしいし…」
「どうしてですか」
「なんか…急におしゃれとかしだしたら、変に色気づいたって思われそうだし…」
「そんなに気にしなくていいと思うんですけどね」

 …まぁ確かにいきなりこの人が、髪染めて、さらに眼鏡からコンタクト…になったりしたら『なにがあったんだ?』とは思うだろう。


にしても。
趣味に走りまくって靜と会話している紀野先輩は本当に、きらきらしていた。
なんか人生楽しそう。いいな、夢中になれることがあるって。
俺って、そういうのないんだよな。
ちょっとうらやましい。

 こういう紀野先輩を引き出したのは、だれでもない、靜だ。
 …オタクなら誰でもいいんじゃないのかって思えばいい話だけれど。
 でも、俺相手じゃ無理なんだ。
 あー…なんか悔しいっていうか、むかつくっていうか。
 入れなくて寂しいような。
 …だから、元々、入るつもりなかったんだけど。

 なんなんだろ、これ。

 靜のやつ。
 俺だって、紀野先輩がかっこいいことぐらい気付いてたのに、あっさり言いやがったし。

 …靜に、嫉妬してんのか。
 なに、俺、紀野先輩が好きなの?
 まさか。  
 
あんながっつりオタクだし。  
別に引かないけど。  

「じゃあ、俺そろそろ帰ります」
「うん。またよければ遊びに来て」
「はい、ありがとうございます! 憂月もまた」
「え…あぁ、うん。また…」
 急に話しかけられ、妙にぎこちなく手を振り見送った。

 ドアが閉まり、紀野先輩と二人きり。
 いつもと同じ空間なのに、なんだか緊張してしまう。

「蒼柳くん…ごめん。なんか…引いてる?」
 不安そうに、尋ねてくれる。
 もちろん、そんなことはない。
 むしろ、逆。
 きらきらした紀野先輩が。
 いつもと違って、生き生きしてて。
 俺相手だと、見ることの出来ない先輩を垣間見た。

「引いてないですよ。むしろ…靜と話してて楽しそうだったし。なんかそういうのうらやましいです」
「…うらやましい…?」
「俺、あんま没頭できる趣味とかないですし。先輩って……靜と付き合ってるんですか?」
 友達…とは言っていたけれど、それは建前上そう言っただけなのかもしれない。
 靜の態度も、別に先輩と後輩…みたいな感じではあったけれど。
「付き合ってないよ…っ」
 俺の『もしかして…』という読みはあっさりと外れた。

「仲、良さそうだったから…。あんな先輩見たの初めてだったし」
「あ…オタク仲間といると、ついテンションあがっちゃって」
 
 …靜は特別じゃない。
 そうとわかって少しほっとする。
 けれど、特別じゃない、普通のレベルの友達より、俺は下なんだろうか。
 気を使われる相手?

 なんだか胸が痛む。
やっぱりこれって、『好き』ってことか。
自覚したところで、どう接すればいい?

「あ…蒼柳くんは、付き合ってる人とかいるの…?」
 思いがけない質問に、一瞬返答が遅れる。
「ごめ…っ。言いたくなかったらいいんだけど…っ」
 なんで、そんなに気を使ってくれるんだろう。
「いないですよ。……気にしてくれるんですか?」
「蒼柳くん、綺麗だから…いるんだろうなって思って…」

 綺麗…か。
「普段、あんまり積極的に恋愛するタイプじゃないんです。というか、趣味とか勉強とかもですけどね。でも…たぶん、一度ハマったらとことんだとは思うんですけど」
「そうなんだ…」
 明らかに自分とは無関係だと思ってるんだろうな。
 俺、紀野先輩に、ハマったかも…。