「優斗…」
 榛の声。
 珍しいな。
 榛の方から呼んでもいないのに美術室に来るなんて…。
「やー、うれしいなぁ、榛。なになに? 俺に会いに…?」
 思いっきり抱きついても、嫌がる様子はない。
 少しおかしいな、と思いつつも、そのまま、俺は榛の口に自分の口を重ねた。
「ん…」
 かわいいなぁ…なあんて、思ってる場合じゃなくって…。
 榛の様子が少しおかしい。
 少しだけ、嫌がるように俺の服に手を添えるけど、いつもみたいに思いっきり嫌がってはくれなくて。
 そりゃ、俺って別にサドじゃないし?
 榛のこと好きだし、嫌がって欲しいわけじゃないんだけど…。
「入り口で、なーにやってんすか?? あいかわらずっすねぇ♪」
 部員の拓耶の声に、俺も…たぶん榛もだろうけど、ハッとしたように、口を離した。
「やぁ、今日はねぇ、めずらしく榛が来てくれたから、愛情表現」
「え、しょっちゅう来るじゃん」
「あれは、俺が呼んでんのよ。今日は、榛から来てくれたわけ」
 なるほどって顔をして、拓耶は、榛の顔を覗き見てから、俺の方をジッと見た。
「…部活…俺が、進めときましょうかね?」
「やーん、いい子やなぁ、拓耶は。ありがと」

 榛の様子が普通じゃないからだ。
 それは、拓耶でもわかるくらい。
表情が曇りきっていた。
 拓耶が心配してくれているのが、伝わる。

「ごめんな…頼むで…」
 榛には聞こえないように、拓耶の耳元でそう言って、俺は榛と一緒に美術室を出た。



「…部活…休んでも平気なのかよ…」
 いまさら。
 先生も来ないし。
 榛だって、大丈夫だってわかっていたから来たんだろうに。
 それでも、一応、そう聞いてくれていた。
「平気平気〜。どこ行く? あ、他の部行ってみるとか」
 なんつーか、なにかで、榛が悩んでいるのはわかりきっていた。
 けれど、そんなのあえて俺から聞き出せないし、だからといって、どうすればいいかわかんなくって…。
 もし、それが忘れられることならば、忘れた方がいいんだろうし。
変に、テンション高くしている自分がいた。
 でも、榛は、俺の言葉なんてまるで耳に入っていないというか…。
 目線も俺と逆の方を遠く見ているようで、少し難しい顔をしていた。

 しょうがないなぁ……なぁんて、思ってられる俺じゃなくって。
 無理にでも、俺の方を見てほしいなぁなんて思っちゃう。
 榛の腕を取り、無理やり自分の方へ向けると、もう一度、俺は榛の口に深く自分の口を重ねた。
「ンっ…んぅっ…」
 なーんか、いつもよりガードが甘い感じ。
 こんなんで歩いてたら、ほかの誰かに襲われてもおかしくないって。
 まぁ、俺がいる限り、そんなんさせんけど。
 舌だって、すぐにもぐりこませてくれるし。
 どうしたんだか。
「…榛…? 今日はどうしたん…? 用事で来たんやんね…」
 やっぱり、しょうがなくそう聞くと、榛は俺の顔を見てから、ため息をついた。
「…別に…」
 いまさら、別にってこともないだろうけど、榛はよく『別に』って言う。
 人に気を使わせないためか、先に『なんでもないこと』だと、断っているみたいだった。
「今日の昼、学食で会っただろ…? 啓吾たちと…」
 そう。
 今日は、弟の啓と啓の友達数名と、榛と和奏と居合わせた。
 なにも…不自然なこととかなかったと思うんだけど…。
 わからない…と、きょとんとしちゃってる俺を見てか、榛は、苦笑いする。
「優斗はもう、何度も会ってるのかもしれないけど、俺は初めてなんだよ」
 誰のこと…?
 啓なわけないし。
 春耶くんは、たしかこの間、榛が写真を撮っていた。
 深敦くんか珠葵ちゃんかアキ…?
「…ごめん、ホント、なんでもないんだ。俺がいまさら気にすることじゃないかもだし。やっぱいい。ごめん…。部活、戻りなよ」
 榛って、よく一人で抱え込むタイプで、そんな榛が俺のところに来てくれたのはやっぱ珍しくて。  
だからこそ、『やっぱいい』とは言いつつも、ものすごく考え込んでるんだと思う。
 
