「はぁあっ? グッディってなにっ?」
すごい勢い。
1時間目。
テスト前だからか、今日は自習に近い形式の授業。
先生はいるけれど、席の移動もOK。
担任兼、英語担当の渡部先生がわざわざテスト前の勉強用にと配ってくれたプリントを、珠葵と晃と解いてるときだった。
珠葵の声が、ざわついた教室内に響く。
「え…。だって『家で遊ぶよりも、外で遊ぶ方が良い』…だからぁ、比較してんじゃん。グッドの比較級で、グッディだろ」
「グッピーの仲間かよっ」
「あ、ちょっとそれっぽいな。ってか、グッピーとか久しぶりに聞いた」
俺がそう言うと、机を大きく叩いて
「俺は、グッディなんて初めて聞いたよっ」
…なんか、怒ってます…?
上から聞こえるため息に目を向けると、教卓から見下ろすようにして、渡部先生が俺の回答を見る。
「高岡深敦は、俺様の授業を聞いてないということで、OK?」
「…なんで?」
「ま、かわいいから許しちゃうけどさー。あとでちゃんと、そのプリントの解説するから」
苦笑いして、渡部先生はそう言うと、後ろの方の席まで見回りに行ってしまった。
「深敦くん、グッドの比較級はベターだよ」
晃が優しく教えてくれる。
「え。そうなんだ? でもさぁ、ホーム、ホーマー、ホーメストとかCMでやってたじゃん。あれみたいにするんだろ? あ、じゃあ、グッディじゃなくって、グッダァーか。グッド、グッダァー、グッデスト?」
「もーっ、晃が、ベターって言ってんじゃんかっ」
珠葵のやつ、さっきから怒ってばっかだな。
「なんで、『グ』が『ベ』になるんだよ」
「そんなのは、俺の理解の範囲を超えてるから、丸覚えでいいんだよ」
理解出来ないと、なんか、もやもやするな…。
「じゃあ、ベターで…。『一番良い』は、グッデストでいいんだ?」
そう俺が一応、珠葵に聞くと
「いいわけないでしょーがっ」
ぷんぷんと怒る姿もなんか、かわいいなーなんて、思ってる場合じゃないのだろう。
「ベストって単語、聞いたことないわけっ?」
「あーっ。え、あれ、グッドの最上級なの? すげぇっ」
晃の方を見ると、にっこり笑って、
「なんか、違う単語みたいだよねー」
って。
そうなんだよ。
「ベストって単語があって、それもさらに活用があるっぽいよな。えーっと、ベスト、ベスター、ベスティストみたいな? しかもちょっと、ベスティストって完璧っぽくてよくねぇ?」
俺と晃の輪の中で、珠葵だけが、むっとした目をむける。
「もーっ、そんなんで大丈夫?」
「だって、俺、英語苦手だし」
「苦手の範囲超してるってばぁ」
そうだろうか。
「珠葵って、英語得意なんだ?」
「普通だって」
普通。
そういえば、楓も普通くらいとか言ってたっけ。
普通のレベルってそんなもん?
「なぁあ、せっかく、あのCMで活用方法覚えたのに、例外があるなんてずりぃよ」
「…ちなみに、ホームは名詞だから、活用出来ないからね」
「え。じゃああのCMはさぁ」
「単なるゴロあわせでしょ」
くそう。
珠葵が冷たい。
同じ馬鹿仲間だと勝手ながら思ってたのに。
でも、球葵が普通って?
普通の珠葵ですら、こんだけ不機嫌になるんだから、これが啓吾だったら、キレるか呆れるかするかもしれないな…。
怖。
結局。
勉強がはかどったようにはどうも思えなかった。
2時間目。
数学。
これは、ちゃんと説明さえされれば、理解できるから英語よりはマシだ。
ほんと、『グ』が『ベ』になるのとか、理解の範囲、超えるもんな。
「グッディー」
そう言われ、顔をあげると数学の樋口先生。
「お。グッディな自覚あんだ?」
「違ぇよ。なんだよ、それ」
「さっき、渡部先生から聞いた。グッドの活用、グッディにしたんだろ」
「別に、間違ってねぇもん。例外がある方がおかしいんだよ。どう考えても、erつけたらグッディだろ? ってかグッダァーなんだよ。…さっきは間違えてerじゃなくてeyつけちまったけど…」
そうだよ。
なんで、違うんだよ。
「おー。俺は、お前のそういう間違った答えを無理やり正しい答えにしようとする精神、大好きだな」
あっさり、間違った答えとか言われたし。
「いいよ、もうっ」
「お前みたいなやつは、弁護士に向いてるかもな」
弁護士?
ちょっとかっこいいかも。
「俺は、犯罪者の手助けはしねぇもん」
「ふーん。まぁ、数学はその点、決まりきっててどうにも嘘つけないから」
にっこり笑って、授業を開始した。
どうすりゃいいのかなぁ。
俺って、どうやってここの高校、受かったんだ?
