「っ…」
頭の上に、なにかが圧し掛かる感触。
その感触で目を覚ました。
「なに…」
薄暗い中、それをどけると、啓吾の腕で。
いつのまに帰ってきたのか、俺の隣で寝転がって、寝返りでもうった瞬間に、俺の頭に腕が乗ったんだろう。
「…啓吾…」
俺の方を向いて、眠ってる。

しばらくは起きないんだろう。
そっと頬を撫でても、起きそうな様子はまったくない。

もうすぐ11時か…。
あと1時間ちょっと。
そう思うと、なんか無性にまた、泣きたい気持ちになってきた。
「…啓吾…」
起こすつもりはない。
起きたところで、俺にはなんにも出来そうにないから。

それがまた、悔しくて。
絶対、あとで後悔とかして、もっと、泣きたくなるんだろ。

苦しい。
いまさらながら、あげたくなってきた。
でも、無理。
チョコがないからとかじゃなくって。
あげる勇気みたいなもんがない。
そんな恥ずかしいこと、出来ないから。


俺が、変に悔やんだり、罪悪感感じたり、凹んだり、焦ったりしてる最中だった。

ティロティリティリティリー
って、大音量。
「っ」
うるさっ…。
なにこれ、啓吾の携帯?
誰かから、また電話で呼び出しかよ。
早く止めろってっ。
しかも、趣味悪い曲。

そう思うのに、啓吾は寝たままだし。
「っおいっ、啓吾っ」
俺が、啓吾の体を強く揺すりながら声をかけると、ボーっと目をあける。
「…なに…」
「お前の携帯、鳴ってる」
「ん…。あぁ、そっか」
そう言って、やっと手を伸ばして、枕もとを探る。
携帯を探り当てた啓吾は、やっと音を止めてくれた。
…って、
「電話じゃねーの?」
「アラーム」
そうとだけ言って、また目を瞑る。
「って、アラームなら、お前、起きるためにセットしたんじゃねーのかよ。また寝てどうすんだよ」
「ん…。あぁ…。そっか…」
やっとしょうがなくかったるそうに、ボーっと目をあけた状態で、ぐねぐねと体を動かす。
「んー…」
相当、起きるの嫌みたいだな。
しばらくしてやっと起き上がって。
引き出しを開けていた。
ほんっと、寝起き悪ぃな。
俺は、寝転がったまま、その様子を眺めていた。

「はい、やる」
そう言って、俺のオデコの上に、包みの箱を乗せる。
「え…」
チョコ…だよな…。
俺は、包みを手に取ってみる。
啓吾はまたベッドに乗りあがると、俺の方を向いて、力尽きたように目を瞑った。
寝ちゃうんだ…?
「っ啓吾っ」
「ん…」
「…サンキュー…」
そっと、目をあける啓吾にそう言うと、薄暗いけれど、少しだけ、笑うのがわかった。

もしかしなくても、今日中に渡したかったとか…そういうんだろうな…。
俺…は…。
「啓吾…」
やっぱり、啓吾が好きだ。

「深敦…今日…なんの日か、知ってん…?」
あ。
俺が、バレンタインデー、忘れてると思ってる?
申し訳ないけど、忘れてない。
忘れてないのに、用意してないんだよ。
「ん…。戦争が終わった日…」
「違ぇよ。バレンタインが死んだ日だろ…」
あれ。
そんな起源だったっけ。
「そっか…」
って、そうじゃなくって。
「バレンタイン」
知ってる。
「好きな奴に、チョコやる日なんだぜ?」
ボーっとした、低いテンションの口調のまま、そう言う。
別に、怒ってるわけではないんだろう。

「うん…。知ってる」
知ってるってば。
催促されても用意してねぇよ、馬鹿。
涙出そう。
そっと俯いて、啓吾の視線から逃れた。

「…だから、そういう意味」
上から、そう声を被せて。
「…はぁ?」
啓吾はさっきくれた包みを、俺から取り上げて、その箱で俺の頭を何度もたたく。
「いってっ」
「チョコ」
チョコ…。

