また数日。
 なんでもない日が続く。
 智巳とはそれ以来、遠すぎず近すぎず。
 そんな関係だ。
 たまにHをしてしまうこともある。
 だけれどそれは、アキラさんと会えなくてさびしいからだ。
 好きだからではない。
 智巳もそう理解している。
 
 欲求を満たすだけ。
 後ろめたさや罪悪感はあった。

 俺を好きだと言ってくれたアキラさんに対して。
 自分が浮気してるみたいで。
 それと。
 智巳が俺を好きだって。
 わかっていて、都合よく使っている。  

 苦しい。
 せめてもの救いは智巳はすべてわかってくれていて。
 俺はだましているわけじゃないんだと、そう思えることだった。





「なぁ。父さん、アキラさんは?」
 極力、父さんには聞かないようにしていた。
 俺らのこと、たぶん反対するからだ。
 というか、実際、アキラさんに『深雪に手を出すな』とかなんとか言ってたらしいし。
 でももう、知ってるかもしれない。
 ただ、言わないだけで。

 だが、アキラさんが家にいなくなって1週間以上たつ。
 そろそろ聞いてもいいだろう。

「んー。それより深雪ちゃん、明日、浩ちゃんがまた泊まりにくるかもよ」
「俺、アキラさんのこと聞いてるんだけど」
「そういえば、浩ちゃんもミートスパゲティ好きだったっけ」

 父さんの態度に少しイラついた。
 もう、勘ぐられようがどうでもよくなってしまう。
「なんで、はぐらかすんだよ」
 父さんはため息をついて、俺の頭に手を置いた。
「…もう、たぶん来ない」
 そう告げられ、体が固まった。

「…え……?」
「じゃあ、俺は仕事に行くから。ちゃぁんといい子でお留守番、してるんだよ」
 あいかわらずのテンションに戻って、俺の横を通り過ぎる。
「…なんで? なんで来ないの?」
 俺は父さんの背中に呼びかけた。
「自分で一人暮らしはじめたんだろ」
 父さんは、振り返らずに足を止め答えた。
「だって、ここから職場近いし、俺も父さんも反対してたわけじゃないし。出てく必要なんてないじゃんかよ。……父さんが、反対したの…?」
 俺に手を出すから?
 それがわかって…?
「…ずっと、あいつ住まわすわけにもいかんだろ。社会人で居候ってのもなぁ?」
「追い出したの? なんで勝手にそんなことすんだよ」
「お前の許可がいるの…?」
 父さんの口調が久しぶりに真面目で、背中しか見れないけれど恐く感じられた。
 けれど、俺だって、引こうとは思わない。
「……だって…別に、そんないきなり…」
「あいつ自身が、自分で出てった方がいいって考えたんだろ」
 もしかしたら、それはありうることかもしれなかった。
 だけれど、それならそうで、いきなりすぎる。
「父さんが…っ…なにか言ったんだろ? アキラさんと、俺が仲いいから?」
 父さんが、舌打ちするのが聞こえた。
「……知らないよ」
 振り返った父さんは、俺を見据えてそう言った。
「…なに…それ…」
「お前らが仲いいのは知ってるけど、別に構わないよ。あいつには深雪に手を出すなってそう言ったこともあるけど。それは関係ない。あいつのことは、もう知らないから」
 そう冷たく言い放す。

「なんで、そんなに冷たいんだよ。…っアキラさんに聞いてよ。今日、会うだろ?」
「会わないよ」
 そう言って、父さんは玄関へと向かってしまう。

「待てよ、ちゃんと話せよ。なんで…父さんはアキラさんにそんなに冷たくなったんだよ」
 泣きそうな声が出た。
 知らないなんて言われたアキラさんにも、そう言ってしまう父さんにも。
 どっちに対する涙かわかんないけれど、きっとどっちもなんだ。

 しょうがなくなのか、はきかけた靴をまた脱いで、父さんは俺のそばに戻ってくる。
「…泣くなよ…。ただ、仲がよかった居候が、家を出て、一人暮らしはじめて。職場も代わったみたいだって。それだけの話だろ」
 優しい口調でそう言った。
「だったら、なんであんな冷たく言ったんだよ。なんでいきなりアキラさんは出てくんだよ。お世話になりましたの一言もなく? …ホントは知ってんだろ? 全部、知ってるくせに。俺らが…どんな関係だったかも知ってるんだろ? 俺のことも考えてよ。知りたい…っ」
「お前のこと、考えてるから。だから言わないんだよ」
 俺を抱きしめて、父さんはそう言った。
 知らない方がいいこともあるって?
 そういうのわかるけど。
「知りたいんだよ…」
 父さんは、俺の頭を優しく撫でてくれた。
「…ホントに。全部は知らない。俺が知ってるのは一部だけだよ。聞く…?」
 俺は、父さんの腕の中で頷いた。

