3人が出て行くのを見計らって。
「少しは、がんばってるんじゃないかな」  
 隣から珠葵が俺に言う。  
 あいかわらず、ノートから目を離さずにだけれど。
「……うん」
「授業中、すごい集中して聞いてるとかさ。俺たちが出来ないこと、普段からしてるんだよ」  
 
 なんで、普段から集中して授業聞いてて、テスト前にはあんまりやってないやつよりも、普段授業サボってて、テスト前3日間、徹夜で勉強したやつの方ががんばって見えてしまうんだろうな。
 
「わかってるよ。努力しまくって点取れないならともかく、努力もしてない俺が、啓吾のこと妬むのは間違ってるって」
「……妬むまでいってんだ? まあ、本当に頭はいいんだろうなって思うけど。IQ高いってやつ? 要領いいっていうか。でもなぁ」  
 珠葵がやっと、顔をあげて、こちらを向いてくれた。
「でも?」
「……啓吾くんってさ。なんだかんだでちゃんとノート取ってたりすんじゃん? 意外と真面目だよね」  
 ……そういえば。  
 啓吾って、ノート取らずにサボってるって感じじゃないんだよな。
「……真面目だね」
「そうそう。本当になにもしてないのに100点だったらさすがになんか悔しいっていうか、むしろ自分もやる気も失せちゃうけど。それなりにはしてると思うし」
「うん……」
「まあ、人それぞれじゃん? 深敦くんって泳ぐの速いでしょ。それって、何キロも泳いできたからだよね。……俺や晃には出来ないと思う。速くなるためとはいえ何キロも泳ぐだなんて、考えただけでも疲れちゃうし。ホント、覚悟決めてがんばらなきゃなって。でも、深敦くんは違うよね」  
 確かに。  
 何キロかなんてわかんねぇけど、昔からすごく泳いでて。  
 別に全国レベルとかそんなんじゃねぇけど、クラスで1,2番にはなれると思う。  
 努力したわけじゃない。  
 ただ、好きで泳いでただけ。
「あんまり、がんばってないかも」
「……うん。でも俺ががんばらなきゃ出来ないことしてる。そう考えると、がんばってるって、ホント、他人が計れるもんじゃないのかも」  
 珠葵はたまに、深いことを言う。  
 普段、そんな様子は見せないんだけど。
 
「まあ、たとえばだけど、同じ距離泳いだとして、片方は速くなったけど、片方は全然速くならなかったとか。潜在的なものもあるんだろうけどね」  
   
 勉強で言うところのIQや要領のよさみたいなものか。
 
「啓吾くん、自覚はないだろうけど、俺たちががんばらなきゃ出来ないことしてるんだよ」
「……うん」
「いや、深敦くん責めてるわけじゃないからね。まあ自覚なかったり、簡単にやれちゃう時点で、いやみらしいといえばいやみらしいし」  
 珠葵はホント、優しいな。
「うん、ありがとう。なんかさ。簡単に点取れててむかつくなってのもあったんだけど。あいつが、あまりにも出来すぎてて。……距離、感じんのかも」  
   
