「おっかえり」
そう部屋に迎え入れてくれたのは、ルームメイトの総一郎先輩。
「ただいま」
「ずいぶん、暗い顔してるけど。大丈夫?」
「別に、暗い顔なんてしてない」
何事もない、平気な顔を作ってみる。
きっと、うまく作れてないんだろう。
「……で? 問題の彼は?」
悠貴先輩のことだ。
「付き合ってるよ」
「ホント?」
「嘘なんてつかない」
そう言うと、総一郎先輩は俺の腕を引っ張って、そっと抱きしめる。
「部屋でくらい、気ぃ抜かないと。疲れるだろ」
「…なにそれ」
「作らなくてもいいって事。嘘なんて、つく必要ない」
「ついてない」
「泣きそうな顔してる」
抱きしめたまま。俺の顔なんて見えないだろうに。
さっき、俺、そんな表情してたんだろうか。
「付き合ってるってのが、嘘だとか疑ってるわけじゃないけど。平気そうな表情は、嘘だろ? 無理やり作ってる」
わかってしまうんだろうか。
俺、演技下手?
「…そんなの、見間違いだろ」
「間違えない…。ちゃんと、いつも見てるから。わかるよ。我慢してるのとか」
そう言って、後ろから頭をそっと撫でられると、俺の中で、我慢してたのとか、一気に切れてしまう。
我慢してるでしょって言われると、駄目なんだよ。
次々と、涙が溢れてきた。

悲しくて苦しくて、悔しくて。
止めようと思えば思うほど止まらない。

「今日は、どうしたの?」
「別に…」
「言ってよ」
「……なんでもない」

いつもと一緒。
付き合ってるだなんて、全然思えなくて。
あいかわらず、悠貴先輩の心は、別の所にあるようで。
恐くてたまらない。


俺なんか、見てもくれなくて。
こんなにも大好きなのに、信用してもらえなくて。

思い出すと、奥からどんどん涙が溢れてきてしまう。

総一郎先輩は、俺から少しだけ体を離すと、指先で涙を拭ってくれていた。
だけれど、そんなん意味ない。
止まらない。
俺の頬を両手で包むようにして上を向かせると、そっと口を重ねられてしまう。
「っん…っ」
何度も口を重ね直され、口からも酸素補給させてくれる。
優しく、舌を絡めとられ、唾液が交じり合った。
「ぁっ…んっ…っン…」
髪の毛を指先で絡めとられ、キスをしたまま、後ろのベッドへと押し倒される。
「ンっ…ぅんっ…」
そっと口を離すと、濡れた舌先から唾液の糸が引いた。

「…こんなキスは、彼には無理だろ…?」
テクニックの問題じゃない。
こんな甘ったるいキス。
悠貴先輩は絶対にしてくれないのだろう。
総一郎先輩は、俺の体を全部、ベッドに乗せてしまい、自分は座って俺の頭を撫でてくれた。
俺はただ、涙でぼやけた視界の中、焦点が合わず、どこを見てるのかもいまいちわからなかった。

「辛いんだろ…?」
「っ…」
「……うまく…いってないんだろう…?」
「…負けそう…」
涙が止まらない。
「…なにかあった…?」
「…俺……嫌われてるから…」
「嫌いなやつと、付き合うかな…?」
「…っ別れようって、言われたよ」
俺は、嫌われてるんだ。
俺の好きって気持ちも、信用して貰えなくて。
「俺のこと、好きじゃないって…ついてくんなってっ」
総一郎先輩は、俺の腕を取って起こすと、そっと抱いてくれる。
「…それでも君は、ついていくんだろう…?」
「んっ…絶対っ…好きになってくれる…」
そんな自信、本当はないけれど。
「…好きに…なってくれるはずなんだよ…」
「うん…」
「…思わないと…俺、負けそう…っ」
「負ける…?」
「こんな、辛いの…もう、嫌で…諦めちゃえばいいのにっ…」
好きで好きでたまらないから。
「諦めたくなくてっ…好きになってくれるって…思いたい…っ」
「…諦めちゃったらラクなんだろうけど…無理かな」
「ラクなのはわかってる…だから、負けそうなんだ」
負けたら駄目だって。
決めたから。

俺は、あの人についていくんだって。
あの人のこと、救うのは俺だって。

「…悠貴先輩もね…苦しいんだよ?」
「どうして?」
「……好きな人に…振られたから」
「それを真綾が慰めてあげるの?」
「…そう」
間違ってるのかな。
「でも、悠貴くんはその慰めはいらないって言ってるんでしょ」
「だけれど、本当は、助けて欲しいに決まってる」
悠貴先輩のためにしてあげたいと思うから。

総一郎先輩は、もう一度、優しく俺に口を重ねた。
「………真綾がそう思うのなら、そうかもね」

目の前で、そう言ってくれる。
だけれど、本当はどう思ってくれているのか。
わからなかったが、肯定してくれていた。

「俺だったら、こんなに泣かせないのにね」
俺の頬を撫で、少し上から俺を見下ろして。
冗談っぽくそう言うセリフに体が熱くなった。

目線を逸らす俺の耳元で軽く笑って。
「大丈夫…。真綾が悠貴くんのこと好きなのは、もちろんわかってるから。
悠貴くんが真綾の魅力にちゃんと気付いてあげるのが一番いいと思ってるし。
俺もそれを望むべきだと考えてるからね」

優しい口調でそう言ってくれた。
この人はたぶん、俺のこと好きでいてくれる。
だけれど、いつも、ちゃんとした言葉には表さないでいた。
俺が困るってわかってるからだ。

こんなにも俺のこと、想ってくれてるんだよ。
そう思うと、それに答えられない自分にもまた胸が締め付けられる。


悠貴先輩とは。付き合っているのに、寂しくて寂しくてたまらなくて。
その寂しさを紛らわしてくれるのが総一郎先輩で。

けれど優しくされればされるほど、俺は悠貴先輩には嫌われてるんだなって思えてしまうし、総一郎先輩に申し訳ない気持ちだって膨らむ。

それが辛くて、また泣けてきて。
そんな俺を見て、総一郎先輩は、もっと優しい対応をしてくれる。

この人のことが好きになれてたら、もっと楽だったかもしれないのにな。

そんなことを考えてしまう。

俺は総一郎先輩のこと、そんな風に見たことないし。

だから、慰めてくれるのに甘えすぎちゃ駄目なんだって思ってる。
こんなの、利用してるだけじゃない?


悠貴先輩が好き。
好きだから、しょうがないんだよ。
気持ちに嘘はつけないし。
苦しくてもしょうがない。

だけれど、少しだけ、甘えてもいいでしょう?

「先輩…もう一回だけ。キスして…」
「ん…」
ホントに。
甘くて蕩けそうで。
あぁ、恋人ってこんな感じ?
愛されてるって思えちゃうようなキス。

寂しさを紛らわして欲しくて頼んだキスなのに。

切なくてたまらなくて。
また涙が溢れてきてしまっていた。

ごめんなさい、ごめんなさい。
でも、今、こんな風に泣けるのは、すべてをわかってくれている総一郎先輩の前だけだから。

もう少しだけ、俺のこと、慰めてください。