「…光流さん…。俺……」
突然。
俺の家に居候中のアキラが俺の部屋に来て、申し訳なさそうな表情を見せる。
「…なに」
「今日、深雪に誘われました」
俺の息子だ。
「……へぇ…」
「セックスしてって。はっきり直接言われて…」
「やったんだ?」
「いえ、やってません…」
「……そう」

俺はあえてそっけなく返事をし、読みかけていた本へと視線を戻した。
「深雪、今日、学校で後輩にやられたって…っ。俺、気が気じゃなくて…」
「普通だろ」
「……普通って…」
「もう高2だし。そういう時期だろ」
本の内容が理解出来る状態ではなかったが、アキラと目を合わせないためにも、そのまま、俺は開いた本を眺めていた。

「光流さん、俺には深雪に手、出すなって言ってたじゃないっすか」
そりゃそうだ。深雪が、アキラを好きにならないように。
「…お前は、本気で深雪が好きなの?」
「はい…」
嘘だ。
以前、もう何年も前にだが、こいつには告白されたことがある。
俺には、もう亡くなってしまっているが、妻がいて。
大事な息子もいる。
だから、いくら男とはいえ本気でアキラを好きになるわけにはいかなかった。
アキラもそれがわかっていて、ただ気持ちを伝えたかったのだと言った。
とくに、付き合いたいだとか、そういった先のことは考えていなかったらしい。

なんだかんだ言って、深雪は俺と似ている。
重ね合わせる部分もあったりするのだろうか。

「選べっつったら?」
「え…」
「俺か深雪、選べっつったらお前はどうするわけ?」
「…光流さんは…無理じゃないですか」
「無理だから深雪にするんだ?」
「…そういうわけじゃ…」

まぁ俺みたいな既婚者と。
学生である深雪と。

環境が違いすぎるから、俺ら二人を比べることなんて難しいだろう。
ただ『好き』という感情がどちらに対して大きいか。
それだけの問題ではないと思うから。

「……無理だろ、お前。深雪のこと悲しませるだろ」
男同士の恋愛が不幸だとは思わない。
いずれ結婚できない関係だとしてもだ。
俺がそこまで口出すほどでもないのかもしれないけれど。

「別に、結婚するわけじゃねぇし。お前が深雪とどういう関係になろうが、俺にわざわざ許可得る必要ねぇよ」
「…でもっ」
「確かに、手ぇ、出すなっつったのは俺だよ…? 深雪が好きだっつーんなら、考えろよ」
深雪もアキラになついてる。
それはよくわかっていた。
ただ、今ならまだ間に合う。
アキラは、兄貴みたいな存在。
その程度であって欲しい。
恋人には発展させたくない。
というか、無理だ。
俺が、深雪を大好きだけれど、恋人にはなりえないの同様。
アキラと深雪もありえない。
もし恋人同士になろうものなら、残念だけれど、俺は父親という権限を使って、こいつら二人を引き裂くことになるだろう。
そもそも、こいつが深雪を好きな理由は俺の息子だから……じゃないのだろうか。

アキラもわかっているはずだ。
自分がこれ以上、深雪と仲良くなったら、後が辛いと。
俺を敵に回すって。
わかっているからこそ、今、こうやってココに来た。
何も、答えが出ていない状態のくせに。
それでも、俺に今の状況を伝えたかったのだろう。


「…俺は、賛成出来ない」
アキラの方を見てやることが出来なかった。
泣きそうな顔になってしまってそうで。
それをアキラに見せるわけにはいかなかった。

「……俺…部屋、戻ります…」
そっと盗み見ると、アキラは、俯いて。
軽く俺にお辞儀をするようにして、部屋をあとにした。


朝になって。
いつものように深雪を起す。

「…父さん、あのさあ…」
起きてきた深雪は、少し言いとどまるようにして俺に声をかける。
「なに?」
「……アキラさんて、職場でどんな感じなん?」
そう聞かれ、気が気じゃなかった。
「………あいつは、優しいから。頼まれたら断れないっつーかさ。どんなんかって言われても説明出来ねぇけど…一度、見に来るか?」
なんでもないみたいに。
差し支えがないような適当は返答をしてしまう。
それでも少し、『頼まれたら断れない』と。
誰にでも人当たりが良く、深雪だけが特別なわけではないんだと匂わせるような言い方をしていた。

結構、俺も嫌味な奴だな、なんて自分でも思ってしまう。
だけれど、深雪やアキラのことを考えているつもりだった。

「っつーか、深雪ちゃん、アキラよりも父さんのこと気にしてよ」
すぐさま、話題を切り替えて、これ以上、アキラの事を聞かれないようにした。


深雪が学校へ行って。
俺はアキラの部屋をノックする。
「はい…」
「起きてたか」
中に入り込むと、ベッドに座った状態のアキラが俺を見て立ち上がる。

「……お前、ちゃんと寝たか?」
「はは…あんまり…」

見ているこっちが苦しくなる。
「……お前…。好きになる相手、間違ったんだよ…」
「はい…」
「俺は、アキラが好きだから、敵に回したくない」
「ありがとうございます…。俺も、光流さん好きです…。でも…っ…最近の深雪、すごい悩んでるみたいで…学校で他の奴が深雪とやってると思うと、俺、なんかもう…っ」