 そう。  
 なんていうか違和感?  
 俺とは違うんだなって感覚。
   
 こいつはもう、努力しなくても出来ちゃうタイプの人間なんだって。  
 まあ、してるのかもしれないけど。  
 確実に俺とは違う。  
 そういうタイプ。
 
「点数悪いやつとか見ると、俺と同じなんだなって、親近感沸くだろ? それってすごく安心すんじゃん? それの逆みたいな」
「……そっか。それはあるかもしれないね」  
 珠葵は一つため息をついた。
「俺と春耶くんが、総合点競ってるでしょ。啓吾くんを仲間はずれにするつもりはないけど、勝負になんないから、競う気にはなれないんだよね。それって、距離取ってるよなって思う」
「……近づける気がしねぇから、むかつくんだよ、たぶん」
「……いいね」
「は?」  
 いいねって。  
 どういう意味?
「近づきたいって、思うからむかつくんでしょ。出来なくてもどかしくて。見ててほほえましいよ」  
 ほほえましいとか。  
 なんか恥ずかしくなってくるし。
「深敦くんは、勉強じゃない部分で近づけばいいんじゃない? なんていうかさ。親近感がわく相手って、安心するけど、おんなじタイプってだけでしょ。恋人はやっぱ少しくらい離れてた方がドキドキするもんだよ、たぶん」  
 結構何度か悩んだことがある。  
 天才の考え方はわからないし。  
 つりあわないとも思ったし。  
 いいのかな。
「……まあ、なんとなーく結論づいたところで、そろそろ帰るよ。渡部先生、待ちくたびれそうだし」  
 え。  
 渡部先生って。  
 珠葵の視線に合わせる形で、教卓の方へと視線を移す。
「渡部先生……っ。いつのまにっ」
「まあ、だいぶ前からいたんだけど。二人話し込んでたし」
「俺もね。やめようかと思ったんだけど、他の生徒が来るまでどうせ補充始まらないかなって」  
 渡部先生なら聞かれてもなんとか……大丈夫か。
「まあ、気遣ってくれたのはありがたいけど、他の生徒とかいないから」  
 渡部先生は、少し呆れた表情で、珠葵にそう言った。
「あー……。それなら、無しにするか、補充の点数もうちょっとあげるかして人数増やせばいいのに」  
 なに。どういうことだ。  
 俺、一人? 一人なの?
「形式上さ。平均点の半分以下が赤点だし」  
 マジで、俺だけなの?
「他のクラスと合同にするとかさ」
「いや、すでにしてるけど」  
 珠葵が俺の代わりにずばずば聞いてくれるけど。
 うちのクラスだけじゃなく学年で1人かよ。
  
「じゃあね。深敦くん」
 俺だけなら珠葵、いてもいいんじゃ。
 なんて思うけど、補充中にしゃべれるわけでもねぇしな。  
 宿題も終わったんだろう。
「ばいばい」  
 珠葵に別れを告げ、俺と渡部先生だけになる。
 
「悪いね。話、軽く聞いちゃった」  
 変になにごともなかったフリされるよりは、そう言われた方が気まずくないかもしれないな。
「いいですよ、別に。……渡部先生って恋人いるんですか?」  
 俺のを聞いた手前、はぐらかさずに答えてくれるんじゃないかって期待してしまう。
「……いるよ。ちなみに全然、近くないし、立場も違う」
「距離とか、感じたりする?」
「そりゃ、感じるよ。友達といる方が楽しいのかなって思うこともある。それって当たり前なんじゃない? まあお前は立場が同じだったり友達だから、余計にその距離感みたいなもん意識しちゃうだけだろ」  
 他の友達とくらべて俺は近いんだろうかとか遠いんだろうかとか。  
 そういうの意識しちゃうのはやっぱり、俺もまた友達だから?  
 全然、立場が違うような人間だったら、近くなくて当たり前で、気にならない?
 
「……渡部先生って、恋人と友達じゃないってこと?」  
 少しだけ、間を置いて、
「そうだね」  
 そう答えてくれた。
「恋人だけど、友達じゃないと思う。俺より仲のいい友達たくさんいるみたいだし、俺も恋人には言えないこと話せる友達がいる。でも、お互い好きならいいんじゃない?」  
 最後は結構軽い感じで俺に結論をぶつけてきた。
 
「……まあいっか……」  
 渡部先生が軽い感じで言うもんだから、俺もまた考えるのを放棄したくなる。  
 というか、結論はそこなのかなぁって思ったりもしちゃったし。
「テストの点数で近い遠いが決まるわけじゃないからな。けど、少しくらいお前は佐渡を見習え」  
 ……ですよねー。  
 これはもう、恋人とか友達とかそういう問題でなく、単純にバカにされるレベルの点数……かもしれない。  
 
