次の日になって。
 啓吾とは、もともと席が離れてるからなんてことはないんだけど。
 なんかいつもと違う気がしてしょうがない。
 休み時間とか、別にいつも啓吾といたわけじゃないし。
 どうってことないのに、離れてる自分がなんか変で。
 その代わりみたいに啓吾の近くに遊びにくる隣のクラスの子も気になったり。
「深敦くーん…。さっきから向こう、気にしてんねぇ」
 俺の視界を遮るようにして、珠葵が顔を覗き込む。
「別に気にしてないって」
「いいじゃんかー。嘘つかなくてもー」
 というか…。
「…晃は…?」
「え…?」
 春耶とあの子が近くにいても平気なのかって。
 そりゃ、気にしてないのをあえて気にさすように、聞いちゃう俺ってどうかと思うけど。
 気にならないのかなぁって。
「深敦くーん。無粋な質問してはなりませぬよ」
「…珠葵、キャラ変わった…?」
 珠葵は後ろから俺に抱きついて、俺と視界を合わせると、春耶を指差す。
「…なに…?」
「ほら。首筋…。キスマーク」
 見えないって…。
 珠葵、目、よすぎ。
「…ちょっと見てきていいかな。さりげなく」
 別に春耶に会いに行くだけだし。
 ほら、首を見に行くとか言ったら怪しいけど。
「行こ〜♪」
 晃も誘ったけど、さすがに恥ずかしいのか、断られてしまった。

 こうやって、なにげなく啓吾に近づいてみたり…したかったりもしたり…。
「旦那、昨日はご盛んでございますか?」
「は…?」
 珠葵の変なフリに、一瞬、春耶が戸惑って、すぐにわかったように苦笑いする。
 というか、照れ笑い…?
 にしても、ホントだ。
 珠葵の言うとおり。キスマーク残ってる。
「深敦、そんなマジマジ見んなって」
「あ…ごめん。つい…。晃って見かけによらずそーゆうことするんだ…」
「っていうか、俺がしてって頼んだんだけど」
 晃が自発的にするわけないか。
 でも、なんか、これで春耶は晃のものって感じがして。
 あの子も気づいてるだろうから、取られなそう。
 つい、チラっと啓吾の方に目線が行く。
 このキスマークのせいで春耶がターゲットから外れたのか、隣のクラスの子がしきりに啓吾と話していた。
 俺の心が狭いんかなぁ。
 啓吾があの子と話してるのが、どうしても、嫌で。
 ううん。会ったばっかの啓吾を100%信頼なんて出来ないのは当然のことだろ。
 むかつきとおり越してへこんできた。
 かわいいよなぁって思うもん、やっぱ。
 もし、俺が啓吾の立場だったとして。
あんなかわいい子がわざわざ隣のクラスから会い来てくれたりしたら。
『俺のこと、好きなのかな』って思うだろうし、意識しちゃうって。

あ。それって俺と一緒?
啓吾につっかかってこられて、気になって俺は啓吾を好きになってきて…。
だから、このままいったら、啓吾もあいつのこと、好きになるのかな…。

 「春耶はさ。晃のこと、信じてる…?」
って、いきなりこんなこと、聞いたらおかしい…よな。
啓吾には聞こえないように、少しだけ啓吾からは離れた位置で春耶に聞いてみる。
「まぁね」
どうしてそう、あっさり言えるんだろう。
晃がちょっとだけ羨ましい。
「というか…信じたいね」
苦笑いしてそう付け足して。
「え…?」
「そりゃ、疑うことだってたまにはあるよ。たとえば、アキが、もう啓吾のことはぜんっぜん好きじゃないって言ってくれたとしても。心の奥ではまだ少しは好きなんじゃないかなって俺は疑うかもしれないし。でも、アキがそうやって言ってくれたことに対して、うれしいわけだから…信じるようにした方がいいんだろうなって」

なんか…。
春耶は春耶でホントは不安なんだよなぁ。
晃とは会ったばっかだし。
言われてみれば、晃って今でも啓吾のこと、もしかしたらなにか好きとかそういう感情があるのかもしれないし。
いくら啓吾にその気がないって風でライバルがいなくても、春耶は気になるよな…。
「うーん…なんか難しい」
人を信じるのって、やっぱ、不安っていうか、なんか怖いんだよな…。
俺が、疑い深いだけ?
だって、あとで痛い目みるのってやっぱやだし。