「…深雪な…。学校の先生になりたいんだと。俺は、深雪を大学まで行かせたいんだよ…」
本当は深雪自身が決めることなのだろうけれど。
深雪のために。
いまのうちに、手を引いてほしい。
そう訴えてしまう。

「…はい」
「お前、出てこうとしてるだろ」
職場でツケの額がやたら多いのは噂になっていた。
いくらくらいになってるのかはわからないけれど、もしかしたらその借金から逃れるために飛ぶんじゃないかって。
そう感じていた。
「いくら深雪が決めたとしても、アキラについて行くようなことがあったら…たぶん、俺はお前のこと、嫌いになりそうだから…」

深雪の判断で。
最終的にアキラについて行くと。
深雪が考えるのなら反対はしないだろうけれど。

少なからず、アキラのせいで就きたかった職業に就けず、辛い思いをするわけで。
まぁ、ついていかなかったところで就けるかどうかはわからないが、ずっと後悔するだろう。

そんなアキラを嫌いにならない自信はなかった。

アキラは、泣きそうな顔をして。
俺から目をそらした。

どっちにしろ、もう手遅れかもしれないが。
深雪はアキラのことを好きになっているだろう。
アキラもこの調子じゃ、深雪になつかれたら断れないだろうし。

「…ごめん、アキラ…。深雪を、連れて行かないで欲しい」
そう言う俺に、アキラは目を潤ませた。
「…やめてください…。そんな、天下の光流さんが頭下げないでくださいよ」
アキラは無理やり笑顔で対応してみせる。

「…お前のこと…嫌いになりたくねぇんだよ…」
そう言うと、作った笑顔を崩れさせ、涙を浮かべるもんだから。
俺はアキラを引き寄せて、そっと抱いた。


「アキラ…。好きだよ。でも、俺は本気になったりしないし、お前が俺に本気になるようなこともしないできた。……それがお互いのためだと思ってるから」

そう言って体を離す。
「…光流さん…」
駄目だとわかっている。
だけれど、アキラの声があまりにも切なげで。

深雪のことで。
俺のことで。
悩んでいるアキラはやっぱり愛おしい存在のような。
そんな気持ちになってしまう。

「ごめん…アキラ…」

俺はアキラをもう一度、抱き寄せてしまっていた。


「……好きな女がいるんだ…。深咲が…」
俺の妻だ。
アキラももちろん知っている。
アキラの、実の姉だからだ。

「子供ながらに本気で好きだった。まだ16の俺をね…本気で愛してくれて…。まだ結婚も出来ない俺の子を…産みたいって言ってくれたんだよ…」
俺より8つ上の人で…もちろん、両親は反対。
それはアキラも知っていることだった。

「…普通に考えたら降ろすだろ…? 降ろせない時期じゃなかったし、金がなかったわけでもないんだよ…。それなのに産みたいって…そう言ってくれて。
それを聞いたとき、俺も、産んで欲しいと思ったんだよ…。そこら辺、俺も子供だったってのもあるんだけど、生活のことなんて考えてなくって。両親が反対してようが親戚から嫌な目で見られようが、気にしてなくて。ただ、俺と深咲の子が欲しくて。そのせいで、俺だけじゃなく深咲も嫌な目で見られるのに。そんなんも考えれずに、産んで欲しいって言ってさ。
2人で遠くへ引越して。同棲して。名前考えてさ。深咲の『深』と俺の…雪寛の『雪』を取って、深雪にしようって。男だったらどうする? っつったけど…それでも、俺らの名前にしようって。決めたんだ。深雪が生まれて。俺は深咲に守られて。まだ未成年でまともに働けないだろ、俺は。だから俺が家で家事やって。深咲が外で働いて。…20になったら、ガンガン稼いで、深咲を守るって、心に決めたわけ…。守られるんじゃなくって。俺が深咲を守るんだよ」

あまり人には言わないでいた。
アキラも、俺の過去にはわざと触れないでいてくれているようだったし。
俺らが、避けてきた話題だ。

だけれど、ずっと溜め込んでいた。
アキラには聞いて欲しくて。

そこからはもう涙が止まらなくなっていた。

「…深咲が死んだんだよ…。交通事故で。即死。俺はね、まだなにもあいつにしてやれてなくて。これからってときなのに。二人で逃げた時点で、家族なんてもんも捨ててたから。どうすればいいのかわかんなくってさ。…俺だって、親の気持ち考えずに、深咲と逃げたよ。だから、お前の気持ちもわかる。でも今ならあんとき、どんだけ親悩ませたかとかもわかんだよ。…ひどいことしたと思ってる。……深雪だけが支えなんだよ。深雪を失ったら…俺…っ」

