「深雪先輩―」
「おい、馬鹿っ!」

 確かに聞こえた。
 誰だよ、俺の名前、呼んだやつ。
 新しい1年か?
 
 それを馬鹿と制したやつの声は聞き覚えがある。
 同級生で同じ部活の友達だ。

 振り返って、少し離れた位置からその様子を見ると、俺には聞こえないように、今回、入部してきた1年たちに、なにか言っているのがわかった。

 まぁ、予想はつくがな。
 俺を名前で呼ぶなって、教えてるんだろう。
 ありがたいことで。
 
 同級生のやつで、俺のことを名前で呼ぶやつはまずいない。
 先輩も。先生ですら。
 俺がこの名前を嫌っているのを知っているし、呼ばれると機嫌悪くて、なにをするかわからないとか、思ってんだろ。
 実際、それで何人も殴ったりしたことはあるし。
 この学校で、いわゆる不良グループっつーか。
 その一員ってわけじゃないけれど、わりと仲がいい俺を怒らすと、後が怖いとか思ってるやつも多いんだろう。

 
「じゃ、はじめるか」
 少し、時間をおいて。
 部での仕切り役をまかされている俺が、プールサイドに座り込んでる1年集団相手にそう言うと。
「深雪先輩って、名前、かわいーですね」
 一人の奴が、そう俺を見上げて言う。
 さっき、俺を、呼んで、馬鹿と制されたやつか?

 俺は一瞬、言葉を失って。
 周りの同級生も、固まるのがわかる。
 他の1年も、俺の友達にどう説明をうけたかはわからんが、ある程度の脅しはかけられてるんだろう。
 俺を呼んだ奴を、退いた目で見たり、やばいって表情。
 我関せずといわんばかりに視線をそらす奴もいた。

 あまりにも、ありえなくて、あっけに取られる。
 つい、友達の方に目を向けてしまう。
 お前はちゃんと、脅したのかと。
 だが、他の1年の様子からして、友達の説明は大丈夫そうだし?

 ちょっとした好奇心で、俺を煽ってんのかよ?
 
 馬鹿に腹を立てるのも馬鹿馬鹿しい。
 俺はあえて無視して、今日のメニューノートに目を通した。
「まずは、どれくらい泳げるか、見るから。まったく泳げないってやついる? あと、50Mはちょっとキツいってやつ」
 1年たちがちょっとほっとした表情で。
 数名が軽く手をあげる。
「じゃあ、とりあえず、君らはちょっと待ってて。他、50Mのタイムとるから。飛び込みでも下からでも好きな方で、どんな泳法でも構わないから」
 笑顔で対応して、一区切り、言い終わる。

 つい。 
 さっき、俺の名を呼んだやつに目を向けてしまっていた。
 目が合うと、そいつはにっこり笑って。
 
 無視されたんじゃなかったんだ?
 とでも言わんばかり。
 
 俺はすぐ、目をそらして、
「4人ずつで並んでくれる?」
 そう言うと、1年は立ち上がって、適当に4列へと分かれてく。
 そのときだった。
 さっきのやつが、俺の隣に来て。
「…女の子みたいですね」
 耳元で、そう言った。
 
 俺だけに聞こえる声ってわけじゃない。
 周りで、それを耳にした数名の凍りつく空気が俺に伝わってくるような感覚。

「……なにが?」
 俺は、向き合って、あえて笑顔でそう言う。
「深雪先輩って、名前が。かわいくて女の子みたいですよね」
 煽ってるのかってくらい。
 はっきりと、全部を告げる。
「……そう?」
 俺は笑顔のまま、勢いよく、そいつの顔面を鷲掴みにし、そのまま、後ろにあったプールへと投げ飛ばす。

 われながら甘いな。
 俺自身、名前のことで、あまりにもがむしゃらに腹を立てるような態度を取るのは、逆に気に食わなかった。
 気にしすぎてるってのがまた、女々しい感じがするから。
 ただ、名前に関してなにか言われたことではなくて。
 言うなと言ったにも関わらず言うという態度に対して腹を立ててるんだと、そう思えるようにしたかった。

「……アフターケア、よろしく」
「…ったくなぁ…」
 俺は友達に、そいつの後始末を頼んで。
 
 少し怖がってしまった1年たちに、しょうがなくもう一度。
「…聞いたとは思うけど。間違って俺を名前で呼ぶのは別に、それはミスだからしょうがない。だけど、あえて呼んだり、からかうような真似はするなよ。……ガキじゃあるまいし、そんなやつ、滅多にいないと思うけど。…普通にしてれば、別になんら問題ないから。そう硬くならんでいいよ」
 そう告げて。
 部活動を再開した。