授業のチャイムが鳴り響いて。
隣のクラスの子が啓吾に別れを告げて、去っていく。

今、啓吾は一人で。
俺の近くにいて。

春耶も珠葵も気を使ってくれてるのかわかんねぇけど、啓吾に近づこうとはしなくって、俺の傍にいるまま。

あの子に合わせて立っていた啓吾がゆっくりと席について、真面目に教科書とか取り出して。
俺なんて、まるで存在しないみたいで。

別に、いつもかまってもらってるわけじゃない。
俺が、珠葵たちと話してるときとか、割り込んできたり、話に入ってきたり、そんなこと啓吾はしない。
だから今だって、俺と珠葵と春耶が一緒にいるから、あえて入らないでいるのかもしれない。
別に啓吾の今の行動ってのは、当たり前といえば当たり前なんだ。
だけど、あの子とは、あんなにしゃべるのに、俺が近くにいても、お前はしゃべってくれないわけ…?
「…啓吾…」
つい、そう呼んでいた。
「なに…?」
俺の方も見ずに、そう言って。
いつもと変わらないのに、なぜか冷たく見えて。
だって、あの子と話すときは、合わせて立ってたし。
そりゃ、授業も一応、時間的には始まってるし、ココは啓吾の席だし立たなくっても全然構わないんだけど。
気に食わない…っていうより…苦しい。
よくわかんないんだけど。
怒れなくなってきてた。
むかつく…って感情はもうとっくに通り越したのかなぁ。
不安すぎて、むかつけない。
「深敦?」
催促するように、啓吾がこっちを向いて俺の方を見る。

なんでもないのに、呼んじゃって。
どうすればいいのかわからない。

なんでもないのに、呼ぶなって…とか。
授業始まってんだから早く席つけば? …とか。
言われてしまいそうで。

「…ノート…今度借りたいんだけど」
なに言ってんだろ、俺。
晃に借りればって言われる?
「数学のノート。今度でいいから」
そうとだけ言って、返事も待たずに、早々と自分の席へと戻った。

俺、啓吾としばらくキョリ置くって決めたのに
なにやってんだろ。

気まずいこともあり、今日はもう徹底的に、キョリを置こう。
そう思って、ずーっと、珠葵と晃と一緒にいた。

啓吾の方。見ないでいれたらどんなにラクか。
中途半端に気になって。
やっぱりあの子と仲良しで。

あえて、なにも考えないように、無駄に授業に集中なんかしちゃってた。



昼休み。
とりあえず5人一緒だけど。
微妙に避けがち…。
いつもと変わりないといえば変わりないんだろうけど。
俺の気の持ちようだけか…?
なんだかな。
変に気まずかったりした。




拓耶先輩と約束したように、放課後、美術室へと向かった。
俺の教室からはだいぶ離れているから、少し遅くなってしまっていた。
美術室に入るとまだ誰もいないみたいだった…けど、すぐそれが違うことに気づく。
美術室の奥の方。
資料がたくさんある棚に隠れた位置からだろうか。
声がする。
「…はぁっ…っゃ…誰かっ…来…」
俺の…事だよな…。
やばい…出てった方がいい…?
「っや…ぅっ…くっ…んぅンっ…ぁっあっ」
すっげぇ、声。
それとともにガタンと人が倒れるみたいな音が響く。
止める気ないんだろうな…。
「っひぁっ…んっ…はぁっ…」
ドアの前で、拓耶先輩、待てばいいよな。
そう思った俺は、美術室を出て行こうと、ドアに向かう。
「大丈夫…?」
少しだけ、熱い声。
その声に、つい振り返ってしまう。
あいかわらず、棚で見えないけれど。

…啓吾…?
違う…よな。優斗だよな。

あの二人、声そっくりだから。
ここは美術室だし。
優斗の確率の方がはるかに高い。
それに、教室をすぐ出てきた俺より先に、啓吾がココに来てやってるなんて、ありえなかった。

「…あっ…ンぅっ…」
「…先生じゃないみたいだで、そう気にしんでいいって。言わんときゃ、俺の相手が誰かなんてそうわからんて」
確かに。
喘ぎ声じゃ、さっぱり誰だか…。
「っはぁっ…ンっ…んっぁあっ」
必死で声を殺そうとしてるのがわかる。

なんか、セクシーな声…。
って、聞き入ってていいのか…?
「はっぁあっ…優斗…っ」
あ。
やっぱ優斗だ。
そうは思ってたけど、よかった…。
「…めちゃくちゃかわいいわ…」
なんかもう浸っちゃってるような、優斗の声が、脳に響いてくる。
やべぇ。ゾクゾクしてきた。
というか、ドキドキ?