英語とか、あんなん勘だもんな。
マークシート万歳だぜ。
4,4,2,1,3,5……ってな感じ。
ずっと4は続かなくって、たまに、1とか3とか入って。
でも、1,2,3,4って順番にはならないようにして。
そうやって、答えつけたくらいだし。
英語はもうあきらめよう。それがいい。
英語勉強して、やりきれなくって、結局、悪い点数とるくらいなら、英語の勉強時間をほかに費やしたほうがいいにきまってる。
ってかもう、わけわかんねぇっての。
「先生―…。範囲、正確に教えてくれますか」
授業後、樋口先生に聞くと、いきなり教科書で頭をたたかれる。
「痛っ…」
軽くだけど、びっくりしたから衝撃が強く感じたじゃねぇかよ。
「まぁ、お前みたいなやつ、好きだけどな? いじめがいあるっつーか、からかいやすいっつーか、馬鹿な子ほどかわいいっつーか。……6ページから28ページ」
ため息をつくようにしてそう教えてくれた。
「ありがとうございます…。ってか…なんでたたくわけ…?」
「自覚のないとこがさらによし」
よし、とか意味わかんねぇし。
そう目を向けると、少しさめた目つき。
まぁ、いつもさめた感じだけど。
「…今日の授業後と。先週の金曜の授業中に言った。今日なんて、言ってからまだ3分とたってないし」
あちゃあ。
「ちょっと、ほかごと考えてたんで」
「…どんなこと」
「英語はあきらめて数学を勉強すること」
「それ、考えてて、数学の授業聞いてなかったんだ?」
まぁ…。そうなってしまうのか…。
「…ま…がんばれよ」
だまってる俺を見てか、そう言ってくれる。
いい人だな…。
さてさて。
結局、今日もまた、ボーっとしてたら1日過ぎちまいそうだ。
昼ごはん中までテストのこととか考えたくねぇから、普通の会話だし。
俺も啓吾もいつもどおりなフリをした。
放課後は、また美術室へ。
「ちーっす♪貫通したんだって?」
拓耶先輩だ。
ピアスのことか?
「…なんで知ってんすか」
「凪の丸秘情報〜♪」
別に秘密じゃないけどな…。
今日こそは真面目に勉強だ。
拓耶先輩に教わりながら、ノートにメモをとっていく。
「で、(a+b)二乗ってのは、a2乗、2ab、b2乗なわけ」
「うーん…」
「大丈夫そぉ?」
「なんとか…」
ゆっくりした速度のおかげで、理解はできる。
あぁ。
まじで数学はなんとかなりそうかも。
「へぇ、それって愛されモードですなぁ」
……ってなんでこうなっちゃうんだろう。
勉強してたのに。
横道それてますよ。
ついつい、告られたことを告げてしまっていた。
「…優斗に言うなよ…」
「了解ですよ♪ちゃぁんて心得てるって」
「でさぁ。なんとなく啓吾と二人になるとどうも気まずいんだよな」
「しょうがないでしょぉ」
なんか俺、今日、啓吾のことばっか考えてんじゃん。
なんだかなぁ。
会いに行ってもいいですか。
っつーか、行ってどうすんだよ、俺。
答えもまだ出てないのに。
「会いに行っちゃえば?」
「え…?」
俺って顔に出てた?
「なぁんか、そういう状態じゃ勉強にも身が入らないでしょ」
嫌味な感じでもなくそう言ってくれる。
まぁそうなんだよなぁ。
「俺が思うにね。こういうことって考えてもまとまらないんだよねぇ。なんていうか、一人で考えてるのと実際、相手と対面して考えるのとじゃだいぶ違うから♪」
そう言いながら、勝手に拓耶先輩は俺の勉強道具を片付けだす。
行けってことだよなぁ。
「がんばって♪」
そう言われても。
「俺、好きかわかんなくて…」
「で、そのままずぅっと、一人で答え出るまで会わないつもり?」
「会わないのは寂しいなって思うけど…」
そう思うのは好きだからなのかなぁ。
「でしょ。相手に悪いなって思うわけじゃなくって、深敦くん自身が寂しいと思うわけだ?」
そうなんだよ…。
「なんだかんだいって、勉強に身が入らないくらい啓吾くんのこと考えちゃって。好きなんでしょ」
好き…?