軽いノリじゃなくって。
重い意味?
好きな奴にチョコやるって。
そういう意味って。

罪悪感とか、いままで思ってたのとは、また別で。
涙が出そうになってきた。
もとから、今、涙腺緩んでる感じで。
こんなことされたら、泣けてくる。
すっげぇ、嬉しいかも…。

「わかってんのかよ、お前」
やっと、俺を叩くのを止めてくれて。
頭の上に放置されたチョコをまた、受け取った。

「うん…」
「なに泣きそうな声出してんの、お前」
「泣いてねぇよ」
「誰も、泣いてるとは言ってねぇだろ。泣きそうだっつってんの」
「…うん…」

俺は…。
好きな奴にチョコやる日って。
ねぇよ、チョコなんて。
「…啓吾…」
「なに…」
「俺…」
どうにも言えないじゃんか…。
俺が黙ってると、啓吾がいきなり起き上がる。
「っ…?」
こいつ、寝起き悪いくせに、不意に起き上がるのな。

「…しゃーねーから、今年は俺が女役。来年は深敦な」
俺に背を向けた状態で、そう言った。


「うん…」
俺が、あげなくってもかまわないんだって。
正当な理由をつけてくれる。
やっと、罪悪感から逃れられて。
それでもうれしいからか、変に、涙は溢れてきていた。

「…啓吾…」
また俺、泣きそうな声だ。
実際、泣いてるけど、それが声に現れまくってた。


「なに?」
俺の泣き顔を、わざと見ないでいてくれるんだろう。
背を向けたまま、ベッドに座る。
「ん…。菓子あるから、一緒に喰お…」
「カバン中?」
「うん…」
啓吾が俺のカバンから紙袋を取り出す。
俺もやっと、ゆっくり起き上がった。

啓吾は、俺の方に振り返ってくれるけど、あまり俺の顔を直視したりとか、そういうことはしなかった。

啓吾から紙袋を受けとって。
中からいろんな種類のお菓子を出して並べる。

「いい趣味してんやん」
俺の選んできたお菓子を取って、そう言って。
袋を開けていく。

こんなに、チョコあるのに。
チョコだって、まぁ好きなんだろって。
そりゃ、俺の前で食べにくいとかあるかもしんねーけど。

とにかく。
こういうチョコ、ほっといて、俺の買ってきた菓子、食べてくれんのが妙に嬉しかった。

俺は、自分のカバンを取って、啓吾がくれたチョコをしまって、自分の横に置いておいた。
あとで、1人で食べるから。


いまは、啓吾と一緒に。
大量に買っちまった細々しい菓子を、開けていった。



「深敦は、3月14日に返せよ」
「はぁあ。なんでだよ。今、菓子やったじゃん」
「意味、違ぇんだよ。菓子は」
「覚えてたらな」
「覚えてろって」

よかった。
啓吾がこういう奴で。
すごく好きかもしんない。
言わないけど。

「マシュマロ、温めると、でらうまいんだって」
そう言いながら、俺が買ったマシュマロを持ってベッドを降りる。
「ホントかよ」
「早く来いって」
俺も、広げた菓子がこぼれたりしないように、振動をあまり立てないようにしてベッドから降りて。
啓吾の真似をして、用意されたハシにマシュマロを刺した。

「竹串とか、ありゃいーんだけどな」
代わりにハシか。
火で炙って、口に入れると、蕩ける感じがとてつもなくおいしくてたまらなかった。

「うまいだろ?」
なぜか得意げに啓吾が言うから、ちょっと気に食わない。
「…うん…」
それでもおいしいから、そう答えると、得意げっつーよりは、安心したような…ほっとした表情を見せた。
俺が、まずいとか言ったら、表情には現さないけど、残念に思ったりすんのかな。
そう俺のこと考えてくれるのが、嬉しくて。
また、マシュマロにハシを刺した。





