「くっ……んっ……んっ……んぅっ、あっ!」
 どこからともなく聞こえて来た喘ぎ声で目を覚ます。
 ええっと。
 なんで喘ぎ声が聞こえるんだ?
 しかも男の声だよな?
 
 そっと目を開き、寝転がったまま声がした方へと視線を向ける。
 俺の左側、机を挟んだ先にあるベッドの上で、1人の男が膝を立てて大きく足を開いていた。
 ちなみにズボンとパンツは履いていない。
 Tシャツだけを着ていて、目は布で塞がれている。
 その足の間に座り込んだ男の手が、よく見えないけれど、股間のあたりをまさぐっているように見えた。

「雅紀……もっと声殺して。でないとやめちゃうよ」
「はぁ……んっ……ん……ぃや……ん……んぅ……んっ、んっ!」
「そう……上手……。じゃあ、指、2本に増やすね」
 指?
 指入れてんの?
 てか、俺が同じ部屋で寝てるってのに、いったいなにしてるんですか。
「ん……ぅん、んぅんんっ!」
「んー……よく出来ました。掻き回すよ」
「はぁ……はい……ぁ……ん、んぅ……! はんっ……んぅっ、んっ!」
 ローションでも使っているのか、甘い吐息に紛れるようにして、ぐちゅぐちゅと卑猥な音が立つ。
 寝起きで頭が働いていないながらも、それがものすごく官能的だと感じてしまう。
 あろうことか、俺の下半身は熱を帯びはじめていた。

 そもそもなぜこんなことになってしまったのか。
 俺は自分の記憶を辿った。



 数時間前――
 定時になったにも関わらず、俺は仕事を抱えたまま。
 あと2時間はかかりそうだと考えていたときだった。
「終わんないの?」
 隣に座っていた数年先輩の宮原さんが声をかけてくれる。
「あ、大丈夫です! あと1時間くらいあればなんとかなるんで。お疲れさまです」
 そう見送るつもりだったのに、宮原さんは椅子をこちらに寄せて、俺のパソコンに視線を向けた。
「ふぅん。これ、1時間で終わるんだ?」
 俺の嘘はあっさり見破られてしまう。
「えっと……」
「手伝うよ。2人でやればそんなにかかんないだろ」
「あ……ありがとうございます」
 後輩を置いて先に帰るってのもしづらいのかもしれない。
 申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちが入り混じる。