そんな感情を覚えつつ、立ち尽くしているときだった。
「…めちゃくちゃかわいいわ…」
「うぉをっ!?」
後ろから耳元で、さっきの優斗と同じセリフをささやかれ、つい変な声をあげてしまう。
「あっはっは、おかしいっ。うぉをって何っ?」
そんなデカい声でバカ笑いしなくても…。
聞こえちゃう…って、セリフがセリフだから、向こうに人がいるってのには、気付いてるんだろうな…。

「…拓耶先輩…。遅い」
「遅くないって。俺もすぐ来たけど。ずっと立ち尽くしてるみつるくん見てたわけ♪声聞いて一人でやり出しちゃうかな〜とか思って」
…それはないと思う…けど、わかんないな…。
俺、最近、変態だから。
そんな啓吾と同じトーンの声、聞いたら、やばいよ。
「でも、マジで危なそうだったから、声かけたわけ」
「危ないって?」
「ソロ活動しそうだったから、そうなったらもう声かけにくいし。始まる前に声かけたわけ」
「やらねぇよっ」
「はいはい〜♪『あぁあ、部長の声って、俺の彼氏にそっくり。もう駄目…』って後ろ姿見せられちゃ、説得力なくてよ?」
後ろ姿でなにがわかるんだよ…。
でも、合ってる…。
あ。でも啓吾は違う。
「俺の彼氏じゃねぇもん」
「じゃぁ、誰の彼氏?」
「…誰のでもねぇけど…」
「じゃぁ、いいじゃん。みつるくんので」
…そういう問題なんですか。
でもなんか、いい感じ。
誰のでもないなら…俺のでもいっか。
「うん…。ってか…いいのか?」
「いいんじゃないのー? ほかにそれらしい人いないなら」
あ…。
「じゃ、駄目だ」
「…いるんだ? それらしい人」
「…なんとなく…それっぽいやつは」
なんか…。
なにげなーく。
いろいろ聞き出されてるような…。

「それっぽいって、どうなわけ?」
「どうもなにも…。2人、仲良しで。いつも休み時間、しゃべってるし。部屋とか行くとそいついるし…」
そこまで言ってしまうと、拓耶先輩は、やさしく笑う。
なんつーか、いつもみたいに、面白がって笑うのとはちょっと違った。
「友達でも、そんくらいするだろ…? 俺と、悠貴だって、いつも一緒♪」
「でも、そういうノリじゃねぇのっ」
「…みつるくんから見て、その子がそう見えちゃうのは、お似合いだから…?」
あ。
そうなのかもしれない。
似合ってるって思ってる。
うーん…。
相手が、なんつーか、あきらかに似合わないゴツイ男とかにそういうことされても全然平気だと思うだろうし…。
「もう、オーラがそう見えるわけ。あ。すっごいかわいい子だから、もしかしたら榛先輩が写真撮ってるかも」
「かわいいんだ…? だから、気になるんだ?」
うん、そうなんだろうな…。
「あーもうっ、いいよ。別に、あきらめようと思えば、あきらめれる気がするから」
投げ捨て口調でそう言って、顔をそらした。
「そっか。じゃぁ、あきらめな♪」
あっさり拓耶先輩が、そう俺に言う。
「え…」
つい、顔をまた拓耶先輩へと戻した。
「あはは♪否定して欲しかったんでしょ」
拓耶先輩は、俺の行動を初めから予想済みだったように、俺を見てカラカラと笑った。
「…否定…?」
「そぉ。『あきらめるな』って。言って欲しかったんだろ」
俺の頭を、強く撫でながら、優しく言った。

そのとおりなのかもしれない。
ちゃんと考えて答えたわけじゃないけど。
そう言ってくれるのが当たり前っつーか。
言ってもらえて、勇気付けられて。
それで、がんばれる気がしたから。
「うーん……冗談でも嘘でも。あきらめれるとか言ったら駄目だって。その程度の好きならかまわないけど。否定して欲しいと思うくらいだから、あきらめたくないんだろ。言ったら、だんだん気持ちがそっちになってくから。弱くなるよ。誰かに応援されないと、好きでいれなくなるみたいな…。だから…自分の気持ちと違うことなんて言わんときな」
軽い冗談みたいなノリで言うけれど、言ってることはいたってまじめだった。