「お疲れ様でしたー」
 いろんなやつの声が響き渡る。
「お疲れ様―」
 俺は、1年が去っていったのを確認してから、プールサイドに、ジャージズボンだけという格好で寝転がった。

「お疲れ」
 友達が、俺を覗き込みながら、そう声をかける。
「…あぁ…。マジで、疲れたわ。今日。アフターケア、さんきゅー」
「いや、いいけど。すげぇやつがいたもんだな。いきなり先輩煽るかっての」
「…ある意味、すげぇな」
 俺らは少し笑いあって。
 友達は、更衣室へと向かった。
 
 まだ、いま行っても着替えなれてない1年が、のろのろしてるだろうし。
 鍵当番だし、もう少しここでゆっくりしてから、戻ろう。
 
 風が気持ちよかった。
 寝そうなくらいに。
 寝はしないけれど、少し目を瞑った。

「……先輩…」
 その声に目をあけると、忘れもしない顔。
 俺の名前を呼んだやつだった。
「俺のこと、覚えてくれました?」
 もちろん、覚えてる。
 なんだそれは。
 俺に覚えてもらうための、自己表現だったとでも言うつもりか?
「お前も、早く帰りな。鍵閉めるから」
「先輩は?」
「……お前らがみんな帰ったら帰る」
 寝転がったまま、そいつから視線を離してそう言った。


「……先輩のこと、名前で呼んじゃ駄目ですか…?」
 しゃがみこんで、そいつはそう俺に聞く。
「…なんで」
「だって。せっかくかわいい名前なのに。誰も呼んでないって。もったいない」
 かわいい。
 その言葉にまた、少しイラツキが走るが、そのままの体制で、心を落ち着かせた。
「別に、もったいなくないから」
「……誰も呼んでないんでしょ…。俺だけ…。先輩の特別にしてよ…」
 そう言って。
 俺が理解しようとする前に。
 そいつが俺の上に被さるようにして、口を重ねた。
「っ…」
「…駄目…?」
 口を離してそうとだけ言うと、また重ね直して、舌を絡めとられる。
「……っん…」
 なんのつもりなんだか。
 そいつが、今度は首筋を舐めながら、俺の股間をズボン越しに擦り上げる。
「…そのまま、続ける気なら、蹴り飛ばすぞ…」
「…ん…」
「てめぇは…。女みてぇなツラしやがって、やることもガキくせぇし。こんなトコだけ、男みたい盛ってんじゃねぇよ…」
 俺の股間をなでていた手が。
 一瞬、固まるようなのが感じ取れた。
「……先輩が、名前に対して敏感なように…俺も、この顔とかコンプレックスだし…。よく女扱いされるから」
 俺のを擦りながらも、そう言って。
 今度は、俺のジャージのズボンを脱がしてく。
「おい…」
「だから…ちょっと、気持ちわかると思うんですけど…」
 女扱いされるって?
 
 俺だって、名前が女みてぇとか言われるのをものすごく嫌う。
 それと同じように、こいつは容姿にコンプレックスがあって。
 
 俺、自分嫌なこと、こいつに言ったわけか。
 女みてぇとか。
「俺の名前…。智巳って言うんです。顔も名前も、女みたいでしょ…? 名前はまぁ中性的と言えば中性的なんだけど。顔がコレだし、女みたいってよく言われたけど。今はもう、あんまり気にしてない」
 克服しましたってか。
 俺は?
 ずっと。
 いつまで、名前のことで、ぐだぐだしてるんだろう。
 逆にガキくさいのは俺の方か。
 
 かわいい名前って言われても。
 苦笑いでもして『だろ? 親がどうしても女の子が欲しかったっつってさぁ。こんな名前なわけ』とか。
 言えるようになりたい。
 まぁ、この環境ではいまさら無理だろう。
 大学に入ってからか。
 変われるかな。