「光流さん…っ」
アキラは俺を抱き返して。
「……俺…一人で行きますから…」
そう言ってくれた。

「…ごめん……アキラ…ごめん…」
震える体をアキラが支えてくれていた。
こんなかっこ悪い自分を、後輩に…弟に見せるなんて思ってもいなかった。

アキラに同情させて。
いやらしい。

だけれど、かっこ悪かろうがなんだろうが。
連れて行かないで欲しい。
それだけが、俺の頭の中にあった。



数週間のうちに、深雪がアキラと仲良くなっていくのが目に見えていた。
あえて、気づかないフリはしていたが。

アキラは、一人で行くと言ったのだから、連れて行くつもりはないはずだ。
いまさら、姉貴のことで俺を恨んで、かわりに深雪を連れて行く…なんてことはないだろう。


アキラのことだから、甘えられれば、それに応えてしまうのはしょうがないことで。
深雪を突き放せず仲良くしてしまうことにたぶん、すごい悩んでくれているだろう。


別れのときがくる。

「…光流さん…お世話になりました」
「…悪いな…。金あんまり出せなくて…」
「いえ、ホントにいいんです。お金は」
俺も深雪と生活していくのでいっぱいで。
いまはまだ多少の余裕はあるが、この業界で貯金しておきたいとも思ったから。

ただ、少し。
しばらく生活できるくらいのお金だけは、アキラに渡しておいた。

「ありがとうございます」
「…深雪には…会っていかないのか?」
「…会わずに、行こうと思います…」

アキラの言いたいことや思っていることはなんとなくわかる。
俺の方もたぶん、伝わっているだろう。

これ以上、別れに関して気持ちを伝える必要はなさそうだった。


「俺…久しぶりに両親とも、少し話そうと思います。迷惑かけれないんで、まぁ結局一人になりますけど。落ち着いたら、手紙でも出します」
「…待ってる」
「両親に…雪寛さんに助けてもらっていたことも、話そうと思います…。せっかく親戚なんですよ…。やっぱり、繋がっているべきです」
「はは…また、アキラのこと不幸にさせたって怒られるかもな」
「…そんな風には伝えませんよ」
冗談っぽくそう答えてくれた。

「…雪寛さん……。あなたに会えて幸せでした」
にっこり笑ってくれる。
…強いな…。
俺は、上手く笑えそうにない。

「…明仁…」
「…覚えてたんですか。俺の名前」
「あぁ…」
「姉貴も……幸せだったと思います。雪寛さんに会えて…。雪寛さんの子供が産めて…。俺、姉貴が死んだとき、正直、雪寛さんのこと、少し恨んだんです。でも…雪寛さんの方が、辛かったですよね…」

アキラにとっても、もちろん、俺は憎むべき存在だったはずだ。
深咲の葬式で再会して。
ものすごい睨みつけられた記憶がある。

なにがあったのかは詳しく知らないが、親から逃げてきたアキラをコンビ二で見かけ、うちへと誘ったのは、深咲を死なせてしまったという後ろめたさがあったせいかもしれない。
初めは嫌がったアキラも結局、生活していくためにと、俺の家へ来てくれた。

次第に打ち解けて。
俺のこと、理解してくれて。
好きとまで言ってくれた。

「…明仁とは葬式以来、もう会わないだろうと思ってたよ…。…だから…また、いまは会えないと思えても、意外に会えるかもしれない」
会えない可能性が高いのは分かっている。
アキラだってわかっているだろう。
それでも、にっこり笑ってくれる。
「そうですね。きっと、会えますよ」
そう言ってくれた。
「じゃあ、また」
また…。
そう思ってるのかどうかはわからないが、アキラはそう言った。
「…またな…」
俺もそう言って。

アキラを見送った。

無気力状態の俺に、追い討ちをかけるように。
深雪がアキラを捜すのが目に入る。
部屋を確認して。
いないのが分かると、仕事に行ってるんだと判断したのか、諦めたように自分の部屋へと向かっていた。

バレてしまうのも時間の問題だろう。

俺のわがままなのかもしれない。
深雪を自分の下に留めておくのは。


あのとき。
俺が、深咲と逃げたとき。
実際に親を苦しめた、この俺が、こんなことしていいはずはない。
そんな権利はないけれど。

だけれど失いたくはない。
それで、深雪が傷ついたとしても。

俺がもう傷ついて。
これ以上、失いたくないと思うから。



「ごめんな…深雪…」

深雪にはこれから。
…もっといい出会いがあることを祈って。