わりと大きなお世話ってな感じがしないでもないけれど、悪い気はしなかった。
拓耶先輩の言ってることが、ものすごく納得できたし。

うん。
俺、どんどん弱くなってる気がする。
あきらめようかな〜とか言いまくったりして。
否定されないと、やってけなくて。
否定してほしくて。

「もう俺、弱いよ…」
「まだ大丈夫っしょ♪まぁ、たまには弱くてもいいんじゃないの? 俺が、強くしてあげよう」
どうやってだよ…。
そう思って、じっと拓耶先輩を見ると、俺の頬をペチペチと軽く叩く。
「なぁっ…?」
「あきらめんときな…。みつるくんが弱くなったら、俺が否定してやるから。だからって俺に頼って、弱くなりすぎちゃ駄目だからね。自分で、がんばらないと」
めずらしくまじめな口調。
すごく…なんていうか、心に響く…。



「俺が、慰めてやろうか?」
後ろからそう声がかかる。
啓吾にそっくりな優斗の声だ。
わざと、口調と声色、真似てるっぽい。
「ほっとけよ」
そう振り返った先には、啓吾にそっくりの優斗が。
「………」
「部っ長〜♪かわいいからやめときって」
「かわいい言うな。さりげに気にしてんだから」
眼鏡がなくって。
いつもより少し多めに落とした前髪。
たくや先輩と冗談っぽく話した後、ボーっとする俺に気づいてか、目線をこっちに向けた。
眼鏡がなくて見えないのか、少し目を細めて、こっちを窺う様子が、ものっすごく、啓吾みたいだった。
「んなもの欲しそうな顔すんなって、深敦…」
余裕のある笑み。
「してねぇよ」
「あっそ」
そう答えつつも、俺の頬に手をあてる。
「っ…なぁっ」
「部長…。あんまからかったらんと…。彼女に怒られるよ♪」
拓耶先輩の声に反応して、優斗は、手を離すと、俺を見てにっこり笑った。
「っ…なんだよ」
「…兄馬鹿…って言葉あんのかな」
不意に俺にそう言って。
「あ、ブラコンってやつか。でも別にコンプレックスじゃないし」
「何が言いたいんだよ」
少し睨む俺の頭を軽くポンとたたいた。
「まぁまぁ。深敦くん見てると、どうして啓が好きになったかわかるなぁって」
「俺は、別に啓吾が好きなんて言ってないだろ」
「逆。啓が、どうして深敦くんのこと好きになったかわかるってこと」
啓吾が…。
俺を好きになった理由…?
「理由なんてあるわけ…?」
「理由っていうか…。ま。それは教えない」
なんだよ、こいつは。
だいたい。
好きかどうかも今じゃわかんねぇよ。

「もういい。優斗は出てけよ。これから勉強すんの」
「なんで? いきなりやんか」
「もうすぐテストだから」
優斗は、『そういえば…』みたいな顔をして、机の上においてあったカバンから紙を取り出す。
「…なにそれ」
「んー…テスト範囲」
「そんなの貰えるわけ?」
「授業ごとに先生が言う範囲を、とりあえずメモってる」
授業ごとに…ね…。
俺、範囲なんて知らねぇよ…。
とりあえず、授業でやったっぽいとこだろ…。
あとで詳しく誰かに聞かないと。
「優斗って、もしかして見かけによらず真面目…?」
「全然。俺って天才だから、がんばんなくても出来るの」
「ぐぁあっ、むかつく。嘘付けっ。がんばんなくても出来る奴、むかつく」
「はいはい。じゃ、俺を無視して始めてくれてかまわんよ。俺はお絵描きするから」
お絵描き…ね…。
ってか、ホントにこいつは勉強とかしないのかな…。
優斗は、美術準備室の方へと、画材を取りにか向かっていった。
「…優斗って、絵、うまいの…?」
拓耶先輩にこっそり聞いてみる。
「うん。上手いね…。完璧な人間なんだよ」
「…完璧…?」
「そ♪俺の憧れ」
「憧れ?」
「そんなリピートしまくられても困るけど」
あぁ。俺、リピートしまくってた?
完璧なわけ…?
拓耶先輩があこがれるほどの価値のある人間なわけ…?
「ホントに天才なんだよ。でも、いやみなとことかないし♪絵もうまいし運動も出来るしね。友達だってたくさんいるし」
「…ずるいや…。なんか、完璧な人間って好めない」
それって、俺、ねたんじゃったりしてるから…?
あぁ、俺こそいやみな奴だな。
「まぁまぁ。完璧なのが一番いいってわけでもないし。馬鹿な子ほどかわいいともいうし♪」
でも、結局、完璧な奴を好めないのは、ねたんだりしてるからなんだよ…。たぶん。
「…完璧な人間なんていねぇよ…」
後ろからかかる声に、びっくりして慌てて振り返る。
「…っ…榛…先輩…?」
「…頭がよくて、運動出来て。努力せずにそういうこと出来るやつってのは、努力を知らないわけだから。人として完璧じゃないよ」
なるほど。
「それに…努力しないと出来ないやつの気持ちとか。わかってるフリして、なんもわかってないから…」
「湊瀬先輩…。俺の憧れ否定しんといて下さいよ」
「そういうわけじゃないけど…っ」
「いいんすよ。俺にとって完璧なの。湊瀬先輩だって、好きなくせに」
「…完璧とは思わない…。けど、受け入れてる。完璧だったら逆にそれは優斗じゃないみたいだし…。馬鹿なとこがまた優斗らしいんだよ」
「ノロけくさいよ、最近♪」
「そんなんじゃねぇよ」