「それとさ。近づきたいって思う気持ちはあっていいと思うよ」
「離れてても構わないのに?」
「近づくことで、相手の気持ちがより理解出来るかもしれない。出来なくてもそういう気持ちって、いいよね」  
 出来る出来ないの問題でなく。  
 理解したいなって思う気持ち……か。
「そうですね」
「……というわけで、高岡は誰にも頼らずにこのプリントを解いてこい」
「……そういうことですか」
「んー? どういうこと?」  
 近づきたいなら自分で解けってことだろ。  
 なんつーか、人に頼って解いたら、近づきたい気持ちが浅いみたいじゃねぇか。
「まあがんばりますけどー……」
「どうしてもわからなければ、佐渡に聞いてもいいけど」  
 啓吾に近づきたくてがんばるのに、啓吾に聞いてどうすんだよ。  
 他の人に聞いてもおんなじだけど。
「これ、一人でやるには難しくないですか」
「……まあ高岡からしたら難しいかもしんないな。だからさ。努力だけしてみて、疲れたら頼ればいいよ」  
 なんだかんだで甘いよな、渡部先生って。
「いいんですかねぇ……」
「頼れる相手がいるってのも、幸せだろ」  
 そう言って、頭をポンっと叩いた。
 
「渡部先生も、近づく努力とかしてます?」
「……俺の話はもうよくない?」  
 お。もしかして聞かれたくないのか?  
 ますます聞きたくなるな。
「少しくらい聞いたっていいじゃないですか」
「まあいいけど。するよ。少しはね」  
 近づく努力って。
「例えばどんなことするんですか」
「別に。高校時代の自分思い出して、同じ目線で考え……」  
 そこでハっと口を噤む。  
 今、高校時代って。  
 同じ目線って。  
 つまり、それって、恋人は高校生ってことか?  
 聞いていいのかわからず、お互い目が合ったまましばらく沈黙。
 
「……高岡。聞かなかったことにしろ」
「……難しいです」
「じゃあ、言わなかったことにする」
「ええ……よく意味わかんねぇけど」  
 つまり、一応、秘密ってこと?
「隠してるんですか」
「隠してないけど、さぐられると面倒だから」
「同じ学校ですか」
「だからさぐるなって」
「それ、同じ学校って言ってるようなもんですよね」
「……まあただ騒がれたくないだけなんだけど」  
 意外と堂々としてたほうが、みんな騒がなかったりするもんな。  
 けど、俺はこの時点ですでに気になって仕方が無い。  
 まあ全校生徒知ってるわけじゃないから、言われたところで『だれ?』になっちゃうだろうけど。
 
「あんまりだれかれ構わず聞きまわるなよ」
「……今、教えてくれたら聞きまわりませんけど」
「ルームメイトにでも聞け」
「え、ルームメイトならいいんすか」
「たぶん、知ってるだろうからね」  
 ホントにあんまり隠してはいないのか。  
 先輩たちの間では有名だったりするのかな。
 
「プリントやってからにしろよ」  
 いち早く聞きたいと思っていた気持ちを汲み取られ、先にそう言われてしまう。
「えー……」
「お前、俺が『高岡がこの学校の誰かと付き合ってるらしいんだけど誰だろう』って聞き回ってもいいわけ?」  
 っつーか、知ってるだろ、相手。
「わかりましたよ」
   
 渡部先生はそう答える俺を褒めるようにまた頭を軽く叩いた。  
 それにしても、先生と生徒か。  
 確かに立場とか全然違うし結構、距離あったりしそうだよな。  
 それでも、近づこうと高校時代を思い出す渡部先生ってなんだか相手のこと考えてる感じがしてかわいいな。  
 実際の距離の問題でなく、その気持ちがさ。  
 ……やっぱ、気持ち大切だな。
   
 俺も、近づく努力してみますかね。
 
 
「……さらっと流していい問題なのかわからないんで、聞きますけど、先生、あれなんすね。相手、男……」
「そこは、さらっと流していいから」
「……まあ先生がそういうなら、そうしときます……」