 さっき、榛が苦笑いしたとき。
 あの時点で、榛は俺に同意して欲しかったんだろうか。
 わかってやれない自分に落ち度を感じた。
 だからこそ、榛にこれ以上は聞けず、自分でわかりたかった。 

昼、啓たちと会って。
 深敦くんか珠葵ちゃんかアキ…。
 『優斗はもう、何度も会ってるのかもしれないけど、俺は初めてなんだよ』
 榛の言い方からすると、『話に聞いてはいたが、会ったことがない』と言った感じだ。
 となると、啓の彼女である深敦くん…?
 …まだ正式には付き合ってないみたいだけど。

 どっちにしろ、深敦くんで、榛が悩む理由はわからない。
 深敦くんが啓の彼女であったとしても、なにも不自然な箇所はないはずで…。

 珠葵ちゃんは、俺が知る限りでは話題になったことがない。
 となると、アキは…。
 話題になっただろうか。
 確かに俺はアキに何度か会っている。
 榛は会ってなくって…。

 そうだ。
アキだ。
 …アキのことだったら、榛が啓を思って暗くなるのも考えられる。 

 榛はすでに、ボーっとしたまま俺から少し離れ、写真部の部室の方へと向かっていた。
「…アキ…だろ…?」
 榛に向かってそう言うと、振り返りはしなかったが、足を止めた。
 俺は、少し走って榛の隣にまた並んだ。
「…うん…」
「啓も忘れようとしてるし、榛も気にしんといて…?」
 なんて言っても、無理…だから、俺んとこ来たんだよな…。
「…ありえねぇよ。なんで、啓吾は、ああやって、一緒にいられるわけ?」

アキと啓が中学生の頃のことだ。
クラスの男に目をつけられていたアキを庇うようにして、啓は、その男を中心に体の相手をしていた。
決して、いい思い出ではないだろう。

「啓も忘れようとしてるし。避けるのも、意識してるみたいで嫌なんだろ…。アキ自身も罪悪感にかられてるだろうし、元は友達なんだし。
仲良くしてあげないとかわいそうやん…」
 そう言った俺を、榛は少しにらみ付けた。
「…なんで、そこまで啓吾が、気ぃ使わなかんの? あんときどれだけ啓吾が苦労したか知ってんだろ…?」
「だから…アキだって、それなりにいろいろ考えて悩んで…」
「それなりに…だろ? だいたい、本当に啓吾が心配なら、アキこそ代わりになればよかったんだよ。元々は、アキがターゲットだったんだし? あのころの啓吾と…お前も、やったんだろ…」
 最後の方は、顔をそらして、消え入りそうな声で言った。
「お前もって…?」
 も…?
「も…ってなんやん。榛、啓とやったん?」
 榛の前に回りこんで肩を掴みこっちを向かせると、少し顔をしかめながら目線をそらした。
「榛…。俺…榛ほど啓のこと、知らないんよ…」
「…なに言ってんの…お前。相手にしたんだろ?」
「…でも…啓がもう卒業した春休みにだで…。当時ってわけでもないのかもしれんわ…」
なんだか少しだけ榛ががっかりしているように見えた。
「榛…っ」
「……異常だよ…。啓吾に、言うなって言われてたから言わなかったし…やっぱり今でも、詳しくは言えないけど。あんなの啓吾じゃなかった」
 珍しく榛の感情が昂ぶっているようだった。
「…元凶は、アキだろ…? いくらいい方向に考えたとしても、どうして一緒に行動できるんだよ。啓吾はともかく。アキは? よく一緒にいられるよなぁ」
 榛の言いたいことはものすごくわかる。
 俺だって、啓が心配だから。
 実際、当時、啓吾と俺よりも近くにいた榛の方が、ショックが大きいのもしょうがないことだった。