というか。
ボーっと2人の会話にも口をはさめず聞き入ってたけど…。
「どこにいたんですか…榛先輩…」
「え…ぁ…」
「まぁ、そんなことは気にしないで♪勉強しよっか」
拓耶先輩になんだか、はぐらかされた気分。
ホントどこにいたわけ…? 榛先輩。
知らないうちに、美術室、入ってきた…?


まぁいいや。
ホントにそろそろやらないと、夜になっちまう。
俺は、席についてカバンから数学の教科書を取り出す。
拓耶先輩は、俺の前の席のイスを後ろに向けながら座った。

「おぉお。1年、なつかしー」
拓耶先輩は、ほとんど開いたことのない、きれいな俺の教科書を丁寧に拡げて、中を見る。
「別に、そんな丁寧に扱わなくっていいよ」
「でも、みつるくん、丁寧に扱ってるんでしょ?」
「あんま使ってないだけだよ」
そう言って、俺は、拓耶先輩から教科書を取ると、今やってるとこらへんだと思われるページを思いっきり開き、手で抑えた。
「たぶん、ココ」
「たぶん…?」
「うん。なんか17P@とか黒板に書いてあって、今日ソコ、当たったから」
「出来た?」
「出来ないよ。友達がノートに解いてあったから、借りて黒板解いてきた」
「なるほどね♪」
拓耶先輩が、俺の教科書に目を通しているうちにも、準備室から優斗が戻ってくる。
「深敦くーん。おもしろいお手伝いをさせてあげよう。おいで」
「えー…」
斜め後ろには、榛先輩が席に座ってるんだけど、めずらしくぐったりして、何も聞いてなさそう。
拓耶先輩は、俺の教科書見入ってるしで。
俺しか、手、空いてないのかなぁ。
「…しょうがねぇなぁ」
「さんきゅう♪これ、引っ張って抑えてて」
布…。
本格的な絵描きさんが描くみたいな布だ。
それを、優斗に言われたように、立てられた板の横…厚みの部分にくっつける。
「ん。そのままね」
優斗が変な機械みたいなのを取り出して、布の上から、押さえつけるみたいに板にあてる。
『ガシャン』って、大きな音がして。
布を通して、板に、大きなホチキスみたいなのがとめられた。
「おもしろいでしょ」
「…ん…」
楽しげにそう聞くから、逆に、おもしろいって言いにくい。