「高岡深敦―」
次の日、数学前の休み時間に、智巳先生に呼ばれる。
「来るの早いね」
まだ休み時間なのに。
「深敦とトークしに来たから」
ありがたいこった。
まだ、休み時間になったばっかり。
俺が席を立つすきもなかったし、珠葵や晃が俺んとこに遊びにくるすきもなかった。
もっとも、いつも集まるのは、珠葵んとこだけどな。

「で。いくつ貰った?」
さっそくそう聞かれる。
「…8個…」
「俺の勝ちー。34個」
「っだって、先生だもんっ、知り合い多いしずりーよっ」
先生って立場はもらい易いんだよ。
もちろんそんなんなかったとしても、この人、ノリいいし、かっこいいし、絶対、モテるんだろうけど。
「で、誰から?」
「智巳先生、今の3年生は、ほとんどみんな知ってる?」
俺らが入学する前、今の3年生の数学を担当してたみたいだから。
「ほとんどっつーか、たぶん、ばっちり」
「そっか。3年生は、一拓耶先輩と、白石凪先輩と、真乃凍也先輩に貰った」
「おー。凪からは、俺も貰った」
「拓耶先輩は? あの人、配りそうなのに」
「…さぁな。あいつの友達が、俺のこと好きみたいでさ。そいつに気ぃ使ってるみたい」
少し、笑いながら、軽いノリでそう言った。
そうだよな。
拓耶先輩って、数学得意だし。
絶対、智巳先生とは、仲良くなってそう。
そんでもって、性格上、チョコ配りそうだし。
あげないのには、それなりの理由があるはずで。
やっぱ、あるんだな…。

というか、拓耶先輩の友達で、智巳先生のこと好きって…。
悠貴先輩だったり…?
悠貴先輩には真綾先輩がいるけど、でも、また違うノリで好きなのかもしれない。
友達みたいなノリだとか、先生として尊敬してるだとか。
拓耶先輩は、そういった些細な好きに対しても、気を使ってくれるとかさ…。


拓耶先輩にだって、悠貴先輩以外にたくさん友達いるだろうし、智巳先生だってたくさん人に好かれてるだろうけど…。

でも…。
悠貴先輩は、智巳先生にチョコをあげるって言っていた。
智巳先生に、彼女がいるって話をしたとき、なんだか、少し、馬鹿にしたような笑いもした。
あの人は、あまり人にチョコを配るタイプとは思えないし…。
「…悠貴先輩…?」
つい、そう言ってしまっていた。
「…知ってるんだ?」
「ルームメイトだから…」
「そう。俺の教え子。でもって、部活も」
弓道部だっけ。
「悠貴先輩からも貰ったんでしょ」
「貰った」
やっぱりな…。
というか、これは知ってたことだけど。
「尋臣先輩からは?」
「………」
一瞬、黙り込んで。
俺は初めて、勝った気になった。
「…悠貴か…」
「智巳先生は、俺のこと、どっから知ったわけ?」
裏情報って。
「桐生だ」
桐生って、4年生の担当の数学教師だろ。
「どうして、桐生先生が知ってんだ…?」
「啓吾と、仲いいみたいだろ。だからじゃないの」
そっか。
啓吾の兄が4年だしな。
「で、深敦は? 俺のこと…」
「うん。悠貴先輩から…」
「そっか…」
初めてだ。
こんな智巳先生。
珍しく、俺にすぐ言い返さないで。
悠貴先輩のこと、どう考えてるんだろう…。