 そう考えると、こいつに腹を立ててた自分すら、ガキくさくて恥ずかしい。
 まぁ、煽ったこいつもおかしいけど。
 
 それが、ホントに俺に覚えてもらうためならば、かまわない。
 というか。
 なんなんだ、こいつ。
 
 俺のこと、好きくさい態度取りやがって。

 考えがまとまらないでいる隙にも、下に履いていてまだ湿ったままの水着の上からそいつが、舌を這わす。
「っなっ…」
 ねっとりと舐めあげられて、体が思いっきりビクついてしまっていた。
「っんっ…なにしてっ…」
 そいつは、俺を無視して、何度も舌で舐めあげるもんだから、免疫のない俺の体はすぐ熱くなってしまう。
「ぁっ…んぅンっ…」
 なんか、いやらしい声が出てしまって、顔を逸らすと、そいつが水着を脱がしてく。
「っふざけんのもいい加減にっ」
 上半身を起こす俺を、ジっと見て。
「ふざけてませんよ…。先輩も、硬くなってる」
 俺は、いますぐこいつを蹴り飛ばすべきか?
 そう頭が考えるのとは、裏腹に、体が動かない。
 水着から片足抜かれると、俺の足を左右に開いて股間のモノをまたそいつが手でこすり上げる。
「んっ…あっっ」
「感じます?」
「っひぁっ…あっ」
「…もしかして…人にされるの、初めてですか…?」
 別に、恥ずかしがることじゃない。
 だけど、事実。
「あっ…んぅっ…はぁっ」
「とろとろですよ、先輩…」
 示すように、そいつが亀頭に口付けて、溢れてる蜜を軽く吸い上げる。
「んぅンーっ…」
 体がビクンと大きく跳ね上がっていた。
「はぁっあっ…ぁあっ」
 手を止められるもんだから、そっと盗み見ると、そいつは自分の指を舐めあげて。
「な…」
「大丈夫…」
 そう言うと、ゆっくりと、手を奥へと移動させ、指先を差し込んでいった。
「んーっ」
「力、抜いてください」
 入り込んだ指先が、中を探っていくと、ものすごく感じる場所を掠める。
「ぁあっ…」
 体がビクつく俺を見てか
「ここ…?」
 そう聞いて、試すように何度もそこを指の腹でまた擦りあげていく。
「ぁあっ…んっあっ…あっあっ」
「気持ちいい…?」
「ぃいっあっ…ぁあっ」
 足を広げて、腰を寄せてしまう。
 
 不意に、そいつが横に顔を向けるから、俺も目をやると、更衣室のドアが開くのが目に入る。
  距離があるから、わからなかったが、こいつにはドアの開く音が聞こえたんだろう。
「…人…来ちゃいましたね…」
 そいつは、残念そうに、そっと指を抜きかける。
「っやめ…っ」
「…人、気づかれます…」
 まだ、距離があるから、いますぐ、行為を止めれば気づかれずにすむだろうけれど、俺の体の方はもう、そんなことどうでもよくなっていた。
「ぃい…っはやくっ」
 少し命令口調でそう言うと、従って、また指を入れ直すと、さっき見つけた感じるところを撫でられる。
「あんんっ…くンっ…」
 せめて、声くらい殺そうとは思うけれど、無理くさい。
 駄目だもう。
 腰が変に動いてしまう。
「…先輩…見られちゃってますよ」
 少し困ったようにそう言われて、俺はそれを確認も出来ず、ただ更衣室とは逆方向に顔を向けた。
「あっ…あっあっ…やっぁあっ」
「……先輩って…見られた方が感じちゃう人なんですね」
 俺を見て、余った手で股間をなでながら、そう聞いてくる。
「なっ…」
「すごい、さっきよりも感じてるみたい」
 そう言われ、意識すると余計羞恥心を感じてしまう。
「違っ…ぁあっ…あっ」
「いやらしい…」
 つぶやくようにそう言われ、恥ずかしいのに、めちゃくちゃ体が熱くなる。
「気持ちよさそうですね」
「っあっぁあっんっ…ぃいっ…あっやぁっ…あぁあああっっ」
 体が震えて。
 俺は、初めて、他人の手で、イかされた。



 脱力する俺が、ボーっとしたまま、更衣室を確認すると、もうドアはしまっていた。
 だけれど、さっきは確かに開いていて。
 気づかれたのは確実だろう。

「……よかったですか…?」
 そう聞かれて。
 ボーっとしたまま、そっと頷いた。
「…また、しましょう…? だから、いい? 名前で呼んでも」
 俺は、考えがまとまらなくて。
 よくわからずに、ただ、頷いていた。