優斗は、俺が押さえた状態の布を、ガシャンガシャンと、板にとめていく。
「やる…?」
4面あるうちの最後の1面で、優斗にそう言われ、俺は優斗から機械を受け取って、代わりに優斗が布を押さえた。
「…ココ…?」
「そ♪思いっきりどうぞ」
ガシャンガシャンとやるうちになんだか、楽しくなってきた。
でも、しょせん1面。5個くらい打ったところで終わってしまっていた。
「…なぁ。コレに絵、描くわけ…?」
「ん? そうだけど?」
本格的だ…。
美術部って、意外にもまじめなのか?
もっとおちゃらけて変な絵とか描いてしゃべりまくってる部かと思ってたのに。
「堅苦しそう…」
「え…あぁ。いつも描いてるわけじゃないで。俺はちょっと趣味。いつもは、デッサンとかみんなでするときもあるけど、自由に画材使って、それぞれ好きなモン描いてたり」
画材。
そうだよ。
今日、美術室来たのは、画材を使うっていう理由もあって。
「拓耶先輩。ちょっとだけ、画材、見てもいいですか?」
せっかく、勉強見てもらってるのに、それもどうかと思うけど。
でも、画材を見ないかって、美術室に誘ってくれたのは拓耶先輩だし。
少しだけ。
「いいよいいよ♪ってか、俺が、見ようって言ったし。今日の目的はそれもあるし。使おう使おう」
「深敦くん、画材、見に来たんだ?」
「そうだよ」
優斗先輩は、にっこり笑うと、引き出しから、紙を取り出して俺に渡す。
「ま、自由に使ってや。体験入部みたいだねぇ」
他にも、いろんな種類の鉛筆とか、クーピーみたいなやつとか取り出して、机の上に置く。
いろいろ乗った机に、隣と前とその隣の机をくっつけて、俺と拓耶先輩は、隣同士で座った。
まるで、昔、給食食べたときみたい。
せっかくだからってことで、榛先輩も呼んで、4人で、なぜか向き合ってみたり。

榛先輩は、絵を描く気力もなさそうだったから、とりあえず、榛先輩の前の机に、画材は置かれていた。

「さてと。こう向き合っても描くもん困るねぇ。榛でいいや。榛、描こ」
「…俺、画材見にきたんだけど」
「いいじゃんいいじゃん。いろいろ使って、いろんな榛描けば」
…人物って。
いろんな画材で描けるもんなのか…。
俺は、鉛筆で描く気、まんまんだったけど。
思えば、このクーピーみたいなので描くのも芸術的な気がする。
「わかった」
榛先輩は、なんていうか、もうモデルになり慣れてるって感じだった。
なんでもないことみたいで、反論とか一切なし。

優斗と拓耶先輩は、さすが慣れてる感じで、とっとと紙に描きだしてしまう。
俺一人取り残されて、鉛筆を持ったまま、描きとどまってしまっていた。


迷ってるときだった。
「深敦…」
って、また、正面に座ってる優斗が啓吾のマネをする。
「だぁあ、もういいよ。ソレはっ。ってか、やめろ」
メガネを取って、まぶしそうな目で俺を見て。
「部長、眼鏡取ると啓吾くんより幼いよ」
「え? そう? あ、ってか、啓も外すとちょうどそっくりなのかも。うん」
兄弟のモノマネなんて極めてどうするんだか。
「かわいぃ〜♪」
拓耶先輩、何見て言ってます?
優斗がかわいいって尋常じゃ…。
そう思って、ついジーっと優斗の顔を覗き込む。
眼鏡がなくって、啓吾のマネもとっくにし終わって、いつものニコニコした表情。
確かに童顔かもしんない…かもしんない。
というか、無邪気って感じがするな。
なんも悩みなんてなさそうな。
幸せ者め。
「深敦くん、そんなに見んといてや。照れるわぁ」
「はいはい。さっさと眼鏡かければ」
「どっちがイイ? 眼鏡ありとなし」
どっちがって言われても…。
「ない方が、幸せ者っぽい」
「幸せ者? じゃぁ、幸せアピールのためになしにしよう♪」
あ。こいつ、ホントに幸せなのか?
なんてやつだ。
「深敦くんは、幸せじゃないんだ?」
いきなり逆にそう聞かれても。
幸せじゃないよ、全然。
「うるさい」
「はい♪じゃ、不幸せアピールにメガネ」
不幸せとは失礼なっ。
でも、幸せじゃないってことは不幸せなのか…?
「俺は、視力いいからメガネなんていらないんだよ」
それなのに、半ば無理やり優斗がメガネを俺にかける。
「お。わりと似合う♪」
よくわからん不幸せアピールが似合うって言われても。
って、元はといえば、俺が、メガネない方が幸せっぽいって言ったからか?
それはでも優斗だからであって、俺だとまた、違うんだよ。
俺の場合、かけた方が幸せに見えるかもしれないしな。
そんなわけで、不幸せアピールの否定を心の中で結論づけてみたり。
「みつるくん、視力いいんだ?」
拓耶先輩に顔を掴まれて、嫌でもそっちを向かされる。
「ホント、似合ってる♪」
どうだか。
自分でも気になってくるな。
「両目とも1.5はあると思うけど」
「ふーん。なにか、おかしいこととか気づかない?」
楽しそうに拓耶先輩がそう言って、ニコニコ俺を見る。
おかしいこと…?
わかんねぇよ、そんなの…。
「がんばって、考えてみて♪」
あ、答え教えてくれる気はないのか。
「じゃぁ、明日までに考えとく」
俺は、よくわからん期限をつけて、この謎を解くことを決心した。