 そうして、宮原さんと分担し、1時間弱でなんとか仕事を終える。
「高杉はちゃんと仕事を振ることも覚えて?」
「いや……はい」
 振るっていっても、先輩に振るのはなかなか難しいんだけど……。
「振りにくいなら、どれくらい仕事抱えてるか報告してくれるだけでもいいから」
 宮原さんは、俺の戸惑いにすぐに気づいてくれる。
「ありがとうございます」
 一番優しくて一番かっこいい自慢の先輩なんだよな。
 仕事も出来るし、女の影がないのが不思議なくらい。
 というか完璧だからこそ、職場では女の影を見せないのか。
「そうだ、宮原さん。年末の忘年会、来てくれませんか?」
 ふと思い出し、尋ねてみる。
「ああ……高杉、幹事だっけ。不参加にしておいたはずだけど」
「そうなんですけど……隣チームの女性陣に、宮原さん連れて来てって、言われてるんですよね」
 俺たちの職場は、同じ部署でもチームごとに分かれていて、別チームとは普段、ほとんど話をする機会はない。
 それこそ、忘年会だとかたまに開かれる親睦会で、やっと人となりを察することができるレベル。
 男だらけで構成された俺たちとは違い、隣のチームは女性向けの作品を扱っているということもあって、女性ばかり。
 見るからに仕事出来そうで知的でかっこいい雰囲気の宮原さんは、そんな女性陣からかなり狙われている、というわけだ。
 指輪もしていないし、確認したことはないけれど、おそらく独身。
 そんな宮原さんが、お昼は弁当で済ませていたりして、料理男子という噂も飛び交っていた。
 なんていうか、モテる要素がつまりまくってるんだよな、この人。
「気が変わったりしてません? 来て欲しいなぁなんて」
「ちょうどその日は、用事があってね」
 そう言ってこの人、毎年パスしてるんだよな。
「俺も宮原さんと一緒に飲めるの楽しみだったんですけどー」
「俺の用事、疑ってる?」
 宮原さんはあっさり俺の心を見抜く。
「いえ、そこまで踏み込む気は……」
 本当は、用事なんて嘘なんじゃないかとか、逆に本当ならどんな用事なんだろうかとか。
 ちょっとは気になるけれど。
 適当な理由で断っている人は、他にもいるだろう。
「忘年会は諦めるんで、それとは別で、たまには俺と飲みに行ってください」
 半分本気、半分冗談で、誘ってみる。
「……そうだな。たまにはいいかも」
 流されると思ったのに。
「え……いいんですか」
 思いがけない返事に、むしろこっちが焦ってしまう。
 この人、別に付き合いが悪いわけではないんだよな。
 ……いや、さすがに今のは社交辞令?
「うちの人が心配するから、宅飲みでいいなら」
「えっと、つまり宮原さんの家でってことですか?」
 というか、いまさらっと、うちの人って言わなかった?
 まさか、結婚してるとか。
 さすがに、実家で親が心配するから付き合えないなんて歳じゃないよな。
「高杉、電車通勤? それなら今日でもいいけど。うちのには、電話1本入れればなんとかなる」
 宮原さんと飲みたい以上に、宮原さんの奥さんがどんな人か気になってしまう。
「俺、邪魔じゃないですか?」
「たまには後輩の1人くらい連れて行かないと、会社でちゃんとやってるか心配されそうだしね」
「じゃ、じゃあ……お邪魔したいです!」
「わかった。1本電話入れるから。苦手な食べ物ある? 飲みたい酒とか」
「とくにないです」
「それじゃあ適当に、家にあるもので」
「ありがとうございます!」

 フロアを出てすぐ、スマホで連絡を取る宮原さん。
「うん……後輩1人、連れてくから。男だよ。だから大丈夫」
 普段は見れない宮原さんのプライベートを垣間見たような気がして、なんだかドキドキしてしまう。
 その後、会社の駐車場から宮原さんの車で、宮原さんの家に向かうことになった。

 それにしても、いままでなんで気づかなかったんだろう。
 宮原さんが既婚者だって。
 わざわざ指輪しない既婚者だってたくさんいるってのに。
 指輪さえしていれば、隣チームの女性陣も無駄な期待をしなくて済んだだろうに……。
「ねぇ、高杉って、アダルトグッズとか興味ある?」
「……はい?」
 助手席で揺られながら、宮原さんの指輪について考えていると、唐突に予想もしていない質問を投げかけられる。
「えぇっと……? 宮原さんて、そういう話するんですね」
 まだ飲んでもいないのに、まるで飲み会1時間後くらいにする会話。
「ああ……まあ、ちょっと気になって。こういう話、苦手?」
「あ、いえ。全然平気です。むしろ好きな方ですけど」
 ただ、宮原さんが言うとは思わなかった。
「まあ、興味はありますよ」
「そういうDVDは?」
「……独身の男なら、だいたい持ってますよね?」
「別に持ってるのが悪いとか、恥ずかしいことだって言うつもりはないよ。ただ、あまりにもそっち方面に対して免疫がないってなると、ちょっと困るかなぁって」
 そっち方面……つまりエロい方面に免疫がないと困るってこと?
「清純すぎる子を、うちに呼ぶつもりはないんだよね」
 普通、どっちかっていうと、奥さんをエロい目で見られたくないだとか、そういうこと考えちゃいそうだけど。
「清純ではないです。人並だと思いますけど、エロいこと好きですし」
「それならよかった」
 いや、よくはないですよね。
 そう思いはしたけれど、宮原さんがいいんなら、それでいいと思っておこう。