 少し距離をとって、俺らは向き合う。
 俺の目を見て、少し言いとどまってから、父さんは告げた。
「アキラな…。飛んだよ」
 一瞬、意味がわからなかった。
「…飛んだって…?」
「いなくなった。4日くらい前だったかな。職場に来なくなって。もちろん俺の家にもいないし。音信不通。携帯は出ないし、メールは一方通行。どこ探してもいないよ」
「…捜索願いとか…」
「警察に? 行方不明ってわけじゃないよ。…よくあんだよ。店へのツケが払えなくなって飛ぶって奴。前にも言ったろ? あいつは頼まれると断れないって。ホストに向いてないんだろうな。人気はあったけど。よく女にツケにされてて。たぶん莫大な金額になってたんだよ」
 つまり、借金があって。
 それから逃げて…ってこと…?
「…父さんが、お金貸してあげれば…」
「返ってくる見込みのない奴には貸せないよ。まぁ、少額ならともかく。そうそう俺だって出せねぇよ」
「でも…っ」
「甘いよ、深雪…。こっちは生活かかってんだよ。遊びで仕事してんじゃないし。俺だって一人身じゃない。お前を養っていく義務もある。いつ、堕ちるかわかんない業界で、稼げるときに稼いで貯金して。お前のこと、大学まで行かせたいって思ってるし」
「じゃあ、俺、もう高校やめて働いて一人で生活するよっ」
「……お前がそれだけ言うほどに、あいつのこと好きなのもわかるけど。だからって、余った金をあいつにやるつもりはないよ。 そんな世の中甘くねぇよ。いくら深雪が好きな相手でもな。俺としては、せっかく入った高校、中退してほしくないし。 俺は…こんなとこで、お前の人生狂って欲しくない。…お前、先生になりたいっつってただろ。あれはもういいのかよ」
 昔、そんな話をした。
 小学生のころだろう。
 そんなん、覚えてたのか。
 父さんは、働いて、家事もしてくれて。
 俺を何不自由なく高校まで行かせてくれて。
 軽い気持ちで中退を口にしたことを悔いた。

「…でも…っ」
「お前の人生だから。後悔のないように生きて欲しいとは思うよ。だからこそ、中退して欲しくないと、俺は思う。どうしてもしたいなら止めはしないけど」

 なんだか、涙が溢れてとまらなかった。
「…会いたいよ…」
「会ったら辛いだろ。忘れなよ」
「別れも言えずに、急に忘れるなんて無理だよ」
「……付き合ってたわけじゃないんだろ」
 そう言われ、一瞬、言葉を失った。

「違う…けど…。だってっ…付き合ってくれなくて…っ」
「もしかしたら、深雪は勘違いしてるかもしれないから、教えとくよ。 ……あいつはホントにお前が好きでさ。よく悩んでたよ。 お前を傷つけないように、好きだって気持ちも押し殺して。 でも、お前が他の奴とやって帰ってきたときあたりから、我慢できなかったんだろうな。…付き合わなかったのは、最後の優しさだろ…。 お前がアキラに本気にならないように。あいつはそこまで考えるやつだよ…」
「なんで……本気になっちゃいけないんだよ」
「別れが辛くなるから」
 付き合えない理由。
 聞いてもいまいち理解できなかった。
 本当は、そんな風に考えてたわけ?

「………もう行くから。ちゃんと留守番してろよ」
 強くそう言われ、出て行く父さんを止めることは出来なかった。


 腑抜け状態だった。
 そのまま、玄関の近くで座り込む。
 思ってもいない事実を突きつけられて、力が出ない。
 
 どれくらいの時間がたったかわからないが、ドアが開く音に、顔を上げる。
 父さんが忘れ物でもしたのだろうか。
 だが、ドアを開けて入ってきたのはアキラさんだった。
「…アキラさ…?」
 ものすごく申し訳なさそうな顔をして俺を見る。
「深雪…ごめんな。光流さんから聞いたんだろ…。ホントはもう戻らないつもりだったんだよ。だけど、光流さんがメールをくれて…」
 父さんが?
 メールしてくれたんだ?
 だから、やたら留守番、強調してた…?
 俺は立ち上がって、アキラさんに抱きついた。
「…行かないでよ」
「そう言われると思ったから、もう戻りたくなかったんだよ。別れが辛くなる」
「別れたくない」
「ごめんな…。俺は隠れて生活する身になるから。それに深雪はつき合わせられないよ。お前はまだ、高校生だし、こんなとこで止まってちゃ駄目だから」
「一緒にいたいよ」