楽しい団欒も一息ついて。
頬杖つきながら、鉛筆で、迷いながらもそれらしいものを描き始めたころだった。



パシ…って。
頭になにかあたる。
あたるっていうか、軽く叩かれる。
「な…っ」
振り返った先には、思ってもいない人物。
「…啓吾…?」
少し、怒ってるみたい。
でも、なんだか無視されたりするよりはいいっていうか。
少しだけ、うれしくなる。
ホっとする。
でも、そんなのは一瞬で。
怒って見られると、やっぱ俺だって嫌な気分になる。

「こんにちは」
その声に、今まで目に入ってなかった人物に気づく。
隣のクラスのあのかわいい子だ。
俺は、ますます、不機嫌になっていた。

なんだ…。
一緒に来てたのか…。
なんで?
啓吾は、なにしに来たわけ…?
その子と二人で…。美術室、遊びに来たんだ…。

俺、絶対、表情に出る。
嫌な顔とかする。
「なに…?」
そうとだけ聞いて、あまり見られないように、前へとすぐ向き直った。
俺は、絵を描くから手が離せないんだぞって感じのオーラを出してみたり…。

「ちょっと、話したいんだけど」
話す…?
また、変なこと言っちゃいそう。
そりゃ、話したいって思ってもらえるのは嬉しいけど。

「早く済ませよ」
俺がそう言うと、啓吾は俺の腕を掴んで無理やり立たせる。
「なっ」
そのまま、ずるずると、美術準備室の方へと連れてかれるけれど、なにがしたいのかわからないから、されるがまま。
あの子は…?
とりあえず、啓吾が目で制したのか、よくわかんねぇけど、ついて来ない。
あ、先輩たちと談話してる。
あの子が先輩好きなのか。それとも、先輩たちが気を使って、あの子を引きとめてくれてるのか…。

とにかく、俺と啓吾の二人で、美術準備室へ。
「なんだよ。入るわけ…?」
後ろから押されるままに、中へと入り込んで、ドアが閉まったときだった。
「啓吾…?」
振り向くと、思ったよりも近くに啓吾がいて。

つい、顔をそらしていた。

「兄貴のメガネ…?」
いけねぇ。俺、ハメたまんまだ。
「どうでもいいだろ」
そう言いつつも、なんかメガネ姿なんて恥ずかしいから、外してとっとと胸ポケットにしまう。
しまい終わったときだった。
「…なにしてんの、お前」
いきなり言われたのがその言葉。
タイミング的に、メガネをしまったことに関してかと思ったけど、違うんだろうな。
意味がわからない。
「なにって…。絵、描いてたんだけど」
「兄貴たちと?」
「優斗とは偶然、ココで会っただけ。拓耶先輩とは約束してたけど」
なんで、こういちいち怒り気味なんだ?
怒ってないのかもしれないけど、そう聞こえる。
俺は、別に悪いことしてないのに、なんでこうサスペンスに出てくる取り調べみたいに聞かれなきゃなんないんだか。
「啓吾はなにしに来たんだよ」
俺がそう聞くと、ため息をつくみたいにして、
「別に…」
それだけ言う。
まぁ、別に詮索しないけど?
あの子となにしに来たんだか。
言いたくないなら、かまわねぇよ、ふん。
「じゃぁもう、俺、絵の続き描くから」
啓吾は、了解したのか、何も言わないで、美術準備室のドアを開ける。
なんなんだ、こいつは。

結局、俺に話したいことってこんな取調べみたいなことなわけ?
わけわかんねぇ。
別に、わざわざ準備室で話さなくてもいいのに。
少し…だいぶ? イライラしながら啓吾に続いて美術準備室から外へ出る。
俺らが出てきたのに気づいてか、あのかわいい子が啓吾の方に寄ってきた。
そんなんはもう無視で、俺は、さっきまでいた席につく。
「さようなら」
なんてかわいらしい声を出しながら、かわいい子は先輩たちにご挨拶をして。
啓吾はあいかわらず無口で、美術室のドアへと向かっていった。