「そうとも考えられないんよ…」
「どういう意味だよ」
「……元々ね…。ターゲットは啓だったかもしれんってこと」

榛はまた俺を睨みつけて。
俺はそれを無視するように話を続けた。

「ほら、啓って結構、サバサバしてっから。告られても、言い寄られてもまともに相手しないだろうし。喧嘩も強いからね。一筋縄じゃいかんでしょ」
「なにが言いたいんだよ」
「だから。直接、啓吾にアタックするより、啓吾がアキを庇うだろうってのを予測して、アキにアタックした方が関係を持てるだろうって、考え方、してたかもしれない」

そう言う俺から、榛は顔を逸らす。
「サイテーだ」
背を向けて、歩き出す榛に遅れないよう俺も足を進めた。
「最低…?」
「あぁ。そういう考え方、よく出来るな」
「俺がサイテーなの?」
「啓吾がかわいそうじゃないのかよ。なんで、アキばっか庇うわけ? それじゃまるで、啓吾のせいで、アキが巻き添えになって、無駄な罪悪感、感じてるみたいやん?」

事実、そうかもしれないと思ったから。
いや…そうなんだよ。
本当は知っていた。
けど、黙っていた。

もちろん、すべての人がそうではないけれど、中にはそういうやつらも混じっていた。

とりあえず、榛には差しさわりないように、俺一人の考えとして伝えてみるが。
やっぱ、怒りますよねぇ。

「啓だって薄々、感じてると思う」
「馬鹿なこと言うなよ」
「事実だから」
そう言うと、悔しそうに泣きそうな目を俺に向けるもんだから、衝動的に榛の体を抱きしめた。
「っ…」
「榛…。榛までそんな苦しまんといて?」
「っ誰のせいだと…っ」
「俺? 榛のこと、また怒らせた?」
「…わかってんなら、怒らせないような言葉選べよ」
「ごめん」
それでも、苦しそうな榛を手放せなくて、抱きしめたまま。
愛おしくて腰に手を回し、首筋へと口付ける。
「っ…! なに…っ」
舌を這わして、ズボンの上から尻を撫でると、榛は思い切り俺の体を押し退けようとする。
それを上手く流す形で、背後から抱きなおし、ズボンの上から股間のモノを擦ってやると、榛は体をびくつかせ、逃げるよりも、耐えている感じだった。
「ばっか…っなにする…っ」
「したい」
「今、そんな気分じゃない」
「じゃあ、そんな気分にさせるから」
「馬鹿か、お前は。啓吾のこと話しに来たんだよ。わかってんだろ。なに考えて…っ」
「そりゃ、啓も心配だけど。啓のこと心配しすぎる榛とか見てると嫉妬するし、なんか苦しんでる榛見てたら、抱きしめたくなった」

榛の股間のモノを取り出して、何度も擦りあげていくと、そりゃ感じるわけで、榛のモノが硬く大きくなっていく。
「あっ…ばっか…っんっ…くっ…」
結局、榛は受け入れてくれるよねって甘さも俺の中にあるのかもしれない。
嫌だっつっても、なんだかんだで、やらせてくれる。
そう思ったんだけど。
「やめろって…っ」
いつもと違う強い口調。
俺の方も手が止まる。
「榛…?」
「やめろってば…」
もう一度、強く言われて、俺はそれに従い榛から体を離した。

「啓吾の相談しに来てんだよ…。なんでそれ無視してヤれんだよ」
「無視してるわけじゃないって。ただ、心配するようなことはないって」
「…もういい。お前に聞いたのが間違いだった」

啓吾のことは大丈夫だから。

だんだんと、啓吾に対して優しすぎる榛に、少しイラだってきていた。

嫉妬?

啓ばかり心配するのが悔しくて。

俺もやっぱりブラコンで、啓のことも大好きだから、榛が親身に啓のことを考えてくれるのも嬉しいんだけど。

「榛はいっつも啓のことばっかやん…」
「…啓吾が心配だから、しょうがねぇだろ」
「啓吾啓吾って。…俺のことはどうでもいいの?」
榛はため息をついて、俺へといやそうな目を向ける。
「…そういう問題じゃないだろ」
「啓は大丈夫だっつってんやんか」
「お前、適当な事言うなよ」
「本人が大丈夫そうなんだから、もういいやん? それより俺は大丈夫じゃないし」
「啓吾に張り合ってんじゃねぇよ。なにが大丈夫じゃないんだよ、お前」
啓のことは俺も好きだけれど。
でも、大好きな弟だからって、榛がこんなにも心配して親身になって。
俺のことほったらかしにして。
悔しいし寂しいし、苦しいに決まってる。