 しばらくして、宮原さんは、かわいらしい店の横に車を止めた。
「ここ、寄ってくんですか?」
「ううん、ここ、俺の家」
「え……お店やってたんですか」
 車から降りる宮原さんに続いて、俺も助手席から降りる。
「裏からも入れるんだけど……店、見てく?」
「見てみたいです」
 宮原さんの奥さんがやってる雑貨屋さん……ってこと?
 家で雑貨屋を開きながら、旦那の帰りを待つなんて、なんだか理想の夫婦だな。
 温かい気持ちに包まれながら、店のドアをくぐる。
 中には、たくさんの――
「えっと……」
 これって、アダルトグッズ……?
 焦る俺を見て、宮原さんは楽しそうに笑みを漏らした。
「こういうの、取り扱ってんだよね」
「ここ……マジで宮原さんの家ですか」
「うん。生活は2階でしてるけど」
 だからか。
 突然、アダルトグッズの話をしたり、エロい方面に免疫がないと困るって言ってたのは。
「あんまりこういうのじっくり見たことないんで、新鮮です……」
「なんならゆっくり見てって」
 お言葉に甘えて、ついジロジロと眺めてしまう。
 他の店と比べたことはないけれど、かなり豊富な品揃え……だと思う。
「すごいですね……。でもこういうお店、女の人がやるってめずらしいんじゃないですか」
「女だって、言ったっけ?」
「え……?」
 レジで客の対応をしている店員に目を向ける。
 ……男だ。
 男、だったのか。
 そして、俺は自分の大きな勘違いに気づく。
 そもそも宮原さんは最初から、結婚しているとも嫁だとも奥さんだとも言っていない。
 うちの人だって話していただけ。
 つまり、同居人ってこと。
 電話で話してた『男だから大丈夫』ってのも、男ならこの手のお店でも引かないってことだろう。
「……宮原さん、わざとですよね」
「なんのことかな」
 わざと俺が誤解するような言い回しをしてきたに違いない。
「まあ、いいですけど」
 すると、客の対応を終えた店員が俺たちのもとへとやってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「話してた後輩? はじめまして。その……秀一がお世話になってます」
「いや、俺がお世話してもらってる方なんで」
 というか『秀一がお世話になってます』って、まるで嫁みたい。
 よっぽど仲がいいんだな。
「ビーフシチュー仕込んでおいたから、もうすぐ出来ると思う」
「ありがとう。それじゃあ後でね」
 褒めるように店員さんの頭を軽く撫でた後、宮原さんは奥のドアへと向かう。
「高杉、こっち。2階に行けるから」
「は、はい」
 俺は、店員さんに軽くおじぎをして、宮原さんと一緒に2階に続く階段をのぼった。



 その後、たしかビーフシチューがすごくおいしかったような……。
 いいお酒で、ついうとうとしていると、宮原さんが寝ていいよって言ってくれて。
 それに、甘えさせてもらったんだったか。

 ここにいるのは宮原さんと、男の同居人だけ。
 ルームシェアしてるくらいだし、男の俺1人増えたところで、そんなに抵抗ないだろう。
 そう思って、クッションを枕に、絨毯の上で横になっていたところ、同居人がブランケットをかけてくれたっけ……。