結局。
なんの用だったんだよ。
美術室に用じゃないわけ?
あの子と二人きりになれる空間が欲しくていろいろ探し回ってた…とか。

俺に、よくわかんねぇこと聞くためだけに来たわけじゃねぇよな…。

「えいやぁっ」
「んぅっ」
ふてくされちゃってた俺の頬を、拓耶先輩が思いっきり鉛筆の後ろで突付く。
普通に痛いんですけど。
「啓吾くん、みつるくんに会いに来たんだ?」
楽しそうにそう聞いてくるけど。
「そんなんじゃないって。たいしたこと話してないし」
ホント。
そんな理由じゃないよ…。

「…暗いですなぁ。幸せメガネでもハメなさい」
拓耶先輩が、俺の胸ポケットからメガネを取って、ハメてくれるけど、これ、不幸せメガネなんだけど。
まぁ、それはさっき否定したけどさ。
そんなことより。
そんなんじゃ、元気になれませんって。
「…深敦くん…」
「え…」
めずらしく榛先輩が口を開く。
もうずーっと、ぐったりしてたし。
優斗も拓耶先輩もしゃべりかけてなかったから、あえてそうしてるのかなと思って、俺もしゃべりかけなかったけど。
「カバンの上…。啓吾がなんか置いてったよ」
啓吾が…?
言われるように、カバンの置いてあるドア付近の机まで、行ってみる。
「なんだった?」
拓耶先輩が、興味津々に遠くから俺に聞く。
「別に…大したもんじゃ…」

カバンの上に置いてあったのは、啓吾のノート。
数学の。
拓耶先輩に今自分で言ったように、たんなるノートで大したもんじゃないんだけど。
なんか、大したもんだったっつーか。
変に苦しくなってくる。

啓吾は、このノート届けにきたわけ…?

今度でいいって言ったのに。

だいたい、なんで俺がここにいるって知ってるんだよ。
珠葵や晃には、言ったけど。どっちかから聞いた…?
気になって、つい、珠葵に電話をかけていた。

『もしもし?』
「あ、珠葵? あのさ。俺がどこにいるか、啓吾に言った…?」
それを聞くだけなのに、電話ってなんか妙に緊張する。
『うん。深敦くん、すぐいなくなっちゃったでしょ。啓吾くんだけに言ったわけじゃないけど。春耶くんと晃とも一緒にいるときに、深敦くんだけがいなかったから、美術室で数学の勉強するんだって、話に出したんだよ。言わない方がよかった?』
言わない方がよかったってことはないけど。
「そっか。どうもさんきゅー♪」


ってことは。
俺が、数学の勉強すると思って、数学のノート持ってきたんだ…?
たまにはいいやつじゃん。
一言、言ってけばいいのに。

あ。でも。
数学の勉強、してないや、俺。
絵、描いてたし。
だから、啓吾も、『なにしてんの』とか、聞いたわけ?
先輩と約束したって…俺、言ったよな…。
絵を描く約束みたいじゃん。
そりゃ、画材見るって約束みたいなのもしたけど。

俺って、『数学の勉強する』って伝えておきながら、実は、先輩と遊んでる奴…?
嘘ついて、先輩に会ってるみたい。
別に、いちいち断らなきゃなんねぇわけじゃないけど。
嘘とかって、やましいことがあったりするとつくだろ。
俺、べつにやましいこととかないのに。
ただ、先輩と、絵を描くなら描くで、はじめからそう言い残しておけばよかったのにな。
勉強するって言っておきながら遊んでると、なんか、後ろめたい。
というか。
啓吾、絶対、『なんでわざわざ嘘ついたんだ』って思うだろうし。
嘘つかなきゃなんないなにかがあるんだとか疑うかもしんない。

だから、あんなに怒ってるみたいだったんだ…。

あぁあ。
また、啓吾を怒らしちゃった。
信頼性とかも。どんどんなくなってるんだろうな。
遊んでる俺を見て。
それでも一応、何してるか聞いたんだ…?
あのとき、『数学の勉強教えてもらう約束してる』って言えばよかった。

数学のノート、置いてってくれたのは。
俺を見捨ててないからなのか、逆に単なるあてつけなのか。
わかんねぇよ。