それに、本当に、啓吾は大丈夫だって思ってる。
そりゃ、俺には言えないこととかあるかもしれないけれど、今、あんなにも楽しそうで、彼女みたいな子もいて。
もう過去のことだって割り切ってるだろうから。
本当に、大丈夫だと思ってる。
榛に構って欲しくて、大丈夫だからって、口先だけで言ってるつもりはない。
…たとえ、そうでなくても。
俺らが口を出すことではないと思った。

「…榛が…。俺といるのに、俺じゃない男のこと考えてるなんて、大丈夫じゃない」
いや、違う。
確かにそれもあるが。

啓のこと。
ほっといて欲しい。
榛が心配しすぎて苦しんでる様子を見たくない。
啓自身で解決してく問題だろう?


「啓吾は仲のいい友達だよ。考えててもいいだろ。…それに、お前だって俺だって、彼女がいるんだよ。わけわかんねぇ嫉妬すんなよ」
そりゃ、俺には凪ってかわいい彼女がいて。
榛にもいて。
だけれど、違うだろ?
彼女は彼女で。
榛はまた特別な存在で。

「寂しいんだよ」
「…わかった。とりあえず、お前、部活戻りな。俺はもういいから」
そうまた背を向けられて。
ものすごく寂しくなった。
あんなにも、ボーっとしてて。
俺を頼ってくれて。
でも、その相談理由は他の男のことで。

嬉しくて苦しくて。
わけがわからなかったんだよ。

結局、悩む榛のこと、なにも出来ないでいる自分がここにはいて。
どうすればいいんだろう。
「榛…。ごめん。俺、どうすればいいのかわかんなくて」
「別にいいよ。お前の考え方、聞けたから」
「怒ってる?」
「怒ってねぇ。お前の意見も一理あると思うし。ただ、受け入れがたいから、少し考えたいと思った。今日はもう帰る」
「待って」

この状態で、榛を帰すのは心苦しかった。

本当は、さっき無理にでもやってしまって、話を流してしまえばよかったとも思った。

俺はまた、榛の体を後ろから抱きしめる。
「したい…」
「だから、そういう気分じゃねぇって…っ」
「俺はそういう気分だから。榛…酷いよね。榛から俺のとこ訪ねるなんてホント、珍しくて、すっごい嬉しかったのに。
俺の期待を裏切ってさ。
男の相談なんてしんといてよ」
「……お前、俺のこと縛りすぎだよ」
後ろから榛の股間に手を触れて、ズボンの上から何度も擦ってやると、体を少し震わせて。
抵抗できないのかする気が無いのかわからなかったが、大丈夫そうだったから、俺は榛の手を引き、屋上へと続く階段を登った。

屋上。
見た感じ誰もいない。
ドアに背を預ける榛へと口を重ねて。
榛はたぶん、しょうがなく俺を受け入れてくれて。

口を離すと目の前の榛は、ため息混じりに俺を見て。
「…相談しに行かなきゃよかった」
そう告げる。

あぁ。
本当にイヤそうだ。

しょうがない。
「榛は本当に、啓が好きだね…」
「だからそれは…っ」
「…わかってる」
別に恋愛感情じゃないって。
友達として。

でも、榛は啓が大好きだ。
それがわかってるからこそ。
あまり啓のことで心配かけさせたくなかった。

今だって。
ぶっちゃけた話、関係ないだろう?
第三者の俺らが。
啓がアキと仲良くしてようが、問題ない。

だから、言いたくないけど、隠してんのも辛いかな。
言っていいかわからなかった。
たぶん、榛をまた苦しめる。

でもね。
言わないと、いくら温厚そうな榛でも、啓のことになると変になっちゃうから。
アキになにかしそうで。
アキに直接、話しに行ったりしたら、啓が困るんだよ。
そしたら、榛も困るんだ。

「…榛…。啓は…たぶん、気付いてる」
「なに…」
「さっき、俺が言ったこと。元々のターゲットは啓だったって」
「あれは、お前が勝手に考えただけだろっ」
「違うよ」