「なぁ。父さん、アキラさんは?」
本当は俺に聞きたくないんだろう。
深雪の声が、緊張しているのが伝わる。

「んー。それより深雪ちゃん、明日、浩ちゃんがまた泊まりにくるかもよ」
「俺、アキラさんのこと聞いてるんだけど」
「そういえば、浩ちゃんもミートスパゲティ好きだったっけ」
「なんで、はぐらかすんだよ」
あからさまにはぐらかす俺に、深雪が力強く言う。


「…もう、たぶん来ない」
しょうがなく、俺はそう伝えた。

「…え……?」
「じゃあ、俺は仕事に行くから。ちゃぁんといい子でお留守番、してるんだよ」
深雪の横を通り過ぎる。
出来れば、追求して欲しくない。
「…なんで? なんで来ないの?」
深雪が、俺の背中に問いかけた。
「自分で一人暮らしはじめたんだろ」

深雪の顔を見て話を出来そうになかった。
俺は、背中を向けたまま、足を止めてそう告げる。
「だって、ここから職場近いし、俺も父さんも反対してたわけじゃないし。出てく必要なんてないじゃんかよ。……父さんが、反対したの…?」
「…ずっと、あいつ住まわすわけにもいかんだろ。社会人で居候ってのもなぁ?」
「追い出したの? なんで勝手にそんなことすんだよ」
「お前の許可がいるの…?」
「……だって…別に、そんないきなり…」
泣きそうな深雪の声が響く。
俺は、心にもない冷たい言葉を投げかけていた。
「あいつ自身が、自分で出てった方がいいって考えたんだろ」
「父さんが…っ…なにか言ったんだろ? アキラさんと、俺が仲いいから?」

深雪の言う通りかもしれない。
どういった形であれ、深雪とアキラを引き裂いてしまっているのは俺なのかもしれなくて。
俺が。
言った。
連れて行かないで欲しいと。

つい舌打ちしてしまう。
「……知らないよ」
心を落ち着かせて。
俺は振り返り深雪を見た。

「…なに…それ…」
「お前らが仲いいのは知ってるけど、別に構わないよ。あいつには深雪に手を出すなってそう言ったこともあるけど。それは関係ない。あいつのことは、もう知らないから」
優しく言ってやることが出来なかった。
自分でもわからない。
冷たい言い回し。

「なんで、そんなに冷たいんだよ。…っアキラさんに聞いてよ。今日、会うだろ?」
「会わないよ」
もう、見てられなくて。
家を出ようと、玄関へと向かう。

「待てよ、ちゃんと話せよ。なんで…父さんはアキラさんにそんなに冷たくなったんだよ」
泣きそうな深雪の声が届く。


泣いている深雪を置いて出かけることなんてもちろん出来ないから。
しょうがなく俺は、深雪の傍へと戻った。

「…泣くなよ…。ただ、仲がよかった居候が、家を出て、一人暮らしはじめて。職場も代わったみたいだって。それだけの話だろ」
「だったら、なんであんな冷たく言ったんだよ。なんでいきなりアキラさんは出てくんだよ。お世話になりましたの一言もなく? …ホントは知ってんだろ? 全部、知ってるくせに。俺らが…どんな関係だったかも知ってるんだろ? 俺のことも考えてよ。知りたい…っ」
「お前のこと、考えてるから。だから言わないんだよ」
弱い深雪を見ていて。
こっちまで辛くなる。
俺は、深雪の体を抱きしめた。
「知りたいんだよ…」
小さくそう答える深雪の頭を優しく撫でた。
「…ホントに。全部は知らない。俺が知ってるのは一部だけだよ。聞く…?」
やっぱり。
言うべきなんだろうか。
このまま、忘れてしまうことだってもちろん出来るだろうけれど。
深雪自身が知りたいのなら。