別に、悠貴先輩だって、ただ軽いノリであげたのかもしれないけど。
そんなんじゃないような、もっと深い、なにかがあるように感じさせられた。

「俺の彼女は尋臣で。悠貴の彼女は真綾だよ」
俺の頭を撫でながら。
教え込むようにそう言った。

「うん…」
「深敦は、啓吾にあげたのか?」
からかうでもなく、そう聞いてくる。
俺も、いろいろ聞いた…っつーか、知っちゃったしな…。
「あげてないよ」
素直にそう答えた。
「そっか」
あまり、追求しないのは、俺に気を使ってくれてるんだろう。
俺が、啓吾にチョコをあげれるような性格じゃないって知ってるんだ。
あげれなかったことに関して、深く、聞かないでいてくれる。
人がいいよ、まったく。
「でも…啓吾は、くれた」
妙な心配させたくないから、ホントのことを言う。
「そっか。よかったな」
本当に、よかったみたいに、そう言ってくれて。
俺も、智巳先生がそう言ってくれたのも嬉しいけれど、啓吾がくれたことに関して、今一度、すごく嬉しいことなんだと実感した。
「誰かに言うなよ」
「言わないって。深敦も。あんま俺と尋臣のこと、ベラベラ言うなよ」
「へーい」
「ノートのことは、ちゃんと、詫び、入れたか?」
あぁ、忘れてた。
「まだ…。なんも。あいつ、忘れてんじゃないの?」
「そっか。今日は、お前に、あてるからな」
「は?」
「宿題」
え。またあったっけ。
「やってない、駄目っ」
「…まだ、時間あっから。早く啓吾にでも聞いてこい」
「…うん」
智巳先生って、やっぱ、モテる要素あるなぁって思うよ。うん。

珠葵は、やってあるかな。
聞いてなさそうだよな。
俺も聞いてなかったし。
啓吾の方が、確実か。
聞いてるし、正解率高そうだし。
珠葵と晃には悪いけど、あたってるとなると、やっぱ、正解率の高い奴に聞いちゃうんだよ。

「啓吾。宿題、どこだっけ?」
「あ? 昨日は出てねぇだろ」
え…でも。
俺が智巳先生を見ると、にっこり笑顔で手を振る。
…ハメられた…?
「宿題、出てねぇの?」
「出てねぇって。それより、深敦さー、昨日、俺が『どうも』とかお礼言うハメになったんだけど?」
「あ…う…ん…」
思い出させちまったじゃんかっ。
絶対、ハメたな。
「あーもう、菓子やったろっ。あれ、詫びっ」
「あれが、詫びかよ。まぁいいけど…。お前は、食ったんかよ」
なに…?
あ、チョコ?
気になるんかな。
「…食ったよ」
「あっそ」
そっけねぇやつ。
俺もそっけなく答えたけど。
俺が照れ隠しみたいにそうなっちゃうのと同じで。
啓吾も、照れ隠しなのかもしれない。
ちょっとかわいく思えるかも。

俺はまた、一番前の自分の席に戻って。
にっこり笑う智巳先生をノートで叩いた。
「っもーっ」
「なぁんか、いい雰囲気に見えたけど?」
楽しそうにそう言った。
「…嘘だ」
「ホント」
…そんな風に見えたのかな。

周りから、いかにも付き合ってるーとか見られるのは嫌だけど。
いい雰囲気ってな風に見られるのは、うれしいかもしんない。
微妙な違いだけど。

俺と、啓吾って、そんな風に見えるのかな。
「ホントにホント?」
「こんな嘘ついても意味ないし? 深敦がもし『いい雰囲気だった?』とか聞くんなら、気ぃ使って『うん』とか言うかもしれないけど? 自発的には、嘘ついてまで言わないっての」
ホント…。

「ありがと…」
そんな風に言われたことなんてないような気がするし。
「どういたしまして」

あんなに啓吾にチョコあげる奴がたくさんいて。
俺が、啓吾に似合ってないから、みんな余裕であげるのかなぁとか、少し考えてた。
俺の存在知らないからかもだし、ただ、付き合うとか関係なくかもしんないけど。


だけど、周りからも、いい雰囲気に見られるようになったんかなって。
そう思うと、なんか嬉しい。
俺と啓吾自身、昨日で、少しまた、なんか変わった気がするし。

もっともっと。
似合うだとか、そんなん関係なく。
もちろん、似合った方がいいなーとは思うけど。
いい雰囲気だって言われて、こんなに嬉しくて。
俺って、啓吾のこと、やっぱりどんどん、もっと好きになってってるなって、実感した。