「深雪…。俺はね、深雪が好きなんだよ。ずっと一緒にいたいって思うけど、そのせいでお前が夢諦めたり苦しんだりするのは嫌なんだ。 俺だっていろいろと考えた。奪い去ってしまいたいって思ったときもあるよ。でも駄目なんだよ。光流さんを悲しませるし、お前だって苦しめる」

 しばらく沈黙が続いた。
 泣いて震える体をアキラさんは強く抱いてくれていた。

「…して…。最後で、いいから…」
 別れを決心して、そう言う俺にアキラさんは黙ってキスをした。

 ベッドの上で、丸裸にされて。
 恥ずかしいくらいに、アキラさんの視線が体に突き刺さる。
 上から、アキラさんに見下ろされて。
 アキラさんの指が、俺の胸を這う。
「ん…っ」
 久しぶりの感覚だった。
 これで最後。
 涙が溢れた。

 泣いてばっかで、うまく頭が働かなかった。


「深雪…。俺の、入れていい?」
 そう聞くアキラさんに力なく頷く。

 大きく足を折りたたまれて、恥ずかしいのに。
 ものすごくどきどきする。
 アキラさんのが、押し当てられて、ゆっくりとした速度で、俺の中へと入り込んできていた。

「はぁっあっ…アキラさ…っ」
「…キツいな…。力抜けよ…?」
 俺は頷くものの、体がついていかず、アキラさんのをキツく締め付けたままだった。
 それでもアキラさんはなにも言わずに、俺の頭を優しく撫でてくれて。
 ゆっくりと入り込んだソレで中を掻き回した。
「ぁあっ…んぅっ…アキラさっ…アキラさぁあっ」
「んー…? どぉした、深雪…。気持ちいい?」
「はぁっぁんっ…あっおかしぃっ…やぁっやぁあっ」
「ホント、かわいいな、おまえ」
 体がゾクゾクして、どうにかなってしまいそうで。
 俺はアキラさんにしがみつくように抱きついていた。
「ん…どうした…? 深雪…どうして泣くんだよ…」
 俺の頭を撫でて、目元を指先でぬぐってくれる。
 あぁ。俺、泣いてんの…?
 生理的に溢れた涙と。
 崩壊しかけてる精神のせいだ。
 指摘されて、余計に涙が溢れていた。
 なんでかって聞かれたらよくわかんねぇけど。
 アキラさんとのHはものっすごくあったかくて気持ちくて。

 好き。
 離れたくない。

「あんっぁあっ…ぃくっあっ…やぁっ」
「ん…俺も、イっていい…?」
 俺は、何度も頷いて。
 アキラさんの背中に爪を立てていた。

「はぁっんっ…アキラさっあっ…ぁああああっっ」


 お互いに絶頂を向かえ、ぐったりとベッドに倒れこむ。

「…じゃあ…もう行かないと…」
「行かないでよ…っ」
 あれほど説明されたのに。
 理解できない。  

 父さんの言い分も、アキラさんの言うこともわかる。
 わかるんだけれど、気持ちが整理できないでいる。

「深雪。がんばって大学行って。先生になれるといいな」
 俺の頭を撫でてそう言ってくれる。
「なんで…知ってんの…?」
「好きだから。深雪のことなんでも知ってるよ。水泳が好きで、スパゲティが好きで。 お人よしだから、罪悪感とかすぐ感じて。名前に対してコンプレックス持ってて。 それでも光流さんに文句つけたことはなくてさ。お酒、好きなくせに弱くって。好き嫌い激しくって。 ……俺のことでたくさん悩んでくれて。それでもなんでもないフリしてくれてた」
「アキラさんっ…俺…」
 俺は、アキラさんのこと、全然知らないんだよ。
 歳も、本名も。
 出身地だってよくわかんないし、どういった人なのかもいまいちわからない。

「もっと、アキラさんのこと知りたいよ」
「もう、知る必要はないよ…。じゃあな」
「待ってっ…」
 玄関へと向かうアキラさんを必死でおいかける。
「深雪…。ついてきちゃ駄目だよ。いい子だから。そこからこっちに来ちゃ駄目だ」
 俺はいまいる場所からなんとなく一歩も動けなくって。
 ただ、涙が溢れた。
「…そう。いい子だね、深雪は。大好きだよ…。じゃあね…。バイバイ」
 そう言って、アキラさんはドアを開け、外へと出て行く。
 俺は、別れの言葉ととうとう最後まで言うことが出来なかった。