俺だって、逆の立場だったら知りたいと願うだろう。
なにも知らずに、急にいなくなられたら、それこそ気が気じゃない。

少し距離をとって、俺らは向き合う。
深雪が、俺をジっと見つめて言葉を待っていた。

「アキラな…。飛んだよ」
「…飛んだって…?」
「いなくなった。4日くらい前だったかな。職場に来なくなって。もちろん俺の家にもいないし。音信不通。携帯は出ないし、メールは一方通行。どこ探してもいないよ」
「…捜索願いとか…」
「警察に? 行方不明ってわけじゃないよ。…よくあんだよ。店へのツケが払えなくなって飛ぶって奴。前にも言ったろ? あいつは頼まれると断れないって。ホストに向いてないんだろうな。人気はあったけど。よく女にツケにされてて。たぶん莫大な金額になってたんだよ」
全部。
教えてやる。
後悔のないように。
全部知った上で、乗り越えていくべきことなのかもしれない。

「…父さんが、お金貸してあげれば…」
もちろん、俺だってそれは考えた。
だけれど、アキラも断ってくれたし。
俺が、一部負担できたとしても、今後も続くようでは解決にならない。

「返ってくる見込みのない奴には貸せないよ。まぁ、少額ならともかく。そうそう俺だって出せねぇよ」
「でも…っ」
「甘いよ、深雪…。こっちは生活かかってんだよ。遊びで仕事してんじゃないし。俺だって一人身じゃない。お前を養っていく義務もある。いつ、堕ちるかわかんない業界で、稼げるときに稼いで貯金して。お前のこと、大学まで行かせたいって思ってるし」
これが、現実なんだ。
しょうがないこともあるんだと、深雪に伝えたかった。

「じゃあ、俺、もう高校やめて働いて一人で生活するよっ」
やっぱり。
俺と似ている。
俺も深咲と逃げるときに親にそう告げた。
もちろん、反対されたが、それを押し切った。

「……お前がそれだけ言うほどに、あいつのこと好きなのもわかるけど。だからって、余った金をあいつにやるつもりはないよ。そんな世の中甘くねぇよ。いくら深雪が好きな相手でもな。俺としては、せっかく入った高校、中退してほしくないし。俺は…こんなとこで、お前の人生狂って欲しくない。…お前、先生になりたいっつってただろ。あれはもういいのかよ」

「…でも…っ」
「お前の人生だから。後悔のないように生きて欲しいとは思うよ。だからこそ、中退して欲しくないと、俺は思う。どうしてもしたいなら止めはしないけど」

俺の言い分がわかったのか。
深雪から反論の言葉は出てこなかった。
正直、ここで『中退をしてアキラさんについて行く』と言い出さないか、内心、ハラハラしていたが、俺の思いが通じたようで、ほっとする。


「…会いたいよ…」
ただ、そう言って。
ひたすら泣き続ける。

「会ったら辛いだろ。忘れなよ」
「別れも言えずに、急に忘れるなんて無理だよ」
「……付き合ってたわけじゃないんだろ」
そう言わと、深雪は一瞬、言葉を失ったように立ち尽くす。

「違う…けど…。だってっ…付き合ってくれなくて…っ」
やっぱり。
アキラは一線、引いておいてくれるやつだ。


「もしかしたら、深雪は勘違いしてるかもしれないから、教えとくよ。 ……あいつはホントにお前が好きでさ。よく悩んでたよ。 お前を傷つけないように、好きだって気持ちも押し殺して。でも、お前が他の奴とやって帰ってきたときあたりから、我慢できなかったんだろうな。…付き合わなかったのは、最後の優しさだろ…。 お前がアキラに本気にならないように。あいつはそこまで考えるやつだよ…」
「なんで……本気になっちゃいけないんだよ」
「別れが辛くなるから」
だまって、俯いて。
深雪はポロポロと涙をこぼす。