なんか、そう思うとすっげぇ恥ずかしいんですけど。
「俺、会いに行けないってっ」
「なぁに恥ずかしがっちゃってさぁ。期間置くともぉっと恥ずかしくなるよん♪」
でもなぁ。
確かに、こんなんじゃ勉強どころじゃねぇんだよ…。
めちゃくちゃ緊張するけど、俺は啓吾に会いに行くことにした。
一応、インターホンを押す。
「はいはーい」
少しかったるそうにそう答えながらドアを開けてくれたのは春耶だ。
「あぁ、俺、もう帰るとこだから」
いきなりそう言われましても。
「別に、帰らなくても…」
「いや、ホント、帰るとこだったんだって」
「ホントかよ」
「じゃ、ごゆっくり」
嫌味らしく、こっそり耳元でそう言って、俺と入れ違いに部屋を出て行った。
「啓吾…?」
ベッドに座り込む啓吾と目が合って。
だから、俺、どうすんだよ、この状況で。
「なに?」
なに? とか、聞かれても困るし。
「つったってねぇで、こっちこいって」
そう言うと、俺の手を引っ張る。
「なっ…」
なにそれ。
結構強引に、俺のこと、ベッドに押し倒して、上から見下ろされる。
昔だったら、こうやって見下ろされるのとか、すっげぇいやだったのに。
なに、俺、今すっげぇドキドキしてんじゃん?
「今日、このタイミングで部屋なんて来られたら期待してまうやん…?」
「…期待…って…」
「それとも、俺のこと、フりに来た?」
少し冗談めかして俺に言う。
なんか、俺。
なにも言えないし。
こんな状態でココ来てどうすんだよ。
ただ、啓吾がキスしてくれるから。
拒めないし。
むしろ、啓吾の舌に自分の舌を絡めてしまっていた。
「…啓吾…」
「お前さ…どうして来てくれたわけ…?」
俺を見下ろして。
じっと見られると、やっぱりかっこよくって。
なんか悔しいけど、好きなのかもしれない。
「俺…っすっげぇ馬鹿なんだけど…」
「なにそれ」
「啓吾、頭いい奴が好きだって…」
「…そりゃ、馬鹿より頭いい奴の方が好きかもしんねぇけど」
ほら。
むかつく。
「……深敦、お前なにしょげてんの。馬鹿だから?」
ちょっと、企むように言われ、なんか自分がすっげぇ恥ずかしい態度取ってるのに気づく。
「っ違ぇよっ…!……馬鹿だけど…」
たぶん、啓吾から見たら俺は馬鹿なんだろう。
「俺は、深敦のこと、別に馬鹿だと思っちゃいねぇよ」
「……でも、俺は馬鹿なんだってば。だから、お前、俺が馬鹿だってわかったらっ…」
「わかったら?」
嫌いになるかもしれないって。
言いにくいだろーが。
でも、こいつは頭いいから伝わるんだろう。
「…深敦が馬鹿でも、別に関係ねぇよ。……どういうつもりで、ここへ来た…?」
優しい口調で、そう俺に聞く。
どういうつもりで?
「…馬鹿でもいいのかよ……。かっこよくもかわいくもねぇし。身長だって、かわいい女みたいに低いわけでもねぇし。お前と横に並んでも中途半端だし。春耶とお前の方が並んでてかっこいいし、隣のクラスのやつとの方が、似合ってるし」
仰向けになってるのに。
なんかわけわかんねぇけど涙が溢れて、啓吾がぼやけた。
「いいよ…」
言うだけ言ったけど、これで『じゃあいやだな』って言われたらどうしようって少し思った。
だけど、初めから、俺のことわかってて欲しいから。
「…自信、ねぇもん…」
「なんでだよ」
「お前は、いいよ。っ…背も高くてかっこよくて、勉強もスポーツも出来て。それなのに、ねたまれないで友達もたくさんいてさぁっ。そんな奴と釣り合える自信なんてねぇもん」
ぼやける視界の中、啓吾が少し笑ってみせるのがなんとなくわかった。
「なぁに、俺のこと、すっげぇ評価してんの、お前。そんだけ俺のこと、持ち上げてくれてさぁ。俺に選ばれたって、自信は持てねぇのかよ」
「持てるかよ、馬鹿…」
啓吾は、俺のおでこにそっとキスをする。
なに、してんだよ、こいつ…。
「…理屈じゃねぇんだよ…深敦…。馬鹿だから嫌いとかそんなんじゃねぇし。理由とかなく好きだって思えるんだよ」
なんでそんなに、俺のこと好きとか言えるんだろう。
でも聞いても納得できるかわかんねぇし。
第一、理由なんてないって言われそうだし。
「啓吾……こないだの、答えなんだけど…」
好きだとか付き合ってとか言いにくいんですけど。
「保留にしてたやつだけど……いい…から…」
つい、顔を逸らすと、啓吾が俺の耳元で、
「いいって。どういうこと…?」
わざとなのか、聞いてくる。
「っだからっ……そのっ……」
言いとどまる俺に痺れを切らしたのか、
「付き合ってくれるってこと…?」
啓吾の方から囁くような声でそう聞かれ、体がぞくぞくした。
「…ん…」
俺は、啓吾を見ないまま、頷いた。
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