「んぅっ……んっ……秀一……んっ!」
 喘ぎ声に思考を邪魔されながらも、いまに至るまでの状況を、なんとか思い出す。
 電気はついたまま、同居人……雅紀さんの右足で隠れてしまっているけれど、おそらく宮原さんが突っ込んだ2本の指で、ぐちゅぐちゅと音を立てる。
「んっ……くっ……ふぁ……ん、ん、だめ……」
「なにが駄目なの、雅紀は」
「はぁ……んぅ……がまん、できな……」
「声?」
「ぁ……ん……! あっ……声、と……はぁ……ぁ……いく……いく、の……がまん、できな……」
 一応ボリュームは抑えているみたいだけど、かなり切羽詰まっているようだ。
 というか、イクって?
 これって見てていいやつじゃないよな?
 とはいえこの状況で、動けるはずもない。
 ただ、声を潜めてじっとする。
 よくないことだとわかっていながら、俺はそのまま2人を眺めていた。

「じゃあ、やめようか」
「や……ん……んぅ……!」
 雅紀さんは、いやいやと首を振る。
 そんな雅紀さんを見下ろして、宮原さんは楽しそうに笑みを浮かべる。
 ああ、宮原さんてわりとS気質なんだな。
「じゃあ、もう少し詳しく教えて。どうイクの?」
「ぁっ……んぅ……ナカ……ぁっ……ひぁっ! んぅ……ナカイキ、する……ん! んぅっ、やぅっ……そこぉっ!」
「んー……ここ、雅紀の好きなとこでしょ」
「あっ、んぅっ……ゃあっ……んぅっ!」
「嫌いなとこだった?」
「ぁんっ……すき……ぁあっ、ん……んぅんんんん――っ!!」

 ビクビクと雅紀さんの体が跳ねる。
 イッた……?
 立てられていた卑猥な音がやっと止む。
「はぁ……あ……ごめ、なさ……」
「そこに高杉がいるってのに、ね」
 やっぱり、当然、気づいてますよね。
 宮原さんは俺を見てにっこり笑う。
 ばっちり目合ってるんですけど。
 目を塞いでいた布を宮原さんに取られた雅紀さんも、ぼんやりした瞳で俺を見た。
 ナカイキした直後で、頭がちゃんと働いていないのかもしれない。
「えっと……すみません」
 2人と目が合ってしまったため、いたたまれず、寝転がったまま謝る。
「いいもの、あげる」
 そう言って宮原先輩がこっちに投げてきたのは、いわゆるオナホールとローションだった。
「安心して。新品だし清潔だから。電気も薄暗くしようか」
 俺が答えるより早く、薄暗い照明に切り替わる。
 正直、下半身はすでにやばい状態だけれど、せめて、トイレとか風呂場とか、移動した方がいい……よな?
 そんなことを考えていると、宮原さんが雅紀さんを抱きあげるのがわかった。
「あ……」
「続き、する?」
「ん……んぅ……ん……はぁっ」
 2人は唇を重ねて、激しく舌を絡め合う。
 宮原さんがあんなことしてるくらいだし、俺がここで1人Hしようが許されるはず……。

 寝起きだからか、酒がまだ抜けていないせいか、はたまた現実離れした情景を目の当たりにしたせいか。
 俺の思考はおかしくなっていたのかもしれない。
 まさか、先輩のセックスをオカズに抜くことになるなんて……。


 先に1人での行為を終えた俺は、一応、一声かけて、いそいそと風呂場に逃げ込んだ。
 なんとなく聞こえてくる喘ぎ声をシャワーの音でかき消しながら、再熱しないように気を紛らわせる。
 勝手にドライヤーを使わせてもらい、髪を乾かしていると、宮原さんがやってきた。
「終わったよ」
「そんな報告しなくても……」
「出てきづらいかなと思って」
 まあ、そうですけど。
 宮原さんの気づかいに、ここは感謝しておくとしよう。
「それで……忘年会なんだけど。雅紀の誕生日なんだよね。休みたいんだけど」
「……わかりました」
「理由、みんなには言わないでおいてくれる?」
「……はい」
 はじめは奥さんがいるのかと思ったけど、それはどうやら勘違いで。
 けどやっぱり、この家にいるのは宮原さんの嫁なのかもしれない。
 人のプライベートに踏み込むのも、ほどほどにしておこう……なんて思うのだった。