会わせてやりたい。
ちゃんと、別れの言葉を言って欲しい。
こんな状態じゃ、悔いも残るだろう。

「………もう行くから。ちゃんと留守番してろよ」
深雪には留守番を頼んで。

もう一度だけ、アキラをココに…。

アキラの携帯へと電話をかける。

呼び出し音が響き、通話中の文字になるが、もちろんアキラから話すことはない。
相手が俺かどうか、探っているんだろう。
もしかしたら、俺の携帯から誰か別のやつがかけることも考えられるから。

「……雪寛だけど」
『…どうしたんですか。もうすぐこの携帯、使えなくなりますよ』
「……頼みがあるんだよ…。深雪に話したんだ…。ちゃんと…別れてやってくれないか…」
『…でも、俺…』
「…あいつだって…説明すればちゃんと分かる子だから…。最後に…会ってやって欲しいんだよ…。今、一人で家にいるから…」

少しだけ沈黙が続いて。
『…わかりました…』
そう言ってくれた。

俺は、玄関の前でアキラが来てくれるのを待った。
どこにいるのかもわからないしどれくらいの時間がかかるのかもわからなかったが。

しばらくするとアキラが姿を現す。
「…アキラ…ごめん…」
「大丈夫ですよ」
そう言って、俺とすれ違うようにして、ドアへと手をかける。
「明仁……っ…」
「…そんな顔しないでくださいよ。…連れて行ったりしないですから…。ちゃんと別れますから…」
アキラだって辛いだろうに。
笑顔でそう答えてくれた。

駄目だとわかっているのに。
その場で、口付けた。
「…光流さん……駄目ですよ」
「ん…」
キスくらいどうってことない行為だ。
もちろん、それ以上だって。
好きじゃない相手とも、俺は出来る。
だけれど、アキラとは駄目だと。
そう思うのは、歯止めが利かなくなりそうだからだ。
やったらたぶん、俺はアキラを手放せなくなる。
それくらい好きになる気がして。
これだけ一緒にいたのに、口を重ねることも初めてだった。

「…明仁…」
もう一度。
今度は、深く口を重ねて。
舌を絡めてくれる。
たかがキスで、こんなに体が熱くなるとは思わなかった。
「んっ…」
やばいくらいに、好きになりそうで。
涙が溢れそうだった。

だけれど、深雪と生活していくために、俺は明仁を捨てるしかないと思うわけで。
…しょうがないんだよ…。

俺はずるいから、きっとまた会えるってそう思ってる。

そっと口を離して、長めのキスが終わった。

「雪寛さん…」
「行って…」
目を合わせることができなかった。
体を寄せる明仁を、押し退ける。

それなのに。
明仁は、強引に俺の体を抱きしめた。
「…深雪と…別れてきます」
「……ん…」
もう一度、明仁と口を重ねて。
そっと、腕から、逃れた。

俺の背後で、ドアが開いて閉まる音が響く。
その音を確認してから、振り返ると、我慢していた涙が溢れた。

なぁに泣いてんだろうなんて、少し笑えてしまう。
気を取り直して俺は仕事へと向かった。


「…アキラから、連絡あったか?」
店の支配人に聞かれる。
この人は、以前、俺らが一緒に暮らしていたのを知っているからだ。
「いえ…。音沙汰ないままです」
「そっか」
背を向けてから、支配人が舌打ちするのが耳に入った。
俺は一応、自分の携帯から明仁との通話履歴を削除した。


家に戻ると、もちろん明仁の靴はなく、姿も見当たらなかった。
深雪は…?
いるに決まっている。
それなのに、無駄に緊張する。
深雪の靴は玄関に置かれたままだった。
いるのだろう、部屋に。
だけれど、声を掛けれるような感じではなかった。
いつも、家に帰っても声なんてかけたことないし。
今日だけ声をかけるのはおかしい。
それに、普通だったら眠っている時間だろう。

深雪は、このドアの向こうにいる。
そう信じて。